第101話 バズりの気配
ただの落書きが、学園を破壊する程の威力を持つことはあるだろうか――
金曜朝、いつもの時間に郁と登校する道すがら、そんなことばかりを考えていた。
桜庭高校ではなんてことはない唯の平日金曜だが、ヤマガクは今日が学祭の一日目。本格的な開催は九時半からってことらしいから、今頃向こうじゃ出店の開店準備なりなんなりで大忙しって所だろうな。
となると、普段ブルーシートで覆われている『青海』も、今頃衆目に曝されている頃合いなんじゃないだろうか。
……昨日、というか今日の五時頃に完成させた、おれたちのグラフィティも。
俺はせり上がってきた欠伸をかみ殺して、大きく背を伸ばした。
そんな様子を見てか隣を歩く郁が吹き出して、歩きながら俺の肩を揉み始める。
「お疲れだねえ、蓮。昨日も、真城先輩の準備手伝い?」
「うん。そう……。まあ、準備手伝いって一口に言えるほど、単純な夜でもなかったんだけど」
「何それ。どういうこと?」
俺の頭の中に、昨晩のコーコの顔が走馬灯のように浮かび上がった。泣き出しそうなコーコ。秘密を守る決意をしたコーコ。真剣に共同作業に精を出すコーコ。深夜テンションでぐるぐると周りながらスプレーを吹き散らかすコーコ。完成した絵を前に放心するコーコ。
最後には、感極まった様子のコーコが「これはお祝いだ!」と袋から缶ジュースを取り出して寄越してきた。……ところがそれが酒だったので噴き出してしまったのだった。とはいえ、中庭に臭いの残る酒を捨てるわけにも行かない。アルコールの味を我慢しながら一缶丸々飲んだ頃、目の前の彼女は酔っ払ってひっくり返ってしまっていた。
……というわけで、俺はふらつくコーコをヤマガク校舎から連れ出して、彼女の家に送るまでしたのだ。
で、家に帰ってきたのが朝六時。
――朝、六時!
寝不足に加えて、昨晩腹に入れたアルコールが今になってゆるりと腹を弱らせている気がする。飲んでいて酔っ払う、とか、頭に血が昇る、とかそういう影響は全然感じなかったけど、どうやら胃腸が拒否反応を示すらしいな。
ほんと碌でもない夜で、最悪なコンディションだ。それでも俺がサボることを考えなかったのは、東海道先生のお説教が効いているということなんだろう。
それでも『青海』に描いたグラフィティが色鮮やかに思い出されるのは、そんな一日に青春的な香りを感じたからか。
「まあ、一口に絵を描くって言っても色々やることがあるってこと」
「ふうん。よく分かんないけど――そうそう! 今日からなんでしょ? ヤマガクの文化祭……!」
「うん。あと三十分もすれば開催される頃だろうけど」
「いやー、なんだか私までわくわくしてきちゃった。蓮の描いた絵が、皆にお披露目されるんだね……! ねえ、今日の昼、学校抜け出してヤマガクに行ってみない? 行ってみようよ!」
「昼休みに、って。……いやいや。そんな時間無いだろ? 一時間くらいで往復できるかよ」
「昼休みどころか、午後の授業サボっちゃえば!」
肩を揉む郁の手つきが、何故か素早くなってきたので慌てて身を離した。
「お前な、そう気軽にサボるだのサボらないだの言うもんじゃないよ。いいか? 青春時代の一日のサボリは、大人になったときの百日に影響するんだぞ」
「蓮がそれ言う!?」
「……という説教を、東海道先生にされたんだよな」
「あっ。ふ~ん」
「大人になった時の事なんて想像できないけど、東海道先生の言うことだろ? ちょっと真に迫った雰囲気だったからさ。俺、結構真面目に受け取ってんだよ。その忠告」
「そっか。で、今日どうする?」
俺は振り返ってまじまじと郁の顔を眺めた。郁は逆に「ん!?」という表情で俺を見つめ返してくる。
こんだけ言って、まだ引き下がるのか!? こいつは。
「急にどうしたんだよ。そんなにヤマガクの文化祭行きたいのか? 学祭なんてどうせ桜庭でもやるじゃん」
「もーっ。私は早く蓮の描いた絵を見たいの!……あと、ヤマガクの学祭で大事な話をするって言ったのは蓮でしょ。なんだかそっちは飄々としているけどさ、こっちは毎晩毎晩悶々としてるんだから……」
「そんなに話聞きたいんなら、こっちはとっくに覚悟を決めてるんだ。今ここで話してやろうか?」
目の前の郁が、あんぐりと口を開いた。
「それは嫌!!」
あまりの拒否っぷりに思わず身を引いてしまう。
「な、なんでぇ」
「雰囲気が無い! 情緒も無い! 気分もそれほど上がってない!!」
「……えらい耳触りが良い文句だな」
「とにかく、私は蓮とヤマガクの文化祭に行きたいの!……ね。ちょっと今日の午後本気で考えてみようよ。一日サボるのと途中で早退するのとは大分違うだろうし。東海道先生を何とか説得して、甲塚さんも誘ってさ。ね?」
「う~ん……」
確かに、今ヤマガクはどんな感じなんだろう。
あの絵がお披露目されたとして……コーコはどうしている?
あいつは今、あの渦中に一人でいる筈だ。
*
「ヤマガクの文化祭を、見学しに行きたいとおっしゃるの?」
朝のホームルーム終了直後に、廊下を歩く東海道先生に声を掛けた。如何にも忙しそうに、大きなバインダーを両手で抱えている。今朝は初っぱなから授業があるんだろう。
「はあ」
「良いのではなくて?」
「……え!? 良いんですか!?」
まさかこんなにあっさりと許可が出るとは。あのお説教は一体何だったんだ。
「わたくしは何も、学校の全ての授業に出席しろとは言っていないのよ。それに、部活の用事で授業を休むなんてことは普通ですもの。佐竹君たちは、人間観察部の用事で緑山学園の文化祭に行きたいとおっしゃるのでしょう? それでしたら、顧問としても止める理由はございません。流石に、午前も空けるということであれば話は違いますけれど」
「あ……それじゃあ、その」
「た、だ、し!」
東海道先生が急にまなじりを上げて、人差し指を突き立てる。
「午後に休む授業の先生には、それぞれお休みすることをを事前にお話すること!」
「うっ」
め、面倒臭い……! このマンモス高校じゃ、教師なんて必ず職員室で捕まるとも限らないってのに。しかも昼休みならいざ知らず、俺たちは昼になるとすぐに桜庭を出なければいけないわけだから……何とか、午前中に行き先の検討を付けて捕まえないと行けないのか。
「出欠確認するとは言っても、事前に連絡するのとしないのとじゃ全然心証は違うものなのよ。甲塚さんも、宮島さんも!」
「……はい。分かりましたよ。他の先生に、話をしておくんですね。午前中に。参ったな……」
「ふふふ。当然ですわ。あまり簡単に授業を休めるなんて考えられたら困りますもの」東海道先生は、綺麗なウインクを見せてこう続けた。「佐竹君の顔、見られないのは寂しいものね」
――東海道先生とそんな話をしている間にも、SNS上ではとんでもない騒ぎが起こっていた。というのを、教室に戻った時に甲塚から聞いた。
【悪質な悪戯】ヤマガク高校文化祭でスプレーによる落書き被害発覚(画像有り)
これは、俺の妄想ではない。
……甲塚が突きつけたスマホに映る、バズった呟きだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます