第107話 @rensの秘密と、一体私のどれだけを捧げれば

 郁は、目の前に立っている三人をゆっくりと眺め、更に濃くなった不安で顔を曇らせた。


「あれ? もしかして、話に付いていけてないの私だけ? 甲塚さんは何か知ってる?」


「えーと……」


 助けを求められた甲塚は困ったように俺と目を合わせて、肩を竦める。


 こんなことになって、知らないわよ。どうするの。と、瞳で俺に訴えている。


 俺は頭を振って答えた。もともと今日、郁には俺の秘密を打ち明ける予定ではいたわけだ。


 思ったより厄介な状況になっているのは、その秘密が俺の口から明かされたわけじゃないから。……つまり、美取が俺の秘密を暴露してしまった、から。


 自分によるカミングアウトと、他人によるカミングアウト。言葉にすれば些細な違いに思えるのに、実際やられてみると全然違うものなんだ。


 俺にこれ以上秘密を隠す意図は無いと見て取ったのか、甲塚が口を開いた。


「あんたが聞きたいことを私は知ってるけど、私の口から答えることはできない。ここまで言えば、まあ察しは付くでしょ。そういうことよ」


「……」


 何の感情が籠もっているのか分からない郁の目が、ゆっくりと俺の方を向く。さっきまではおぅおぅ泣いていたっていうのに、今じゃ打って変わって冷えきったテンションなのが怖い。


「蓮の、秘密のこと?」


「言っておくけど、俺は話すつもりだったんだ。今日……大事な話がある、って言ったよな。それでこの話をする予定だったんだが」


 郁はウッとまたショックを受けたように体を揺らしたが、すぐに追撃してきた。


「でも、甲塚さんが蓮を手下にしたのはそれが原因なんだよね」


「手下って……まあ、原因はそうなんだけど」


「だったら、蓮は私の秘密を知っている。私は蓮の秘密を知らなかった。これはフェアじゃないよね?」


「それは、そうかもしれないけどな。でも、俺に秘密があるなんてことは、分かっていたことだろ?」


「……私は、一体私のどれだけを捧げれば、蓮の全部を知ることができるの!?」


「し、知らないよそんなの」


 さっきから郁に激詰めされているが、どうも俺の秘密がどうのこうの、というより俺が秘密を明かさなかった、というところが彼女の感情を弾いたらしい。


 そこで、ちょっと蚊帳の外にいた美取が蚊の鳴くような、というか泣くような声で俺たちの間に入ってくる。


「あ、あの。もしかして、私、とんでもないことを言ってしまったのでしょうか」


「――飯島ちゃん!!」


 間に入ってきた美取の腕を、郁が素早く掴んで持ち上げた。


「はっ、はい!?」


「私が分からないのは、なんで飯島ちゃんが蓮の秘密を知っているのかってこと! 甲塚さんは分かるよ。甲塚さんだもんね。でも、どうして幼馴染みの私を差し置いて、近くの高校の女子なんかに自分の秘密を明かしているわけ!? 飯島ちゃんが、私より可愛いから!?」


「お、俺は何も、美取に秘密を明かしたわけじゃないんだよ。可愛い可愛くないは関係無いし……」


「佐竹」


 郁の対応に困りあぐねていると、甲塚から冷静な声が掛かった。


「もう、あんたの口から明かすしか無いんじゃないの。このまま暖簾に腕を押し合うようなこと言っていても、埒が明かないでしょ」


「……」


 確かに。結局の所、郁の言っていることは一つに集約される気がしている。


 ――どうして、郁に明かさなかった秘密を美取が知っているのか。


 そして、これを説明するのに長い話は必要ない。


 俺はスマートフォンをポケットから取り出して、@rensのアカウントを画面に映した。そのまま@3takeさんとのDMのやり取りに遷移する。


「美取さん、こいつ――郁に、アカウント見せても良いですか?」


「え? あっ。……あ~~、と」


 途端に、真っ赤になって美取の顔から汗が噴き出す。


 ……そういえば、@3takeさんのアカウントは古今東西のすけべ絵の引用だとか、いいねで埋まっているのだった。何もここで美取の性癖を披露するつもりは無いけれど、アカウント名を知るということは、それを調べ上げることが可能になると言うこと。


「嫌なら止しますけど」


 別にこれは強制するような話じゃない。どうせ、さっきの熱に浮かされたような発言で美取の本当の人格っていうのは大体バレているようだし、説明が楽だから提案したまでで。


「……いえ。失言した私も、凄く申し訳ないことをしたと思いますし。はい。大丈夫……大丈夫、です。あっ、でも二日前にいいねした画像だけはちょっと――」


 最後に美取の言ったことは置いといて、DMでのやり取りを郁に見せてやった。初めは眉を顰めて文字を読んで、次は細い指先でそっと過去のやり取りをスワイプし、最後には俺からスマートフォンを引っ手繰って夢中になって読み出した。


「……佐竹。飯島は、絵師としてのあんたのフォロワーだった。話の流れを聞いている限り、そういうことで良いんでしょうね」


「うん。まあそういうことになるかな。言っとくけど、俺も驚いたんだからな。まさか、美取が……な」


「一体どういう偶然なのかしら。あんたは私達が追っているショウタロウに近しい人間と、懇意の関係にあった」


「まさか俺がスパイか何かだとでも言いたいのか?」


 甲塚は、目線を下げて耳に掛かった髪を後ろに流した。


「佐竹はそんな器じゃないでしょ。運命っていうのも、あるのかなって思っただけ」


 すけべな精神性に導かれた俺と美取の運命か。結構碌でもないな。


「うっ」


 俺のスマートフォンを弄っていた郁が突然嘔吐いたように呻き声を挙げた。背後からのぞき見ると、俺のアップロードした画像を次々にフリップして確認している。ある画像ではじっと拡大して確認し、ダブルタップで縮小すると慌てたように次の画像へ流した。


 郁の耳は真っ赤になっている。


「あの……郁。つまり、そういうこと、なんだけど」


 背後から声を掛けると、「ギャッ――」と叫びだして一目散に校門の方へ逃げ出してしまった。


 俺のスマートフォンを持ったまま。


「くくっ。宮島にはまだ現実を受け止める時間が必要みたいね」


「……現実か」


 俺の秘密が明かされた今、郁との関係は変わるのだろうか。


 変わるかもしれない。変わる気がする。郁は元々の一軍女子のポジションにすっかり戻って、俺を透明人間のように扱いだすんじゃないだろうか。


 ……結構、そういう未来は現実的に思える。期待を裏切られた女、いや。人間っていうのは、驚く程冷徹になるものだから。


「なんだか最近、佐竹に対して変な幻想持っていたようだし? ま、これも良い薬でしょ。可哀想じゃないことも、ないけどね」


「甲塚。悪いんだけど……」


 俺が言葉を言い切らぬ内に、彼女もまた校門の方へ歩き出した。


「分かってるわよ。宮島のことは私がフォローする。その代わり、そっちは任せるわよ」


「ああ。……ありがとう」


「え――と?」


 一人、若干話に置いていかれている美取が困ったように俺と甲塚の顔を見合わせた。


 そうだ。


 そもそもの俺たちの目的――ショウタロウと飯島の関係を、明らかにすること。

 

 今の状況なら、聞けるはずだ。


 俺たち人間観察部が血道を上げて調べを進めていた、ショウタロウの謎の恋人。その筆頭候補が、今目の前にいるのである。


「あの……私が、どうかしたんですか?」


 美取が困惑したように言った。

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