【ネタバレ切り抜き】恋愛シーン集 VSヒロインズ
各エピソードを切り抜いたものです。
!!!この切り抜きはネタバレが含まれます!!!
――――
*第31話 ないしょ
「それでは、ごきげんよう」
「ごきげんよう……」
車の窓が閉まる。
俺も、マンションの玄関口に一歩踏み出そうとした、そこで「あっ!」と呟いて道路を旋回したタクシーに駆け寄った。再び東海道先生が窓を開く。
「どうかしまして?」
東海道先生は忘れ物が無いかと車内をキョロキョロ見回している。
「ちょっと聞きたいことがあったんです」
危うく忘れるところだったが、ギリギリのところで思い出せた。
「先生って、大阪出身なんですよね?」
きょとんとした顔で「そうですわよ」と頷く。
「てことは、関西弁なんですか?」
「……は……?」
西原さんは隠すつもりの無い関西弁だったが、殆ど標準語に聞こえる南さんも会話の端々に西のイントネーションが混じっていた気がしたのだ。標準語に矯正したってことなんだろう。……そこでふと疑問に思ったのが東海道先生だ。
普段はお嬢様言葉で喋っている彼女だが、この人の素、つまりお嬢様言葉の奥に隠れた生来の喋り方ってやつが気になりだしたら好奇心が止まらなくなった。
まあ、このお嬢様先生が生まれ持ってのお嬢様で、そんな物存在しないかも知れないが……。
東海道先生は笑い出して言った。
「そんなことを聞くために、わざわざ? 学校でもよろしいでしょうに」
「いや、気になって眠れなくなりそうなんで」
先生はまた一頻り笑い声を挙げた。
「いすずが佐竹君を気に入る理由が分かった気がしますわ」
「気に入られた覚えはないんですけど……」
「――」
突然先生が俺に聞こえない程の小声で何かを言う。
「え?」
「――」
ニコニコしている先生がまた小声で口を動かしている。俺の反応を楽しんでいるようだ。
意図が分からない……。また東海道先生特有の変なノリか?
「聞こえませんよ。何ですか?」
窓に乗り出して先生の口元に耳を近づけると、意に反して俺の耳に唇を近づけてきたのでドキリとした。
そのまま吐息を閉じ込めるように両手で包み込んで、こう言う。
「みんなには、ないしょやで」
「あ」
関西弁。
東海道先生はいずまいを正すと、「……それでは、ごきげんよう。佐竹君」とお嬢様言葉に改まって別れを告げた。
「ご……」
何故か俺はきちんとした返事が出来ないまま、東海道先生の乗るタクシーを見送った……。
――――
*第51話 単純な心理 単純な真理 ~ 第52話 ここで第37話のロードが入ります
「昼間はあんな言い方しちゃったけどさ、この合宿で改めて痛感したんだ。やっぱり郁と俺とじゃあまりにも生きてる世界が違うんだよ。さっきのこと混ぜっ返すわけじゃないけど、俺と話してるとこなんて他の生徒に見られたら、ああいうことはまた起こる……と、思うんだよな」
「そんなこと……ああ」
郁はふらっと堤防により掛かって、
「ロードしたい……」
と、万感の意を込めて呻いた。
また何を後悔しているのやら。郁の中で、今選択肢の間違いを発見したんだろう。
「人生にセーブポイントがあれば便利だよなあ。過去を変えられる権利が俺たちにあれば良いのにな」
「過去は変えられるよ」
海を眺めたまま、郁がぽつりと呟く。
「は?」
「ほんとはね。過去は、変えられるんだって」
「……未来じゃなくて?」
郁が、郁には似合わない深遠なことを言おうとしている……。
「何かの恋愛映画で言ってたんだ。私達は生きている時間の中で過去しか認識出来ない。だから、私達は今の行動で未来を変えていると思い込んでいるけど、実際は過去に逆襲して、解釈を変えることしか出来ないの。丁か半か、次に出る目は分からないけど、今までに出た目だけは知ることが出来るんだよ! だったら、私達に出来るのは一つ前に出た目を張り続けることだけ、でしょ?」
「でしょ? って言われても、意味分からないぞ……何か、話混ざってないか? 丁とか半とか」
「あれ?……えーと。未来は知ることが出来なくて、過去だけを知ってるから――ごめん、今度観なおして教えてあげる」
難しいことを言おうとしたらこうなってしまうのか。悲しい性だな。
「別に観んでもいい。教えなくてもいい」
盛大に溜息を吐くと、ぺろっと舌を出して郁が笑う。
「じゃあ、ロードしていい?」
「……できるわけないだろ」
「できるよ? 私と蓮なら」
「できんの!?」
俺の中では東海道先生がダントツで変なノリの使い手だったと言うのに、ここにきて郁の物凄い追い上げを感じる。……ライブハウスの一件で毒されたのだろうか。
ともかく、こういう雰囲気になってしまったらノリの使い手が望む反応をしなければ終わらないのだ。
「――分かった。分かったよ。ロードしていいよ」
投げやりに俺が言うと、郁は喜色満面で俺の背後に回る。そして、ビッと右手を挙げて、
「それじゃ、ロードしまーす」
そう宣言した。
*
「はい! ここ!!」
唐突に郁が手を鳴らして、状況再現を打ち止める。
「今、出てます。選択肢」
両手を空中に挙げて、何やら頭上に吹き出しのようなものが出ているジェスチャーをしてそんなことを言い出した。
「選択肢? このタイミングで?」
そう言うってことは、郁が変えたい過去ってのはこの辺りのことなのか。となると、当時の現場には間近に俺が立っていたってことになるけど、正直全然心当たりが無い。郁の発言にイラッとした記憶もないし、こう、心が少しでも動いたようなことは無い筈だが……。
ところが、郁は頭上を眺めたままふっと感慨深げな沈黙を始めた。
「どうした?」
「え~とね……」
「選択肢、出てんだろ?」
「出てる」
俺は、郁がなにやら只事では無い程の緊張をしているようなのを感じ取った。こちらとしては、郁の頭上に出ている選択肢を知る術はないわけで、何をそんなに肩肘張っているのかと肩を叩いてやりたいところだが……どうも、そんな雰囲気でないことは鈍い俺でも流石に分かる。
せめて、選択肢の一文字でも俺に見られやしないかと郁の視線を追うと、そこには丁度、月が浮かんでいるのだった。
「綺麗だな」
「ん……ん!?」
郁が弾けたように俺の方を向く。ビックリするほど顔中に汗が噴き出ている。
「月がさ。ありがちな構図だけど、流石に数多の画家が描いただけはあるよ」
「あ、月ね! うん……うん?」
郁は唐突に自分の汗の量に気が付いたらしく、あたふたと汗を指で払い始めた。
「……もしかして、選択肢忘れたんじゃないだろうな? 何なの、この時間」
「わ、忘れてないよ。え~と、ね……」
さっき払いのけた腕を繋ぎ直すと、郁はこう言った。
「私は……、蓮と、一緒が良いよ」
「……ああ。うん……?」
――選択肢、変わったか?
――――
*第76話 閉めない扉、第79話 部長の許し
俺は一足先に玄関を上がると、甲塚が靴を脱ぎやすいように明かりを付けた。それでも未だにもたもたしている彼女に目を向けたら、
「私、靴下まで濡れちゃってるんだけど……」と、困りあぐねた目で訴えてきた。
「良い、良い。気にしないで上がっちまえ。どうせ俺も濡れてるし、後で拭くんだからさ」
「そう? なんか、悪いわね」
甲塚は言われた通りに玄関を上がって着いてきた。廊下を歩きながら不思議そうに首を回している。そうしている間にも、寒そうに掌を擦り合わせているのが如何にも憐れに見えてきてしまった。
俺は居間へ案内する前に、途中の洗面室を指差す。
「あのさ、体拭いて、着替えるくらいはしていくか。甲塚が良かったらだけど」
「え?」甲塚は掌を擦りながら、俺の指差す暗い洗面室を覗き込んだ。「お言葉に甘えたいところだけど……ああっ。せめて宮島に着替えでも借りてくれば良かった!」
甲塚は思ったより俺の提案に乗り気だ。もうここまで来たら使えるもんは使ってしまおうという気概を感じる。
しかし、着替えか……。
「俺のスウェットで良ければ、貸すけど」
パッと思いついたままにそう言った。冬場にいつも部屋着にしているスウェットなら、多少オーバーサイズにはなるけど甲塚が着ても問題無いと思ったのだ。
一方、流石に甲塚はこの提案に身を引いてきた。
「うわ。……佐竹、自分の部屋着を女子に着せる趣味でもあるわけ?」
「馬鹿、違うって」考えてもみれば当然の反応だが、好意を無碍にされた俺はちょっと気分がささくれ立ってしまった。「どうせ向こうで風呂入って、着替え借りるんだろが。……郁が部屋掃除してる間に、濡れた服着て風邪を引くってのも馬鹿みたいだろ。タオルで体拭いて、乾いたスウェットに着替えるだけでもましになると思ったんだよ……」
溜息を吐いて早足で居間へ行こうとすると、突然甲塚が裾をくいと引っ張ってきた。
「お、怒らないでよ。……冗談じゃない」
「……」
こいつ、冗談なんて言えたのか……!?
「あ。……あ、そうなの?」
「服、貸してくれると助かる。あとタオルと……濡れた服入れる、袋とか」
甲塚は少し赤めた鼻を人差し指で掻きながら言った。
*
その時、机の上に置いていた俺と甲塚のスマートフォンが震えた。案の定、郁から「今終わった! 来て!」という連絡が来ている。待ち時間は大体三十五分ってところか。タイムオーバーには違いないけど、郁にしては頑張った方だろう。
「良かったな。二時間も俺んちで待つ羽目にならなくて」
俺は見送るつもりで立ち上がった。
甲塚もゆったりとスマートフォンをポケットに入れて立ち上がる。が、何が気になるのか、立ち上がり掛けた半端な姿勢で止まってしまった。
「私は別に…………。こ、こっちで寝ても良いんだけどね」
「……は!?」
「だ、だって、蓮以外に家の人いないんでしょう! 居間のソファとか、最悪カーペットの上で寝れば良いし。それに、着替えてスッキリした後にまた雨の中を歩くのも、どうも億劫というかね……」
「馬鹿。向こうはお前が泊まるからって色々準備してくれてるんだぞ。幾ら人見知りだからって現実逃避にも程がある。……というか、それ以前の問題が色々あるだろ!」
「うっさいわねえ」甲塚は溜息を吐くと、廊下を先に歩いて行った。「そんなこと分かってるわよ。言ってみただけ! ちょっとした冗談でしょ。マジに受け取らないでよね。ほんっとすけべなんだから……」
「俺がすけべなことは関係ないっつの。常識の話をしてるんだよ」
そう言いながら、濡れた靴をはき直す甲塚を通り越して玄関の扉を開いた。そこで気が付いたのだが、さっきは屋内でも容赦無く聞こえていた雨音が今は少し落ち着いている。止んだわけでは無いだろうが、丁度外に出るタイミングに雨量が少なくなる瞬間が重なったみたいだ。
「ほら。今は丁度雨が落ち着いているみたいだぞ」
「はいはい。……ああっ、もう。濡れた靴ってなんでこんなにキモい感触なんだろ! せっかく足洗ったっていうのに!」
「どうせ郁の家で風呂入るんだろ。文句言ってないで、今のうちに移動するぞ」
甲塚は几帳面にもしっかりと裸足にスニーカーを履き込んでいた。学校のカバンと濡れた着替えで両手が塞がっているから、俺が傘を差してやる他無いだろう。
俺がシューズロッカーの縁に掛けていた親父のこうもり傘を持って出ると、甲塚が玄関の内からこんなことを言い出した。
「――ねえ、蓮。あんた、本気で子供の頃の事件が大したことないって思ってる?」
「あん?」
俺は、こうもり傘の先を地面に突いて振り向いた。
甲塚は両手にそれぞれ荷物を持ったまま、俺を見つめている。
「さっきも言ったけど、別にショックを受けたわけじゃないんだよ。トラウマも。だから、あんな出来事は大したことじゃない。……俺を見てみろよ! 普通に、健全な、人並みに隠し事を抱えている男子高校生だろ!」
俺は両手を広げて笑って見せた。
それを、甲塚はあくまで仏頂面で眺める。
「あのね、蓮。あなたは客観的に見てショックとトラウマを受けてる」
「……」
「それに、自覚出来るショックとトラウマだけが、人生に影響を与えるものじゃないと私は思う。……あんたが今ダンゴムシになっているのは、その出来事が全く影響していないと、本気で思ってる?」
「……」
「私がはっきり言ってあげるけど、断じて違うわよ。あんたはね、子供の頃のそんな恐ろしい出来事が原因で、友達がいなくて、すけべで、変な部活の一員にされるような人生になっちゃったのよ」
「……なんか無茶苦茶なこと言ってないか?」
甲塚は、鼻の下を指で擦って笑った。
「くくく。あんたは自分の力ではどうしようも出来ない、周囲の環境のせいでこんな目に遭ってるってこと。残念だったわね、私なんかに目を付けられてさ」
「……それって、典型的な現実逃避ってやつだよな」
「ばーか。蓮は私の部員なんだから、大人しく私の言うことを鵜呑みにすれば良いのよ」
―――
*第90話 38万キロ彼女
「こ、甲塚はともかく、郁がキレてる理由はよく分かった――だけど、俺の言い分も聞いて欲しいかも……」
かなりソフトタッチのつもりだったが、髪の毛がどエラいことになってる郁がキツく睨んできた。普段怒らない奴がキレるとこんなに迫力があるのか。
「喋れば? 聞くかどうかは知らないけどね」
「まず、『俺はお前らを女子として見ていない』――これ、俺言ってないから」
「それは誇張表現ってやつ。デフォルメだよ」
「デフォルメってのは有りもしない角をキャラクターに付けるもんじゃないんだよ」
唾を一つ飲み込んで、甲塚の助言を思い出す。
……俺が郁のことをどう思っているのか――
「郁のことは、きちんと一人の女子として見ている。勿論甲塚も。むしろ、添え物として俺がいるのが申し訳無い位だよ。どっちも美人というか……まあ、そういう心配する位には、可愛いと思うから……」
「……んんっ」
俺は一旦、冷たい夜の空気を吸って、吐いた。
やっばいなこれ。クソ恥ずかしい。
「むしろ、問題なのは俺だ」
「……蓮がスクールカーストの底辺のゴミ虫っていう話なら聞き飽きてるんだけど」
ゴミ虫て。
「いや、それもあるけどさ。最近甲塚に指摘されて初めて気付いたんだけど、俺ってもしかしたらちょっと変なのかも知れない。心の底の部分で、人を信じられない、人が怖い、人を好きになれない……認知が歪んでいるっていうのかな。こういうのって」
「甲塚さんが、そんなに酷い事を言ったの!?」
むき出しになった郁の怒りが今度は甲塚の方に向きそうだったので、慌てて俺は訂正する。
「お前が想像しているような言い方じゃない。むしろ、俺は甲塚に感謝しているくらいなんだから……雨の日だ……。風が強い……服、濡れて……そこはどうでもいいか」
俺は頭を振って思考を切り替えた。今は甲塚のことより目の前の郁のこと。あっちこっちへ思考を巡らせてしまうと途端に頭の中が散らかってくる。
「結局何が言いたいわけ?」
「……」
自分の頭の中を整理しながら、立ち上がって、ゆっくり郁の目の前に立った。彼女の眼力に負けて視線を漂わせると、ぽっかりと灯る月がそこにあるではないか。
「地球から月まで……」
「?」
言葉を探しながら呟くと、郁も振り返って月を見上げる。
「地球から月まではおよそ38万キロあるそうです……知ってた?」
「……? 知らないけど。そうなの?」
「そうらしいな。遠いんだ。滅茶苦茶」
「ふーん。で?」
「独りぼっちの月も良いもんだよ。甲塚みたいなぼっち仲間もいるしな。けど……やっぱり俺は、郁たちがいる地球に手を伸ばしてみたい……ちゃんと人間らしい暮らしをしてみたいって、最近思うようになったんだ。スクールカーストって奴の一部になって、悩んで、……そういうのも、悪く無いんじゃないかって」
「……」
「今は、甲塚の手伝いをしていれば少しだけ地球への加速度が上がる気がする。最終的に火星かどっかに飛んでいくかもしれないけど」
「蓮の言ってること、よく分かんないよ。実際蓮は地球の日本の東京の私の隣に立っているじゃない」
「……」
やはり、宇宙の話は男子にしか通用しないのか……。
男子のロマンも何のその、郁は軽快に柵から飛び降りた。その足取りで、気分が結構回復したことが分かる。どうしてだろう?
「でも、今私が蓮に告ってもトゥルーエンドにならないっていうのは何となく分かったかな。蓮のことだから、その場の雰囲気に流されて付き合うまでは行く気がするけど」
「いや、流石にそこまで流されるような男じゃ……!!?」
なんか、今郁がとんでもないことを言った気がする。
……気がするというか、言ったな。間違い無く。
頭の中が音をたてて白くなっていく。どんな音だ。
―――
*第105話 情熱に充てられた夜のことを、第108話 伝えたいこと、本当であること
……言葉通り、お仕着せだな。
最早暗澹たる気分になってきたが、さっき一緒に回ると約束した手前無視して帰るわけにもいかないし。
くそっ……こうなったら地獄の底の底まで付き合ってやるしかない。
腹を決めて、制服から知らないキャラクターのコスプレ衣装に着替えてみた。一応姿見があるので自分の姿を見てみたが、知らないコスプレ衣装を着た俺、という以上の印象が浮かばない。こうしてみると、コスプレというものは着る方にも色々技術があるということがよく分かる。
仕方が無いので、そのまま更衣室を出ようとしたら、
「蓮さん? ちょっと待って下さい……」と、パーティションの向こう側から美取の弱々しい声が聞こえてきたので仰天してしまった。
「美取さんも着替えてたの!?」
「は、はい。外で待とうとしたら、何だか押し込まれてしまって。この衣装、多分蓮さんが着てるのと同じ作品のキャラなんですよ。何だかカップルか何かだと思われたようで。困ったな……」
それは――困ったもんだな!!
こいつはショウタロウの彼女(多分)だっていうのに!
隣のカーテンがサッと開いて、美取が姿を見せた。ゴシック系で、黒赤が基調の東海道先生が着そうで着ないドレスを着ている。これはロリータファッションというやつだろうか。それにしても、条件は俺と同じ筈なのにサマになっているのは何故だ。……顔の出来が違うのか。
美取は背中に手を回した変な体勢のまま俺の前に立つと、ぴょんぴょんと困った顔で飛び跳ねた。
「ちょっと、背中のファスナーが固くって……! くっ、ぐっ!……困りました」
「へえ。結構生地良さそうですけど、そこは安物なんですかね」
「うっ。ぐっ。かも、……知れません!」
しばし、目の前で一生懸命背中を反らす美取を眺める。
やがて、
「あの、手伝って貰えませんか?」と、諦観の篭もった表情で懇願してきた。
……まあ、そうなるよな。
「良いですよ。後ろ向いて下さい」
「お、お願いします」
美取は、手を回したままの背中をこちらに向けてきた。指先で一応端と端を止めてはいるが、開いたチャックの隙間から彼女の白い下着が見えている。
一つ深呼吸をしてからチャックを上げようとしたら、俺の指が、俺の意志とは、全く関係無しに猛烈に震えているではないか。
……落ち着け。目の前の人間はただの人間じゃないか。
ただの人間ということは、ただの人間ということである。
ただの人間ということは、つまりただの人間というわけで……そこに美少女だとか何とかは全く関係無い。
肌に触れないよう極限の注意を払って、何とかチャックだけを摘まみ、引き上げる。
その間、俺は息をすることを忘れていた。横隔膜がビックリしたのか、すっきりした表情の美取がこちらへ向いた瞬間しゃっくりが一つ飛び出す。だからというわけではないけど、何となくお互いがお互いの格好をまじまじと眺めて、同じタイミングで照れてしまった。
*
美取の耳が痛い説教を聞き届けると、何だかしんみりとした雰囲気になってしまって、俺たちは店を出ることにした。
外はすっかり暗い。鉛筆の削りカスみたいな空気の匂いが冬の到来を感じさせる。
「ごめんなさい。変なことを言ってしまって」
「……美取さんは、今日一日で何回謝ってるのかな」
「え? えっと……今と、さっきと……」美取は更衣室でやってみせたように、指で数え始める。「あれ。何回だろ」
「冗談だよ。真面目に数えないで良いし、美取さんが謝る必要は無い」
「あ……あははっ。すいません……。あっ」
今日一日で分かったが、この人はどうもルックスの割に卑屈な部分があるらしいな。……だからこそ、すけべな絵なんかに傾倒しているのか?
まあ良いけど。とにかく3takeさんは3takeさんなのだ。
俺たちは目の前の交差点まで歩いて、ちょっとどうしようか、という雰囲気になった。というか、俺はすっかり用事を終わらせた気分でいたところを、どうも美取の方がまだ話したりないような様子なのだ。ふんわり駅の方に歩きながらも、途中のカラオケ店を見上げたり、公園のベンチを首を回しきるまで見つめていたりする。
なんでだろう。
内心首を傾げながらも、結局駅の改札前に着いてしまった。
時刻表を、彼女と見上げたまま止まる。
「……」
横を向くと、上を向いたままの美取が口を開きかけて、閉じた。
それで、また二人して時刻表を見上げる。
これは……これ、なんだ……? 何の時間……?
俺の横で、美少女が何かを待つ構えをしている気がするんだが。気軽にジャブを放ったらクロスカウンターされないか。
もう、美取に、3takeさんにも話すことなんて無いよな? 日頃の感謝も直接伝えられたし。無い――
いや、あるわ。
滅茶苦茶あったわ。
俺は、美取がショウタロウの彼女であるのかどうか、確認しなければいけないんだった。
「あの。美取さんさ」
「はい」
「付き合ってる人とか、いる?」
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