第81話 決戦のテスト

 テスト当日の朝はただならぬ緊張感で郁と登校した。俺も郁も、この一ヶ月はそれこそケツに火が付いたような勢いで勉強してきたのだ。まさか百点とまでは望まないけど、学内順位で上位に入るくらいは夢見ても罰は当たらないはずだ。自己目標は置いといても、ここで点数を取っておかないと甲塚に何て言われるか分かったもんでは無いのである。


 それだけじゃない。


 部室で勉強をしている内に、どうやら俺たちは東海道先生の期待まで背負ってしまったらしかった。ある時は、ふと気配を感じた扉の窓に先生の顔が見えてギョッとしたり、またある時は、差し入れと言って前触れも無くお菓子の差し入れをしてくる。……お菓子のセンスがおばあちゃんで、殆ど焼き菓子だったのは参ったけど。先生は先生なりに、俺の成績を心配していたのかもしれない。


 とにかく、年の瀬を落ち着いて過ごせるかどうかはこのテストに掛かっているというわけだな。


「ああ~っ。どうしよう! もうテスト当日になっちゃったよ! あと三日もあったら、副教科の暗記まで手が出せたのにな」


 そう言いながらも、郁は未練がましく教科書を捲りながら歩いている。


「今更そんなことしても、点数が上がらないって。……近くで見ていた俺が保証する。お前はやるだけやったよ。この一ヶ月頑張ってたもんな」


「蓮……!」


 まあ、忙しさで言えば絵画教室と二足の草鞋をしていた俺の方が胸を張れるところだけど。それにしても、郁の悲惨な学力はかなり持ち直した筈だ。


「ここまで来たら悔いもないだろ。留年しても」


「あるよっ! 留年なんてしたら、バッドエンドどころかゲームオーバーなんだよ!? あ~あっ。蓮は良いよね。赤点取ったこと無くて。私だけ甲塚さんに勉強教えて貰えば良かったのに」


 俺は吹き出して郁の頭をコツンと叩いた。


「なあに言ってんだ。そもそも俺が甲塚に勉強を教えて貰うように頼んだところを、そっちが割り込んできたんだろが。しかも何だかんだで殆ど郁の面倒見てたし」つまり、勉強会と言いながら殆どの時間を俺は自習していたのだ。「……待てよ。よく考えたら俺って殆ど郁の勉強に付き合わされていたんじゃ……?」


「アッハハハ。まあ、まあ。そこは良いじゃない。それよりも!……もう、テスト当日になっちゃったよ」


「あと三日もあったら副教科の暗記まで手が出せただろうにな――って、何か話がループしてるんだけど」


 俺が適当に突っ込むと、突然郁が両肩を掴んで無理くり顔を合わせてきた。


 さっきまでのおちゃらけた様子から一転、真剣な表情の郁を前に、思わず目を瞬いてしまう。


「もう……! テスト当日になったってことは、勉強会が終わるってことなんだよ? 蓮はその意味が分かってるのかな」


 勉強会が終わるということの、意味?


 困惑しているだろう俺の顔を前に、郁はがっくりと頭を垂れて溜息を吐いた。


「もー……。あのねえ、私がどうして人間観察部に入部したのか忘れたの?」


「郁が人間観察部に入った理由? 勿論憶えてるぞ。お前が乙女ゲーオタクだってことが甲塚にバレたから――」


 適当なことを言うと、例の首をガタガタ言わせる攻撃をしてきた。郁には自覚が無いかも知れないが、これは死の危険を感じる程の勢いなのだ。


「ちっがーう!! 私達で甲塚さんの秘密を突き止めて、あの子の野望にストップを掛けるためでしょっ!」


「えっ! それ憶えてたの!?」


 郁のことだから、もうとっくのとうに忘れたもんだと思っていた。


 実はそうなのだ。


 郁が人間観察部に入部した理由は、表向きにはショウタロウの秘密に興味があるからということになっている。しかし、その裏には甲塚の身内になってしまえば自分の秘密がばらされることは無いだろうという読み、それに甲塚の急所――秘密を掴んで馬鹿な企みを止めさせるためと、郁にしては中々計算高い企みがあるのだった。流石に徹夜で(徹夜じゃないけど)考えただけのことはある。


 しかし、郁と甲塚の企みはそれぞれ真っ正面から反発しあっているわけで、何の思想にも染まっていない俺としては困ったもんなのだ。そういう、誰の味方をする代わりに誰の敵になるだとかは、平和と静寂を愛する俺からしたら最も忌避するべき話と言って良い。


 だから、しらばっくれて有耶無耶になるのを期待していたんだが……まさか憶えていたとは!


「憶えてたの? って。蓮は部活に通う私のことをどう思ってたの……?」


「てっきり、学園生活をエンジョイしているもんだと思ってたよ。何か脳天気に見えるし。甲塚とも結構仲良くなってきたと思ってたんだけど」


 郁は目玉を上に向けて前髪を吹いた。それから再び歩きだす。


「……まあ、たしかに、楽しいよ。人間観察部……。最初は、甲塚さんって変わった子だなって思ってたけど、接している内にただの女の子だ――とは言い切れないけど、ただの女の子の部分もあるってことが分かったし。それに、こうして蓮とまた登校できているのも、考えてみれば甲塚さんのお陰だもんね」

 

 それは、確かに。


 甲塚の学校に対する復讐心が、巡り巡って俺と郁の友好を復興させるとは――なんか、ことわざにでもなりそうな話だな。


「でも。……私は甲塚さんの秘密を諦めたわけじゃないんだよ。というか、余計知らなきゃいけないと思ってる。今は」


「何で」


「甲塚さんを止めるには、多分それ以外に手段が無いから。蓮も分かってるんでしょ? あの子、誰かが裾を引っ張ってあげないと……」


 前を歩く郁が、言い淀んだ。


「あげないと?」

 

「破滅しちゃうんじゃないかなあ」


 郁は『破滅』という言葉を冗談みたいな口調で言ってみせた。けど、ひょうきんな心でそんな怖い言葉を発したわけじゃないと、俺は彼女の背中を眺めながら思う。


 郁の冗談は、もっとつまらないはずだ。


 ……。ん?

 

「あれ? それじゃあもしかして、部活を停止させるために勉強会なんかに割り込んできたのか!?」


「ん? ふふふ」


 郁は振り向かないまま、後ろで手を組んだ。


 どうしたことだ。あの郁が、物凄い策士に見えて来たぞ……!

 

「何だ! それじゃあ真面目に勉強に付き合うことも無かったのか……。赤点取ったってのも嘘なんだろ?」


 郁は振り向かないまま、背中を丸めてまた教科書を読み込み始めた。


「……郁?」


「私、一石二鳥って言葉好きなんだぁ~」


「あ、そう……」


郁の声は虚ろであった。


 *


 テスト一発目は、俺の苦手科目である国語――現代文・古典・漢文という、日本語中国語入り交じる総合格闘技である。


 俺は自分の肝を絞るつもりで漢字や甲塚お手製ノートの内容を思い出し、額に脂汗を流し、バックドロップを決める覚悟で鉛筆を置いた。


 続いて数学。これも俺の苦手科目である。甲塚によれば国語と数学は高校課程の背骨と言っても良い存在だ。

 

 国語ほど苦戦を強いられない戦いだった。何と言っても、この時期の肝は三角比だの正弦定理だのといった三角関数なんだ。こんなものは場数を踏めば何でも来いという感じで相手にならない。俺は自信満々でペンを置いた。


 社会――俺は地理・世界史を選択している。地理の方は甲塚によれば資料集の読み込みが重要とのことだったな。確か、統計上位の地名を頭に叩き込んでおくだけでも細かい得点が稼げるとのことだった。しかし、この科目の難しい所は地形・産業・気候の三要素を手がかりに問題文を推理することにある。


 また、世界史の方は一度全貌を把握してから細部を詰めていくのが良いと言うことだった。ちなみに俺が世界史を選択したのは、美大では世界の美術史を学ぶと聞いたことがあるからだ。


 この両科目について、俺は祈る気持ちでペンを置いた。


 続いて物理。正直、美大を受験するとなると、社会と物理は合わせて勉強する必要は殆ど無い。しかし、人生何があるか分かったもんじゃないので一応俺は取っている。


 問題を解く間、甲塚の言うことがかなり身に染みるのを俺は感じた。何と言っても、数学を徹底的に鍛えた影響がここに現れている。物理とは詰まるところ難しい問題文の読み解きと、幾つかの公式の暗記、それに単位の変換さえできれば数学の問題とそう変わらないのだ。この調子なら、理系科目で受験するのはありかもな。俺は笑顔でペンを置いた。


 最後に英語。ここまで来ると俺の脳みそはヘトヘトだ。集中力が保たなかったのか、俺はあっというまに回答欄の空白を記憶や目に付いた文章からポンポンと入れていき、気付けば三十分程度で全問回答してしまった。


 流石にこうも適当じゃ赤点だよな、と思い直して、ハナから問題を読み直してみる。ところが、どの解答も空白を埋めているだけでそれっぽく見えてくるので参った。俺はもうどうにでもなっちまえとペンを放り出して眠った。

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