第97話 深夜の犯罪計画

 会うのに最早決まりとなっている地下喫茶店の階段を降りると、丁度こちらに向いて座っていたコーコが手を振り上げた。


 店員に会釈して、コーコの正面の席に座る。


「そっちはまたサボリか」


「とか言いながら佐竹蓮だってサボってるだろ」


 徹夜明けの諸々を済ませたあと、寝て起きたら昼の二時だった。


 スマホに届いたコーコからのメッセージは「会って話したい」というもので、土日にでも予定を入れるのかと思ったら、今日、いますぐ、ここに来いと言われたのだ。


 ……まあ、こっちとしても寝て起きた今じゃ暇なだけだから、断る理由も無いんだけどな。


「サボりはサボりでも、こっちは普通に体調不良だよ。……昨晩徹夜したんだ」


「そう!」


 コーコはいきなり机をボンと叩いた。更に乗ったコーヒーがカタカタと震える。


「佐竹蓮は女の裸描くの上手いんだな!」


 コーコが周囲も憚らず高揚した調子でそんなことを言うので、慌てて口に人差し指を立てる。が、とっくに周りの男からは胡乱なものを見る目線が飛んできていた。


「ちょ、アホッ!! 人前でそんなこと言ったらおかしな勘違いされるだろ!」


「勘違いって何の。佐竹蓮が女の裸を描くのが上手いのは事実だろ」


 そう、肩を竦めて言う。……甲塚と感覚の違いがあるのはコーコが芸術界隈の人間だからだろうか。確かに人間のヌードなんて俺たちからすれば見慣れているし描き慣れているものかも知れないけど。それにしてもこいつは頑固というか、自分の世界が地球の裏側まで続いていると信じているというか。


 とにかく、こいつは自分の価値観を全く他人に譲る、ということはしない女なのだ。


 今後はこの辺り、コーコと付き合う上では気を付けた方が良いかもしれない……。


「とにかく、わざわざ平日の昼間に呼び出したのはその件だよな。……今朝送った、あんな感じで良いのか?」


「ああ、そうそう。文句なしだよ。今までの絵も悪く無かったけど、やっぱり女は裸に限るね! 水着のテイクとは全然オーラが違って見えたんだ。なんだかウチの知らない間に一皮剥けたみたいじゃないか」


「そうか。……残る作業は」


「殆ど『青海』に描くだけ。大まかな線画はもう出来上がってるんだ。あとのディテールはウチがやるとして、佐竹蓮には女を描くのと、マスキングとか、こっちのフォローを頼みたい」


 マスキングというと、描く部分以外の保護。家に余ったダンボールとかで良いかな。あれをテープかなんかで貼れば事足りるだろう。特別買いに出る必要も無い。


「つまり、殆ど準備は出来てしまったんだな」

 

「そういうこと。今更だけど、覚悟はしてるだろうね」


 甲塚のコンプレックスらしい体をアートに昇華する。郁には、ヤマガク文化祭当日に俺がすけべ絵師であることを明かす。……うん。大丈夫。

 

「ほんと今更だな。当たり前だろ。……で、いつ描くんだ。昼間に描くんだったら平日だと学校があるし、土日の方が助かるんだけど」


「文化祭の直前二日。金、土で開催されるから、水、木かな」


 俺は口元まで持ち上げたカップを、危うく手から滑らしそうになった。


 ……直前二日間だと? それも平日!?


「なんだってそんなギリギリに!? 普通もっと猶予あるスケジュールにするだろ!」


 俺のクレームを前に、コーコは鬱陶しそうに髪を手で梳いて答える。


「色々こっちにも都合があるんだからしょうがないだろ。スプレー缶を使うんだから臭いがどうだとか、塗料の粉末がどうだとか色々言われてるんだ。ウチの文化祭じゃ中庭の準備可能期間は本番三日前までと決まっていて、直前の二日は清掃に充てることになってんの。その時期は中庭から殆どの人が退けるから、存分にスプレーを噴けるチャンスなんだよ」


「ええ……」


 スプレー缶の臭いか。その発想は無かったけど、言われて見ればキツい臭いになるかもしれない。塗料というのはキャンバスの食いつきが強いものほど塗装する際の健康被害が大きい傾向にある。ましてやストリートアートなんて雨風に曝されるわけだから相当なもんだろう。


「それじゃあ、平日昼間しかないのか。参ったな……」


 今朝、俺はあれほどの台詞を東海道先生に言わせたんだ。周囲の人間なんて大抵が俺をマイナス評価しているもんだと今までは自棄っぱちな生活を送っていた。……でも今は違う。


 あまり幻滅させるようなことはやりたく無いんだ。


 俺が頭を抱えて悩んでいると、コーコが見かねたように意外なことを言い出してきた。


「それじゃあこうしよう。直前の二日間は夜に学校へ忍び込むんだ」


「夜に? 許可申請は出すにしても、そんな時間に部外者が学校に入れるのか?」


「まさか! 部外者どころか、ヤマガク生でも夜の校舎は入れないよ! 夜十時にもなれば学校中のセンサーが起動して一足踏み込もうモンなら警備員がすっ飛んでくるからね……! 人がいないとしても、侵入するなら玄関はおすすめしない。普通教室の窓からなら入れるけど、廊下にもセンサーが張り巡らされているし、そもそも警備員が全ての窓をチェックしている」


「何か、やけに詳しい気がするんだけど」


「うん。一度ウチの美術部の備品を拝借しようとして酷い目に遭ったんだ。昔取った杵柄ってやつかな」


 ……なるほど。


 こいつが警備員に蛇蝎の如く嫌われている理由がよく分かった。夜間に忍び込んで備品を盗み出そうとするなんて問題児どころじゃない。


 ほぼ犯罪者――というか犯罪者。よく逮捕も追放もされなかったもんだ。


「あの時は流石に焦ったね。警備員は全力疾走で追ってくるわ、学校の警報は鳴り響くわ。なんとか顔を見られる前に塀から飛び越えて逃げおおせたんだけどさ。警備のジジイときたら、証拠も無いくせに騒ぎの犯人がウチだと決めつけてるんだ。全く失礼だ!」


「失礼も何も、実際に犯人はお前なんだが……」


 青ざめて呻く俺の前に、人差し指を振ってコーコは笑った。


「わかってないねえ、佐竹蓮は。この国じゃ大抵のことをしでかしても証拠さえなければ問題ないんだよっ」


 こいつの頭の中では、「ウチの活動に必要なものが高校にある。なら取ってこよう!」くらいのところで思考が完結しているんだろうな。……何か、IQを二桁くらいまで落とした甲塚みたいだ。馬鹿だけど行動力と本能とセンスオブワンダーで動く分厄介さが激増している気がする。


「というか、それなら余計夜に忍び込んで絵を描くなんて無理な気がするんだけど」


「佐竹蓮。私は、『校舎への侵入はおすすめしない』って言ってるんだよ」


「うん。……だから?」


 コーコはがはぁっと溜息を吐いてソファにもたれ込んだ。


「だあ、かあ、らあ。ヤマガクのオブジェのある中庭まで行くのに、ウチらは態々校舎の正面玄関から入って、校舎の中から中庭に出る必要がある? 違うだろ!? 第一校舎にある中庭は、コの字に開放してあるんだぞ! 塀から敷地に侵入して、堂々と校舎の周りをぐるりと回りゃいい話だろが!!」


「あ」


 そうか。ヤマガクの中庭は外から入れるようになってるんだっけ。侵入検知のセンサーが校舎の中にあるというのなら、コーコの言うとおり校舎の外周を廻ってそのまま侵入すれば良い話なのか。


 まさしく抜け道。灯台もと暗し。


 ――【深夜のいたずらか】高校生カップル、私立緑山学園高等学校に不法侵入


 頭にポッと浮かんだ不吉な文字を、慌てて頭を振って払う。


 そうだよなあ。これって滅茶苦茶犯罪だよ。


「で、どうすんの。ウチは昼間でも夜でもどっちでも良いんだけどね」


「う……」


 俺の中で、東海道先生の信頼と、罪悪感を乗せた天秤が揺れ動くのを感じる。サボりなんてつまらないことで、これ以上先生を幻滅させたくない。かといって、コーコと一緒に犯罪行為をするなど……ああ、くそ。


「……分かった。やるよ。夜に、ヤマガクに侵入する」


「そう来なくっちゃ!」


 何故かコーコは嬉しそうにソファから体を起こして言った。


「ただし! もし警備員に捕まる、なんてことになったらな。お前に無理矢理連れ込まれたとか言っちゃうからな。そのつもりでいろよ」


「ああ。大丈夫大丈夫! ウチは佐竹蓮を囮にして逃げるからさ。その時はヨロシク」


 ――こうして、碌でもない犯罪計画が俺たちの中で決まったのだった。

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