第83話 ヤマガクへの潜入

 テストの後に部活という最後まで中身たっぷりの一日を終えて、這々の体で自室に帰ってきた。


 ……流石に今日は疲れた。


 制服から着替え無いまま、ごろりとベッドに転がる。


 甲塚の話ってのは、簡単に言えば俺がヤマガクにスパイをしに行くという計画だ。いわく、デザイン案を詰める段階から何だかんだと言い訳を付けてコーコにヤマコウを案内させろと言うのである。


 なんとまあ、場当たり的というか、無茶振りというか……。とはいえ、コーコの話ではオブジェにペイントをする期間は実質二日っきり。それも当日は作業に掛かりきりになるだろうから、スパイ活動をするにしてももう少し時間が欲しいのは確かだ。


 夏の合宿で随分信頼を失った筈なんだが、よくも懲りずに俺を計画の主体にするよな。

 

「はあ~……」


 俺は溜息を吐いて起き上がって、早速コーコにメッセージを飛ばしておいた。面倒臭いことは早いとこ済ませるに限る。そもそも他校の生徒がヤマガク校内に潜り込むことが可能かどうかは知らないが――そうだな。言い訳は「デザインを考える前に、オブジェを実際に観察してみたいんだけど」こんなところでどうだろうか。


 メッセージを飛ばした後、俺はパソコン前に移動して、ヤマガクのオブジェを画像で出してみた。


 青い空と白亜の校舎を背景にした中庭。丸く縁取られた緑の芝生のど真ん中に立っている銀色の鉄板――これが例のオブジェだ。


 オブジェの前には、長いベンチが三脚並んでいるが……ベンチの実寸から考えたら相当な大きさになるのではないだろうか。


 コーコの話だと、このドデカい鉄板が太陽光を照り返すことから、周辺住民のヘイトを買っているらしい。何とも今っぽいクレームだが、この存在感から考えたら納得できる。


 しかし、この鉄の板に塗装を施すとなると……使用する塗料はラッカー系スプレーになるのか? だとすれば、塗料が垂れることを防ぐために重ね塗りをする必要がある。思ったより時間が掛かるのではないだろうか。


 絵を描く際に、下地となる素材は塗料を選択する上で非常に重要な要素だ。普段俺が相手をするキャンバスなら大抵の塗料・色を受け付けるから意識することは少ないけど、物によっては使用できる色まで限定される可能性もある。それにこの大きさだと脚立も要るよな。


 ……ただの言い訳のつもりだったけど、マジでこのオブジェを観察してみたくなってきた。コーコは二日もあれば終わると言っていたけど、下手をしたらかなりの強行軍になるぞ。


 俺がスケジュールに危機感を憶えた辺りでスマートフォンが震えた。コーコから……メッセージではなく、着信だ。慌てて通話を繋げる。


「佐竹蓮。明日ヤマガク来る?」


「……明日!?」


「明日。確かに、下地は確認しておいた方がデザインも決めやすいと思ってね。いいとこに気が付くよな」


 何てこった。まさかこうもストレートに話が進むとは。


 それにしても、明日ってのは性急過ぎる……。


「ちょっと待て。俺、今日テストだったんだよ。明日くらいはゆっくりさせて欲しい」


「じゃあ明後日だな」


 明後日も平日だ。


「明後日の放課後なら、まあ……。ていうか、さらっと言ってるけどヤマガクって部外者入れるのか?」


「ああ、大丈夫。それじゃあ明後日よろしく」


「おう」


 そういうわけで、あっさりと甲塚の作戦第一歩の段取りが付いてしまった。


 *


 今、俺の目の前では緑山学園高等学校――通称ヤマガクの校門が広々と口を開いている。


 放課後一目散に駅へ向かった甲斐あってか、続々と帰宅部が出てきている所に居合わせることが出来た。今なら飯島も部活か何かで校内にいるかも知れない。


「へ~。ヤマガクの生徒って、お洒落な人多いね。ヤマコウとヤマガクって名前は似てるけどやっぱ雰囲気違うんだ。ヤマコウは何て言うか……上品?」


 腕を組んだ郁が、感心したように唸った。確かに、目の前の校門から排出されてくる生徒は一人一人キラキラしているというか、……何か郁と同じ人種という感じがするな。


「そりゃ学費も入試の難易度も違うもの。人間性の違いというよりは家庭の格の違いでしょ」


 人目から俺の背中に隠れている甲塚が言う。


「すると、桜庭高校のポジションはどうなんだ? 一応同じ私立で、近所で、ヤマコウほどお上品でもなく、ヤマガクほどお洒落でも無い……ダサい奴が集まっているのか? もしかして」


「ウチはまあ、中庸……偏差値的には一応ヤマガクより上の筈だけど」


「それって何だかパッとしなくないか?」


「強いて言えば、緑山大学に決めているわけではないけど難関大学を目指している生徒は総生徒数的に多い筈よ。難関私立だけでなく、首都圏の難関国公立の入学者数も多いし」


「へえ。そうなのか……っていうか」


 俺は振り向いて、甲塚と郁を見た。


「何でお前らが付いてきてるわけ?」


「え。だって他の高校を見学するなんて楽しそうだもん! 蓮だけに行かせるのは勿体ないでしょ? それに、こっちにも同中の友達いるし。ばったり顔会わせたりしたら面白そうだもんね」


 郁は好奇心満々の表情で元気に答えた。……要するに物見遊山ってわけかよ。


「佐竹は夏の合宿の件で失敗したマエがあるもの。監視の目を入れないと、またつまらないヘマをするかも知れないでしょう」


 甲塚はそう言いながらも、一々擦れ違うヤマガク生を怖がっているようだ。これじゃ監視も何も、なんの役にも立たない気がするのだが。


「俺の監視に二人も必要なのか? そんなに俺って信用無いのかな」


「違う」そのとき、俺の背後に気付かなかったヤマガク生が甲塚と方を擦った。それだけで彼女は大いに動揺したようだ。「あ、あんたの、監視なんて一人でいいわっ。もう一人は、ここら辺で校門から出てくる人の中に飯島がいないかを監視する。も、もし出てきたら、尾行するんじゃない。私達は、校内の飯島の生活なんてまるで知らないんだから」


「あー、なるほど」


 意外にも理に適った言い分が甲塚から出てきた。こんなにテンパっているというのに、流石人間観察部の部長だな。


「え? それじゃあ誰がここに残るの?」


「そんなもん、甲塚に決まってるだろ」


 俺が断定口調で言うと、背中に隠れていた甲塚が不満そうに顔を出してきた。


「何よ。なんで私に決めつけるわけ?」


「だってお前、知らない人だらけの他校でまともにスパイなんて出来るのかよ」


「……」


「無理だろ? その点、郁なら持ち前のコミュ力でどんな環境にも平気で顔を突っ込める。甲塚の方は尾行が得意なんだから、ここは適材適所ってやつだろ」


「……う……」

 

「というわけなんだけど。行けるか?」


 一人悔しそうに呻く甲塚を置いて、郁に声を掛ける。


「もっちろん! 他の高校を見学するなんてわくわくするイベントだよね! なんか、中学で練習試合行ってたの思い出すなぁ~」


「じゃあ、甲塚。ここは頼んだぞ」


「わ、分かったわよ……でも、あんたが仕切ってるのが腹立つっ」


 甲塚が俺の背中をパンチしてきた。が、勿論痛くない。

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