第102話 カオスな現場

 昼休みのチャイムが鳴るなり、俺と甲塚は素早く荷物を持って廊下へ出た。そのまま、競歩のようなスピードで廊下を歩き出す。


「ばーっかみたい。ただの落書き如きで騒ぐなんてさ。ヤマガク界隈のSNSじゃ、今朝からその話題で持ちきりよ。私の予想通り、あのオブジェに絵を描くなんて依頼は嘘だったわけね。だから忠告してあげたのに!」


 つかつかと足を素早く動かす甲塚が、器用にも呆れ返ったジェスチャーをしながら言う。


「そ、そのことはあまり言わないで貰える? あと、もちょい声落としてさ……」


「何、あんた。今更ビビってるわけ? かっこ悪。堂々と不良ぶったら良いじゃない? 他校にスプレー缶で落書きをしましたって」

 

「俺は不良なんて器じゃない。まさか、こんなに注目を引くとは……」


 そこに、別方向から早歩きしてきた郁が合流する。それに構わず、甲塚は尚も俺を弄り続ける。忠告を聞かなかった件を相当根に持っているらしい。

 

「注目浴びるのは最初から分かっていたことでしょ。あんた、そんなことも予想しなかったわけ?」


「いやいや。俺は精々、変わった展示だな、って一瞬足を止めるのが関の山だと思ってたからさ……というか、本当にバズってんのか? 何かの間違いじゃなくて?」


「えっ!? バズ!? バズが何!? 何がバズってる!? 誰が!?」


「この馬鹿がよ」


「蓮が!? すっごーい! すごいすごい! 有名人じゃーん!!」


 郁は無邪気にぴょんぴょん跳ねながら拍手をする。


 ヤバいことをしでかしたときに、隣に無邪気な人間がいると滅茶苦茶不安になるのはなんでだろう?

 

「待て待て。バズって言うか……晒し上げられているのでは?」


「そうとも言うかしら」

 

「ん? どゆこと?」


 俺たち三人、早足のまま階段を降りる。


「簡単に言えば、こいつとあの不良女は無断でヤマガクのオブジェに落書きを描いたのよ」


「……はあっ!? 蓮が……ええっ!?」


「簡単に言われると俺が滅茶苦茶悪い奴みたいに聞こえるんだが!? というか、さらっと秘密を暴露するな!」


「何が秘密よ。あの不良女について散々っぱら忠告したってのにさ……! あいつに不審な点があるなんて分かっていたことじゃない。確信犯なのよ、こいつ」


「あ。その言葉誤用……でもないか」


 俺は、ある意味思想を持ち、犯罪と分かった上であの絵を描き上げたわけだし。……そうだよ。そもそも誰かに責められることは、コーコに手を貸すと決めた時点で覚悟していたことじゃないか。一晩眠ってすっかり忘れていた。


 問題は、思った以上の注目を集めてしまっているらしいことなわけで。


「ちょっと待てよ。そういえば、犯人捜しはされてるのか? コーコの奴は無事なのか?」


「それも調べた。でも、今はまだヤマガクも生徒たちもその辺りは言及していないみたい。まだあんたの絵の衝撃で反応が麻痺しているんでしょ。学校側が秘密裏に話を進めるにしても、人がごった返している今のヤマガクじゃ絶対に話題にはなる。多分、無事よ」


「そ、そうか」


 すると、わざわざヤマガクに顔を出すのは危険なんじゃないか?


 ……いや、ここまで来たらコーコを一人にしてはおけないか。


 とにかく、現場へ急がなければ。


 *


 学校から駅まで、駅から電車に乗ってヤマガク前まで、急いだ足ではものの十五分も掛からず到着することができた。

 

 塀を乗り越えすぎて最早馴染みが無い正面の校門に着くと、入場の列が学校の塀に沿って長蛇になっていることに、まず驚いた。文化祭の訪問客というと他の高校の生徒や保護者連中を思い浮かべるもんだが、どう見てもそんな感じじゃ無いのが大人数並んでいる。小洒落た秋服に身を包んだ、高校生よりちょっと垢抜けた連中――あれは大学生か? もしくはフリーター辺りか。


「な、なんだこりゃ。何で大学生なんかがヤマガクの学祭に来てんだ?」


 列の最後尾に並んでから、俺は呻いた。


「別に、OBOGが学祭に来る事なんて珍しいことじゃないわ。ま、この人数を見る限り母校愛に溢れた連中ばかりというわけでもなさそうだけど」


「……というと?」


「どうせ有名人狙いでしょ。ここらの大学生なんて四六時中暇を持て余しているようなもんなんだろうし、授業をサボって――」


「何を言うか!!」


 突然、目の前に並んでいた角刈りの男が甲高い声で怒りだしてきたので固まってしまった。甲塚なんて、ぴょんと両足が浮くぐらい驚くと素早く俺の背中に隠れてしまう。


 角刈りの男は、唖然と口を開く俺たちを前に尚も激昂を続ける。


「麻呂たちは暇などでは無いのでおじゃる!!」


「ま、まろぉ?」


 流石の郁も、意味不明な人称代名詞をオウム返ししているし。


 すると、今度はおじゃる男の前に並んでいた紫モヒカン男が振り向いて言った。


「拙者らは、謎のストリートアートを見に来たのでござるよ」


 そういう紫モヒカン男の顔は、見てくれに反して非常に穏やかであった。


「ストリートアートって、ネットで話題のやつですよね?」こんなときにも一歩前へ踏み込む郁は本当に頼もしい。もう俺も甲塚も、故障したタイムマシンに乗った気分だというのに。「私達あんまり知らないんですけど、この列に並んでる人、みんなそれを見に来たんですか?」


「流石にそう言うわけではござらん。ストリートアートは世間に疎まれ、存在を許されぬ儚い芸術。その雅さを知るのは、拙者らのような芸術界隈の者のみ故……ふふ、失敬。見ての通り、殆どはパンピーでござるよね!」


 紫モヒカン男がわざとらしく儚げな笑みを見せる。


 郁は、「何言ってんだこいつ」というように片眉を持ち上げた。


 いや。……本当に、何言ってんだ? こいつら。


「……貴様!! そこの男!!」


 脈絡も無くおじゃる男が手に持ったセンスで俺を指してきた。……俺だよな?


「は……」


「貴様、高校生でおじゃろう! 平日に学校を抜け出してからに!! しかも女子を連れおって!! 不届き者!! デュクシ! デュクシ!!」


 変な効果音を口で言いながら、おじゃる男がセンスで俺の脇腹を突いてくる。よく見たら、物凄く顔が赤くなっているのは……郁を前にして照れているのか? で、話をしたいけど直接喋り掛けるのは気恥ずかしいから、取り合えず一緒にいる男である俺を弄ってくるとか。


 なんというか……。


 うん。


「ほほっ! 天誅でござるっ! 天誅でござる!」


「ひょっ!? 貴様! 謀反か!?」


 何故か突然テンションが上がった紫モヒカン男が、おじゃる男の脇腹をくすぐり初めた。それで取り敢えず二人の世界に入ってくれたようでホッと息を吐く。その時、ようやく背後に隠れていた甲塚が怯えきった声で喋り掛けてきた。


「なっ、なんなのよこいつら。気味が悪い……!」


「話を聞く限り、芸術にはある程度詳しいようだが」俺は乳繰り合う二人の奇人を眺めながら、小声で答えた。「一人称を変わったものにするなんていう取って付けたような変人キャラ。何処となく溢れる陰キャ臭。それでいて平日朝にも暇そうな立ち振る舞い――多分ここらの芸大生だろう」


 隣に立っている郁が、激しく首を傾げる。


「あ、いや。蓮……それは、何というか……先入観が強いというか。――偏見が激しすぎるというかさ……」


「いや。絵画教室に通ってるとこのくらいの年でこんなひねくれ方する奴結構見るんだよ。エキセントリックという言葉をはき違えるというかな」


「……。……蓮は蓮のままでいてね。お願いだから」


「あ。うん」


 目の前の鬱陶しい二人組のやり取りを聞き流す内に、ようやく校門前の入場者受付に辿り着くことが出来た。ここで身分証明書を提示することで初めて入場が可能、ということらしい。最近じゃ完全チケット制なんて高校も多い中、これくらいで入場を許可するのは、ヤマガクの割には懐が広いと言えるだろう。


 ところが、俺たちは入場してからも列に並ぶことになった。


 目的地である中庭は校門から校舎をぐるりと周っていくのだが、これが正月の神社のような混み合いようなのである。道中の出店でたこ焼きなんかを買いながらじっくり人の流れが進むのを待っていると、ようやく見慣れたオブジェが前方に見えて来た。


 そして、俺は絶叫したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る