第105話 情熱に充てられた夜のことを
服飾部主催のコスプレ会場は中々盛況だった。教室を間借りしたこぢんまりとしたものをイメージしていたが、いざ教室の扉を開くとそこは多目的ホールを丸々使った立派な撮影会場と化している
ご丁寧なことに、コスプレイヤーが立つ場所の前には黒いカーテンが張られていて、そこをぐるりと撮影する人間が撮り囲っている形だ。スマホを持っている連中が多いが、中にはかなり本格的なカメラまで構えている奴もいる。
で、美取はというと……。
「あの、美取さん」
「……」
一番目立つ黒板前の教壇に立っているのは、グラマラスな体型をしている女子生徒。ファンタジックな洋装だが、下に履いているのは非常に短いホットパンツで、太ももが殆ど露わになっている……けど、そこは文化祭の企画だ。きっちり肌色のタイツを履いている。
しかし、そんなことはカメコたちには些細な問題らしい。教壇をぐるりと囲う彼らは最早土下座するかの如く低い姿勢を取って、必死にローアングルからカメラを向けている。傍から見ると結構異様な光景だが――
「……美取さーん……」
何故か、美取もカメコ集団の一部になっているんだよな。
着る方じゃなくて、撮る方なのね……。
今の美取はすっかり女子生徒の太ももに夢中になって全然声が届いていないらしい。
時間が来たのだろう。教壇のコスプレイヤーが挨拶をして去ろうとする雰囲気を見せると、美取はがめつくカメラを突き出して下から連写する。そこまで近づけてしまったら構図も何もないと思うんだが……帰ってきた彼女は、とても満足そうな顔をしていた。
「蓮さん、ずっと後ろの方にいましたけど写真撮れました?」
「や、あんまり……」
「ダメですよ。もっと前に行かないと! 撮影場所は争奪戦なんですから。……あ、後で私の撮った写真送りますね」
「あ、はい。それじゃ、行きましょうか」
「ですね! 付いてきて下さい!」
快く頷いた美取が、俺の腕を掴んで窓の前に立っていたコスプレイヤーの足下まで引っ張ってきた。そのまま、さっきのように土下座をする勢いで撮影を開始してしまう。
……別の展示に行こう、と言ったつもりだったんだけどな。
隣に連れてこられた手前、俺が撮影しないのも気を悪くしそうだからカメラを構える。
こっちの女子生徒は頭から足まで魔法少女のコスチュームで、青髪のウィックとカラコンまで入れている。丁度こちらに目を合わせた彼女が前傾姿勢のポーズを取ってくれたので、スマホをやや斜めに傾けて撮影してみた。
……おお、適当にやってみたけど結構構図が決まっている気がする。
「あっ。流石蓮さん……! 良い写真を撮りますね……!」
何が流石だ。
「後で、その写真送って下さい」
「はあ」
軽く頷いたのに、何故か美取の表情が不安そうに曇る。
「……あ。あれ。あの、なんか……楽しくない、ですか?」
「え!? いやいや! 楽しいですよ。うん」
やばい。滅茶苦茶表情に出てたかもしれない。
でも仕方ないだろ。ヤマガク一の美少女に学祭を案内されたと思ったら、知らない女子の足を一緒になって撮影させられてるんだから。何なんだこの状況。意味が分からんぞ。
お化け屋敷でキャーッとか、そういう定番なシチュエーションを期待しているわけでもないけど、こう、二段飛びくらいのニッチな趣味に付き合わされると戸惑うのも当然だろう。
「本当に……?」
「まあ、何というか、コスプレ撮影会と聞いていたんで、てっきり着る方だとは思ってたんで。ちょっと拍子抜けしちゃって」
「あ! あははっ! なーんだ。着たいならそうと言ってくれれば!」
「ははは――はっ!?」
「すいませーん。衣装貸して貰えませんか?」
止める間もなく美取がスタッフにそう注文すると、あっという間に横から服飾部女子に腕を掴まれて隣の教室に連行されてしまった。こっちはパーティションで区切られた簡単な更衣室になっていて、着替えを終えるまでは外に出られないようになっているらしい。
で、横のハンガーには皺一つ無い、妙にテカテカしたコスプレ衣装があるというわけだ。
……言葉通り、お仕着せだな。
最早暗澹たる気分になってきたが、さっき一緒に回ると約束した手前無視して帰るわけにもいかないし。
くそっ……こうなったら地獄の底の底まで付き合ってやるしかない。
腹を決めて、制服から知らないキャラクターのコスプレ衣装に着替えてみた。一応姿見があるので自分の姿を見てみたが、知らないコスプレ衣装を着た俺、という以上の印象が浮かばない。こうしてみると、コスプレというものは着る方にも色々技術があるということがよく分かる。
仕方が無いので、そのまま更衣室を出ようとしたら、
「蓮さん? ちょっと待って下さい……」と、パーティションの向こう側から美取の弱々しい声が聞こえてきたので仰天してしまった。
「美取さんも着替えてたの!?」
「は、はい。外で待とうとしたら、何だか押し込まれてしまって。この衣装、多分蓮さんが着てるのと同じ作品のキャラなんですよ。何だかカップルか何かだと思われたようで。困ったな……」
それは――困ったもんだな!!
こいつはショウタロウの彼女(多分)だっていうのに!
隣のカーテンがサッと開いて、美取が姿を見せた。ゴシック系で、黒赤が基調の東海道先生が着そうで着ないドレスを着ている。これはロリータファッションというやつだろうか。それにしても、条件は俺と同じ筈なのにサマになっているのは何故だ。……顔の出来が違うのか。
美取は背中に手を回した変な体勢のまま俺の前に立つと、ぴょんぴょんと困った顔で飛び跳ねた。
「ちょっと、背中のファスナーが固くって……! くっ、ぐっ!……困りました」
「へえ。結構生地良さそうですけど、そこは安物なんですかね」
「うっ。ぐっ。かも、……知れません!」
しばし、目の前で一生懸命背中を反らす美取を眺める。
やがて、
「あの、手伝って貰えませんか?」と、諦観の篭もった表情で懇願してきた。
……まあ、そうなるよな。
「良いですよ。後ろ向いて下さい」
「お、お願いします」
美取は、手を回したままの背中をこちらに向けてきた。指先で一応端と端を止めてはいるが、開いたチャックの隙間から彼女の白い下着が見えている。
一つ深呼吸をしてからチャックを上げようとしたら、俺の指が、俺の意志とは、全く関係無しに猛烈に震えているではないか。
……落ち着け。目の前の人間はただの人間じゃないか。
ただの人間ということは、ただの人間ということである。
ただの人間ということは、つまりただの人間というわけで……そこに美少女だとか何とかは全く関係無い。
肌に触れないよう極限の注意を払って、何とかチャックだけを摘まみ、引き上げる。
その間、俺は息をすることを忘れていた。横隔膜がビックリしたのか、すっきりした表情の美取がこちらへ向いた瞬間しゃっくりが一つ飛び出す。だからというわけではないけど、何となくお互いがお互いの格好をまじまじと眺めて、同じタイミングで照れてしまった。
「あ、ははは。なんか、おかしいですね私たち」
「……冷静に考えたら、俺と美取さんってこれで会うの四回目ですからね。なんで一緒にこんなことしてんだろ」
「そんなに会っていたんでしょうか?」美取は黒い手袋で包んだ指を伸ばして、数え始めた。「蓮さんが準備中の校舎を見学しにきたのと。深夜の校舎裏でばったり顔を合わせたのと……?」
「今日と」
俺の目を見ながらもう一本指を立てる。
「あと、ほら。地下の喫茶店で」
「……」美取は最後に立てた四本目の指を見つめて、首を捻った。「地下の……喫茶店?」
あ。
そういえば、地下喫茶店で美取と遭遇したとき俺はテーブルの下に隠れていたのだった。
慌てて美取の小指を摘まんで下げる。
「すいません。別の人と勘違いしてました。今日で三回目ですね」
「三回目――」
「じゃ、そろそろ行きますか?」
「あ。ですね。行きましょう」
そこで、先に廊下に出るのをお互いが譲り合ってしまう。……こういうとこ、何か合わないんだよなあ。
*
恥辱に塗れたコスプレ撮影会の後、俺たちは一通りの展示を見て回った。メイド喫茶に立ち寄ってみたり……執事喫茶には見向きもせず、様々な部活の地味な展示を眺めたり、まさかの展開でお化け屋敷に入ってみたり。
傍から見れば俺は羨ましがられるポジションに立っているのは重々承知なのだが、こっちとしては妙な成り行きで他人の彼女と歩いているわけで、精神が疲れ切ってしまったのだった。
……そういえば、コーコの姿は一度も目にしていない。これだけ歩き回って後ろ姿も見ないということがあるのか?
「今日はすいません。私に付き合って貰ってしまって」
一階の廊下を歩きながら、美取が言い出した。
「いや。気にしないで下さい。俺は楽しかったですし」
これだけ学祭気分を味わったのだ。もう桜庭の学祭は適当に部室で寝てても罰が当たらないだろう。……それが許されるならば。
「私も楽しかったです。でも、こういうの良くないですよね。きっと。本当に申し訳ない……」
何故か、突然美取が一人反省会を始めてしまっている。それはショウタロウの彼女と分かってて付き添ってるこっちの台詞なんだが、どうして彼女の方がそんなことを言い出すのか。
「何で良くないんですか?」
「え! だって――蓮さんは真城先輩の恋人じゃありませんか!」
俺は突然膝の力がカクッと抜けたところを、転ぶ前に何とか踏みとどまった。
……そうかそうか。
美取目線だと俺とコーコってそういう関係に見えても全くおかしくないんだな。深夜に会ってるし、あの落書きのことだって俺たちが無関係とは思っていないだろう。一緒に犯罪を犯す二人を、恋人と思うことは何も不思議じゃない。
――そういえば、コーコを止めるっていう美取との約束。結局反故にしてしまったんだよな、俺。
「あのね。前にコーコも言ってたけど、俺とコーコは恋人でも何でもない、ただの絵画教室の知り合いなんだ」
「……けれど、あのストリートアートは、お二人が描いた」
「それはどうかな。俺たちが描いた証拠なんて、残っていましたか?」
多分、美取は確信の域でそう思ってるんだろう、と思いながらも否定する。俺とコーコには秘密の約束があるからな。
いつの間にか俺たちは、どちらかがそうしようと言ったわけでもないのに裏手の通用口に辿り着いていた。そのまま外へ出て、校舎裏手へ向かう。
この辺りは本当に人気が無い。展示も何もないから当然なのだが、一気に人の体温から解放される分肌寒さを感じる。
「証拠なんて無くたって私には分かります。前に言ったじゃないですか」
「前にって、深夜に会ったあの時?」
何か言ったっけ? 全然思い出せない。
美取は少し俯いて、握りこぶしに暖かい息を吐いた。
「あの時じゃなくて、もっと前に」
「じゃあ、俺が迷子になったとき?」
「もうちょっと――もっと、もっと前かな」
「……?」
俺が、ヤマガクで迷子になるよりも、もっと前って――いやいや。それはあり得ない。一応喫茶店で彼女の面を見ることはしたが、一言だって会話していないし。それより以前となると擦れ違ってすらいない筈だ。
校舎に沿って裏手に周りながら、俺は脇から汗が噴き出る程思考した。
もっと前となると中学校? 小学校? どう考えても美取みたいな可愛い女の子と喋った記憶がない。俺が頭を悩ませていると、
「蓮さんの絵は、何度だって見つけ出します。私は――」
そう、ぼそりと美取が呟いた。
何故か、その言葉には既視感がある。それは丁度、今年の夏前甲塚と出会った直後くらいのことで――そう。熱いシャワーが俺の頭を濡らして――とある熱いすけべの情熱に充てられた夜。
「!?……」
反射的に美取から跳び下がる。
まさか。
……そんな。そんな、馬鹿な。
美取――美、取。……3、take……!?
目の前の美取の唇が、開く。
「好きです」
その時、曲がった角の向こうに、目を見開いてこちらを見つめる郁と甲塚が立っている。
……そういえば、校舎裏手で集合する約束だっけ。
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