第108話 伝えたいこと、本当であること
美取と二人きりになって冷静になると、そういえば外は寒いんだったと気付いた。美取の方もさっきから拳に息を吐くことを繰り返しているし。
「取り敢えず、場所変えますか。寒いし」
「ですね。それじゃあ駅前の喫茶店にでも行きましょうか」
そう言って、美取は迷い無い足取りで校門へ向かう。
学校の外に行くのか、と一瞬足の遅れた俺に振り向いて、
「ちょっと、聞かれたくない話になりそうですしね。皆には内緒で」
美取が向かったのは、駅前の大きなビルの横にある、ひっそりとした地下の喫茶店だ。そういえば、前回のオフ会未遂の時に指定したのも別の地下喫茶店だったが、彼女の趣味なのだろうか。
休日は混み合うだろうこんな場所でも、金曜の午後とあっては人耳を気にする必要が無いほどに空いている。
「さっきはごめんなさい」
席に着くなり、まず美取が頭を下げてきたので驚いた。
「何か謝られることありましたっけ……?」
「どうも、蓮さんが秘密にしていたことをばらしてしまったみたいで」
ああ。そのことね。
「別に怒ってないですよ。あの意味不明の状況じゃ、何が起こってもおかしくなかったでしょ。それに、いずれにしろSNSの件は明かすつもりだったんです」
「……そうだったんですか!?」
そこで、店員がホットコーヒーを二つ持ってきた。カップに一杯と、もう一杯分をフラスコに入れた、ちょっと嬉しいタイプの喫茶店だ。
流石にモデルとあってか、こういう穴場の喫茶店はよく知っているらしい。……モデルなのは関係無いか。
美取は上目遣いにこちらを見ながら、そっと一口コーヒーを呑み込む。
「蓮さん、以前からDMで身バレしたって言ってましたよね。活動を休止したのも、それが原因だって。てっきり、あの二人に身バレしたものかと思っていたんですけど」
「それは半分正解で半分不正解かな。部長の方は知ってたんで。……そういえば、以前からそういうことも話していたんですよね。俺たち。さっきは色々あってそこら辺のこと抜けてましたけど」
「前のオフ会、たまたまお店にいた真城先輩と出くわしてしまったから、慌てて撤退しちゃって。あの時、顔を見られているとは思いませんでした。あははっ」
美取はそう気軽に笑い声を挙げた。
そうだ。俺と美取は会って三回目程度だけど、rensと3takeさんとしては別のこと。かなり前からDMのやり取りはしていたし、彼女がくれたコメントを切っ掛けに文書のやり取りをしたことは何度だって。
そう考えて、ようやく目の前の美少女に親近感みたいなのが湧いてきた。今までは借りたゲームのセーブデータみたいな感じだったけど、ようやく自分で新品を購入できたって感じだ。……なんだ、この喩え。
それにしても――俺の絵を、良いと言ってくれる人が目の前にいるのだ! というか、そんな人間が現実に存在していたのか! 当然といえば当然のことだが、そんなことに一々感動してしまう俺がいる。
「あの、いつも相談とか……俺の描いた絵に反応してくれてありがとう。結構、本気で救われてたりするんで」
「いえいえっ」美取は慌てて顔の前で手を振った。「私の方こそ、生活に彩りというか豊かさというか……えっちで助かります」
「ああ。いえいえ」
うーむ。
高校生の男女が二人。こう明け透けにお互いの趣味が分かっていると、俗の極みであるすけべなことであれ高尚なもののように思えるもんだ。実際、美取の方は俺の絵を見て元気を貰っているというようなことを言っていたし。
「で、話ってなんですか?」
「え? 話? 蓮さんの方が私に話があったんじゃないでしたっけ?」
「一応こっちも聞きたいことはありますけど、先着順で言えばそっちの方だし。……オフ会のそもそもの目的ですよ。わざわざ会って話そうって言い出したのは、何か話があったからじゃないですか」
「あっ……あはは。そのことですか。私が言いたかったこと、校舎の裏で大体言っちゃったんですけど」
美取が校舎裏で言ったこと。……正直、全然憶えていない。頭がパニクってるときに何を言われたって、記憶にこびり付くようなことなんてあるわけがない。
カップを置いた美取、両手の指を合わせて言う。
「あなたの絵は素晴らしい、という話をしようと思っていたんです」
「ああ……。はは」
そういえばそんなことは散々言ってた気がするな。
「それに、DMでも女性にああいう絵を描いているのを知られるのが恥ずかしい、って言っていましたしね。それなら私が現実にお目にかかって、蓮さんの認識を変えることはできないかと考えたんです。けど、どうやら私の心配は杞憂だったようですね――あの、ストリートアートを見る限り」
「オブジェの絵のことなら、俺は知りませんがね」
それにしても、コーコとは結局顔を合わせないままヤマガクを出てしまったな。コーコは、あのオブジェに群がる群衆を見てどう思ったのだろうか。
「あなたが知らないと言うのなら、そうなんでしょう」あっさり認めた、と思った美取が悩み部会表情で口を手で覆った。「でも、私はあれが原因で、もう一つ話さなければならないことができてしまったんです」
「……え?」
なんだか、さっきまでの穏やかな雰囲気とは違ってきた。前に渋谷の地下喫茶店でコーコと顔を合わせたときのような、ピリピリとした雰囲気を急に発してくる。
「蓮さんはあの絵に関わっていないかも知れません。それは譲歩しましょう。ですが、真城先輩があの絵を手がけたのは間違い無いでしょう。ですからここからの話は真城先輩に対して言っていると思って聞いて下さいね」
「……」
つまり、俺に対して言っていると思って聞いて下さいね、ということだよな。これ。
「ハッキリ言って、真城先輩は根っこの部分から間違いを犯しています。良いですか? どれだけ素敵な作品を描いたとしたって、……どれだけ、作品にメッセージを込めたって、伝え方を間違えてしまえば何も伝わらないまま終わってしまうんです」
「……」
「真城先輩はオブジェにストリートアートを描きました。それが素晴らしい絵であることなんて一目で分かります。もしかしたら、学校生活そのものを変えてしまうくらいのポテンシャルはあったかも知れません。ですが――実際にはどうですか? 花火のように鮮烈な印象を、見ている方々に与えたかも知れませんが」
「コーコの絵は、意味が無かったと言いたいのか」
「違います。意味が、無くなってしまったと言いたいんです」
すらっと出た俺の低い声に、被せるくらいの熱量で美取は言ってくる。
「何かを変えるために、本当のものを伝えるのは大前提なんですよ。必要なのは、説得力なんです。コーコ先輩は、オブジェの横に立って胸を張らなければいけなかったんです。自分の作品を謎の落書きと思わせてはならなかった。……更に言えば、学校生活で地位を築いているべき、でしたね」
何かを変えるためには、本当であるだけではいけない……。
「それは……コーコには求め過ぎだと思うけどな」
「……そうですね。だから、私はあの人を見ていると歯がゆい気持ちになります」
「コーコのこと、今日見ました?」
美取は頭を振った。
彼女は、ヤマガク一の美少女である。俺とは比べようもない程の小顔。大きな瞳。ティアラのような編み込みの入った髪の毛。友達がいないのは置いといて……モデルでも、ある。
つまり、俺やコーコからすれば数段上にいる、いわば世間に認められた表現者なわけだ。だからこそ、俺たちには見えていない視界があるのだろうか。
俺はクラシックなチューリップ型の照明を見上げて、ゆっくり息を吐いた。
俺は、間違っていたのか。
――だとすれば、甲塚も……。甲塚のやろうとしていることも。
*
美取の耳が痛い説教を聞き届けると、何だかしんみりとした雰囲気になってしまって、俺たちは店を出ることにした。
外はすっかり暗い。鉛筆の削りカスみたいな空気の匂いが冬の到来を感じさせる。
「ごめんなさい。変なことを言ってしまって」
「……美取さんは、今日一日で何回謝ってるのかな」
「え? えっと……今と、さっきと……」美取は更衣室でやってみせたように、指で数え始める。「あれ。何回だろ」
「冗談だよ。真面目に数えないで良いし、美取さんが謝る必要は無い」
「あ……あははっ。すいません……。あっ」
今日一日で分かったが、この人はどうもルックスの割に卑屈な部分があるらしいな。……だからこそ、すけべな絵なんかに傾倒しているのか?
まあ良いけど。とにかく3takeさんは3takeさんなのだ。
俺たちは目の前の交差点まで歩いて、ちょっとどうしようか、という雰囲気になった。というか、俺はすっかり用事を終わらせた気分でいたところを、どうも美取の方がまだ話したりないような様子なのだ。ふんわり駅の方に歩きながらも、途中のカラオケ店を見上げたり、公園のベンチを首を回しきるまで見つめていたりする。
なんでだろう。
内心首を傾げながらも、結局駅の改札前に着いてしまった。
時刻表を、彼女と見上げたまま止まる。
「……」
横を向くと、上を向いたままの美取が口を開きかけて、閉じた。
それで、また二人して時刻表を見上げる。
これは……これ、なんだ……? 何の時間……?
俺の横で、美少女が何かを待つ構えをしている気がするんだが。気軽にジャブを放ったらクロスカウンターされないか。
もう、美取に、3takeさんにも話すことなんて無いよな? 日頃の感謝も直接伝えられたし。無い――
いや、あるわ。
滅茶苦茶あったわ。
俺は、美取がショウタロウの彼女であるのかどうか、確認しなければいけないんだった。
「あの。美取さんさ」
「はい」
「付き合ってる人とか、いる?」
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