第98話 夜の邂逅/美取の心配
ヤマガク文化祭を三日後に控えた、水曜夜十一時――
出発前は衣装ケースを粗方開いて、闇に紛れるのには打って付けな地味な服装を選んだつもりだったのだが。
「ちょっと! そこの方!」
ヤマガクの校舎裏手、街灯の頼りない明かりすらも届かない林道に入るなり、背後からいきなり声を掛けられてしまった。
まさかヤマガクの警備員……!? 校舎の周囲を巡回していることは予想していたが、まさかこんな段階で声を掛けられるとは。地味なだけで、そんなに怪しい格好でも無いと思うのに。
「こんなところで、一体何をしているんですか!?」
……どうしてこうも俺は、肝心なところで付いていないんだ……!?
幸い、まだ声かけの段階では、ある。
顔も見られていない。
右の奥歯を噛みしめつつ、蟻のような速度の汗が、額から顎に辿り着くまで数秒。
仕方が無い。ここは一旦ヤマガクから離れて――と、俺が頭の中で結論を出しかけた瞬間、パッと背後から俺の背中を白い光が照らした。声を掛けてきた人物が、ライトか何かで俺を照らしているのだ。目の前に開いた俺の影が小刻みに揺れている……震えているのか?
「か、顔を見せなさい。警察を呼びますよ……!」
ちょっと冷静に声に耳を傾けると、女性の声じゃないか。女性の警備員……いや。警備員ならこんなにビビった声で警察を脅しに使いやしないさ。
それに、記憶違いじゃ無きゃこの綺麗な声色には覚えがある。
怖がらせないようにゆっくり振り向くと、手元で光るスマホの向こうに驚愕した美取の顔が見えた。こんな時間だというのにしっかりと制服を着込んでいる辺り、真面目なのか真面目すぎるのかよく分からなくなってきた。
「……蓮さん!?……どうしてっ!?」
「どうしてって、それはこっちの台詞だよ」
強気にそう言ってから、そういえば美取とは敬語で話していたな、と思い出した。そんなこと、今はいいか。
「女子高生がこんな真夜中に人気の無い道で一人」
見つかったのが夜十一時に何故か居合わせた美取だとはいえ、今の様子が本物の警備員の目にとまる可能性もある。美取のライトはここではあまりに目立つんだ。
「――幾ら風紀委員でも、夜間の見回りはしないよな」
ゆっくりと喋りながら彼女に近づくと、その様子で余計怖がらせてしまったらしい。光源の向こうで、唯でさえ大きい目を見開き、ごくりと喉を鳴らして後ずさってしまう。
「取り敢えず、その明かり消して貰えないですかね。眩しいんですよ」
「……どうして蓮さんがここにいるんですか? あなた、桜庭高校の生徒ですよね!? こんな時間に……!」
「まあ、それは……。兎に角今は明かりを――」
「し、質問に答えて!」
虚勢のようなものを張りながら、さらに美取は後ろ歩きに距離を取ってきた。その時、初めて俺は美取の背後に人影が立っていることに気が付いたのだった。
案の定、前を見ながら後ずさる美取はその人影と接触して……。
ヒャッ!――
と、ゴムを擦ったような悲鳴が林道にキインと響いた。ま、この展開だとそりゃビビるよな。
「佐竹蓮は、ウチが呼んだんだ」
ぬっと現れた人影――コーコが仰天している美鳥からスマホを取り上げながら言う。消灯すると、すぐに美鳥に差し出した。
「真城先輩……!」美鳥はコーコの手からスマホを引っ手繰るように回収すると、取り澄ました低い声で言う。「やはり姿を見せましたね」
コーコは面喰らったように目を丸くした。
「ウチを待ってたのか? 何だよ。ていうか、どうして風紀委員がここにいるんだ? 佐竹蓮?」
「いや、俺に聞かれても。……美取さん。女子一人で、夜中にこんなとこ出歩いてちゃ危ないでしょ。出くわしたのが俺じゃ無くて不審者だったらどうするつもりだったんですか」
「ウチも女子一人で夜中にこんなとこまで出歩いてきたんだけど、何で佐竹蓮はウチにそういうこと言わないんだろ?」
「……お前はちょっと黙っててくれるかな……」
コーコは嫌みというわけでもなく、心の底から不思議に思っている感じで首を傾げた。こいつにはまともに付き合ってられん。
そんな俺とコーコの様子を見比べて、美取はいよいよ困惑を極めたように人差し指の第二関節でで眉間を揉み始める。
「ええっと。蓮さんと真城先輩はお知り合い、なんですね?」
「そうだよ。ウチらは絵画教室の仲間だからね。だから、たまたまこんなところでばったり出くわすことも珍しくないってわけ。おう佐竹蓮、奇遇だな! こんな夜中に、ウチの風紀委員とデートでもしてたのか?」コーコは最早隠す気を感じられないレベルの取り繕いをかますと、ふっと美取の横を歩いて通り過ぎた。「……ま、ウチは用事があるんでね。それじゃ」
「あっ、ちょ。真城先輩!……待って下さい!」
美取の静止も虚しく、コーコは林道の暗がりの中へダッシュで走り去った。美取の視線が途切れたところで塀を乗り越えるつもりなんだろうな。くそっ。結局俺に押しつけやがって。
「……あの人ときたら!」
いつもの平静で透き通るような声色にいくらかの怒りの感情がが混じっている。そういえばさっき気になることを言っていた。……コーコの出現に対して『やはり姿を見せましたね』などと。
この二人の因縁は思ったより深いものなのかも知れない。
「もしかしてコーコの奴を待ち構えていたんですか?」
「真城先輩、ここの所学校中の使っていない備品を集めては中庭から運び出していて……様子がおかしかったので、一応張っていたんです。あの様子じゃ学校に忍び込んで何かするつもりなんでしょうね」
おいおい。作業一日目に風紀委員に夜間の侵入がバレてるじゃねえか。
しかし、妙なことに美取にはこのことを取り沙汰する様子が無いようなのだ。コーコがしでかす何かを、というよりはコーコ本人を心配しているような、気遣わしげな目線をコーコの消えた闇に注いでいる。
それから、意を決したように俺に目を合わせてきた。信念の篭もった綺麗な瞳は見つめるもんじゃない。目を逸らせられなくなる。
「蓮さん。真城先輩のことを止めることは出来ませんか……?」
「う、え? コーコを止める?」
「そうです」先程とは真逆に、目を合わせたまま、ずいと踏み寄ってきた。「蓮さんと真城先輩が実際どんな関係なのか、私には分かりません。けれど、あなたの言うことなら真城先輩は聞く気がするんです」
俺は頭を振った。
「それは買い被りすぎ。あいつはやりたいことを前にしたら、俺が止めろと言って聞くようなやつじゃないんで。そんなことより、そろそろ本当に帰った方が良い。下手すれば警察に連絡している頃合いかも知れませんよ」
「……だったら約束してくれませんか。真城先輩を止めるって」
「いや。だからね」
「約束してくれないと、私はここから帰りません。……約束してください」
美取は俺の目の前で手を広げて言った。そのジェスチャーが何か意味を為しているとはとても思えないが……とにかく、覚悟は伝わってくる。
とはいえ、何を危惧しているのかいまいち分からないな。学校でいたずらをするっていうんならさっきの時点で警察か何かに連絡していれば終わる話だと思うし。
ともかくとして、目の前の美取は俺から一歩も退かないわけで。
「……分かりましたよ。 分かりました! ただし、コーコには忠言をするに留めさせて貰いますよ。そもそも頑固なあいつなんだからね。俺が静止したところで止まるとは思いませんが、とにかく言うだけ言ってみます。それでいいでしょ!? ほんと、早く帰ってくださいよ!」
「承知しました。……蓮さん、よろしくお願いしますね」
そう言い置いて、美取が意味深な去り方をした三分後、中庭に辿り着いた俺は早速豪快にスプレーを噴くコーコを前に絶句していた。
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