第82話 その名は、シンドウ

 特に劇的なフィナーレがあるわけでもなくテストは終了した。一日中頭を捻じり上げるような苦痛の後で喝采の一つも無いのかと周りを見回しても、クラスの面々はホッとした表情を浮かべるばかりである。


 そんな連中も、東海道先生が終業の挨拶をするなりビャッと出て行ってしまった。教室を去る彼らグループは今日はカラオケだ焼き肉だと大騒ぎしていた。


 なるほど、テストのフィナーレは友人同士の打ち上げということか……? じゃあ、クラスで孤立無援になっている俺には残念ながら関係のない話だ。


 それにしても――と、祭の後みたいな教室で俺は思う。


 休み明けから一ヶ月、いつの間にかクラスの中もすっかりグループが出来上がっているようだな。上位グループ、中くらいのグループ、下層グループと、山から流れる土砂みたいに層が別れているのは自然の摂理という感じがする。未だに地に足を付けていない俺と甲塚は、一体どこまで流されれて行くのだろうか。


「佐竹君。ご苦労様ですわ」


 東海道先生が教壇からやってきた。何だか嬉しそうな、ほっとしたような顔をしている。


「テスト当日までよく頑張りました! わたくし感動しましたわ」


「あー……期待を裏切るようなんですけど、出来は大して良く無さそうですよ」俺は重たい瞼を擦りながら呻いた。「赤点は、流石に躱していると思うんですがね」


「佐竹君はわたくしの期待を裏切ってなんかいませんわ。こんなに真剣にテストに臨んだのですもの。……以前の無気力だった佐竹君からは考えられない進歩だわ!」


 東海道先生は、ぴょんと一飛びして見せた。


「俺、そんなに無気力な生徒に見えてたんですか……?」

 

「それはもう。高校一年生のくせに、世捨て人みたいな雰囲気だったから心配だったのよ? 甲塚さんのねつ造入部届を受理したのは、わたくしながらナイスでした」


「あの、それ堂々と認めるのもどうかと思うんですけど」


「佐竹君が甲塚さんと一緒に活動するようになってから、色々な出来事が良い方向に進んでいるのは確かです。夏の合宿も、今回の勉強会も……この調子で、部活動が健全化してくれるとわたくしはもっと嬉しいのですけれど」


 俺は溜息を吐いて立ち上がった。姿の見えない甲塚はとっくに部室へ向かったらしい。テスト直後と言うのにサバサバした奴だ。


「それは俺も望むところです。けど、人間観察部が人間観察を止めることは無いと思いますよ。甲塚の熱意は並々ならぬものを感じますからね。部長がああなら従うのが部員ってもんでしょ」


 俺が教室を出ると、東海道先生も横並びで付いてくる。このまま部室に向かうつもりなんだろう。


「――それは、わたくしも悩んでいるところなのです。理由は深く語れませんが、甲塚さんはきっとこの学校、ひいては学園生活そのものを恨んでいるのでしょう」


「甲塚が、理事長の孫っていう件ですか」


「そうそ――うぅっ!?」


 さらっとカミングアウトすると、いきなり東海道先生が人気の無い方向に腕を引っ張って、壁際に押しつけてきた。いつかとは真逆の立ち位置だ。いっても東海道先生は身長が低いので、壁ドンされてもあまり迫力が無いけど。


「あなたっ、なんでそのことを!」

 

 なんでと言われても、俺はこのことを生徒会長である氷室会長から一方的に聞かされただけなのだ。だから、情報の出元を隠すことに執着は無いのだが……もしかして、今の慌てている東海道先生から情報を引き出せるんじゃないか?


「何でって、俺がこのことを知っているのがおかしいですか?」


 というわけで俺は取り敢えず、すっとぼけてみた。俺のすっとぼけは今まで通用した試しは無いけど、今回は相手が良かったらしい。


 東海道先生は気勢を削がれたようで、あっさりと壁ドンを解除する。


「……おかしく、ないですわね。そうよね……あなたと甲塚さんだもの。本人の口から聞いていてもおかしくない……」


 おおっ!


 人間、困ったときは取り敢えずすっとぼけるもんだな。何か良い感じに勘違いしているぞ。


「あの、甲塚が理事長の孫って話、そんなに知られちゃまずい話なんですか?」


「そうですわねえ。理事長から直接言われたわけではありませんけど、生徒の家庭事情に繋がる話でもありますから……。シンドウ先生の一件は、他の先生方にとってもあまり良い思い出では無い筈ですもの」


 シンドウ先生?


 俺は好奇心が表情に出ようとするところを、咄嗟に無表情で装うことができた。


 シンドウ先生……シンドウ。


 学校じゃ聞き慣れない名前だが、話の流れから察するに――


「シンドウ先生って、理事長の……」


「そうです。シンドウ理事長のご子息であり、甲塚さんのお父様。元、が付いてしまいますけれど」


「ですよね。……それで、甲塚が小学生のころ失踪したって本当ですか?」


 俺がまた踏み込むと、東海道先生は更に驚いた顔をした。

 

「そこまで聞いていましたの?」


「まあ、お互いの身の上話をしたときに話の流れで」


「あなたたち、本当に仲が良いのねえ」


 先生は何故か暗い表情で呻いた。


「俺と甲塚の仲なんて大したもんじゃないですよ。……で、失踪したっていうのは?」


「わたくしもそう聞いています。桜庭高校はこの辺りでは最も生徒数が多く、古参の教師が沢山在籍していますから……。今年理事長の孫が入学してくる、ということで裏で色々聞かされていますのよ。箝口令というやつですわ」


「はぁ、なるほどねえ」


 情報を整理するに、甲塚の父であるシンドウ先生は母親が理事長をやっているこの高校に教師として籍を置いていた、と。


 ところが、シンドウ先生は『ある出来事』を切っ掛けに学校を去り、甲塚が小学生の頃に消息を絶った……。


 まさか甲塚の父親がこの高校の教師をやっていたとは。


 ここまで来ると、『ある出来事』が気になるところだけど、今の話の流れから聞き出すのは難しそうだな。しかし、『シンドウ』『桜庭高校』をキーワードに新聞やネットを漁れば当たりが付くかも知れない。


 ……何か、また甲塚の秘密に一歩近づいてしまった自分がいる。


 郁が欲しがっている、甲塚の秘密を。


 それも、東海道先生を騙す形で。


 氷室会長が俺に秘密を囁いたとき、彼は「蓮なら、そう悪いようにはしないだろ?」と分かりきったようなことを言っていた。確かに悪いようにするつもりはないけれど――だからと言って、本人に知られないまま知る秘密に果たして真心は宿るのか。


 甲塚の真意は分からない……。


 *


 部室に行くと、これ以上ない程ぽやぽやした表情の郁が座っていた。


「……その様子じゃテストは上手く行ったみたいだな」


「ん? おお、蓮! ぬふふふふふ」


 こんなにキモい笑い方をする郁は初めて見た。


「宮島さんもテストご苦労様ですわ。甲塚さんも」


 東海道先生は席に腰を降ろしながら二人を労う。彼女に定位置があるわけではないが、時たま差し入れを持ってきてはこうして座に加わることもあるのだ。


「この一ヶ月、三人ともよく頑張ったじゃありませんか。今日はテストも終わったことだし、部を挙げて打ち上げでもするのかしら?」


「打ち上げなんて予定には入ってないわよ」


 一方、甲塚はノートパソコンを仏頂面で弄る、いつものスタイルに戻っていた。……非常期間の終わりを感じるな。優しくも厳しい甲塚先生の影はあっさり消え失せている。


「えっ!? しないの!? 打ち上げ!」


「当たり前でしょ。他の連中と違ってうちは忙しいんだから。私達がやるべきことは、周囲のムードに流されて一緒に浮かれることじゃない。奴らが寝ている間に働き、奴らが遊んでいる間に計画を進行させるのよ」


「甲塚さんたら。戦国時代の武将みたいですわ……」


「ブラック部活は慣れたし良いけど、何するつもり何だよ」


「これからの話をするのよ。佐竹」


「あん?」


「飯島美取の、話をするの」

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