第80話 見えない好感度の測り方

 外に出ると、やはり雨の勢いは止んでいた。しかし、強風は水たまりの表面を弾くほどの威力だ。この調子だと、夜の内にもう一塊の雨雲を運んできそうな気がする。


 マンションのエントランスから駆け出ると、こちらの様子を窺っていたらしい郁が扉を少し開いて手招きをしてきた。


「二人とも~! 急いで急いで~!」


 俺たちは急かされるままに宮島家の玄関ポーチに上がり込んだ。少し快方に向かったとはいっても、傘からはみ出していた左肩が結構濡れている。まあ、甲塚を濡らして文句言われるよりは全然良いけど。


「あれ、甲塚さん着替えなんて持ってたの?」


 甲塚を迎え入れる郁が、意外そうな顔をして言った。


「いや、それ俺の服」


「蓮の服? 蓮って、自分の服を女子に着せるような性癖あったの?」


 ……このくだり、さっきもあっただろ。


「馬鹿。濡れそぼった女子に服を貸しただけで、なんで性犯罪者みたいな扱いをされなきゃいけないんだよ。大体、そっちが部屋の片付けなんて言い出さなきゃ、さっさと風呂でも入ってるとこなんだぞ」


「わ、分かってるよ。ごめんごめん。丁度さっき湧いたところだから。甲塚さん、お風呂にする? ご飯にする?」


「私、どっちでも良いんだけど……。あ、先に着替えを借りたいから、お風呂にしようかな」


「着替えたんじゃないの?」


 甲塚は困ったように襟を引っ張った。


「このスウェット、私にはちょっと大きいとうか、小さいというか。……それに、ほら。あるでしょ。色々」


「あ~……」


 何だか生々しい会話が始まってしまった。男子はここらが潮時か。


「それじゃあ、勉強頑張れよ」


 ……って、どうせ明日には勉強会か。いつも土日は絵画教室に行っている俺でも、今週は流石に休みを取っている。来週にはいよいよ夏休み以来目下の悩みであったテストなのだ。丁度甲塚もいることだし、久しぶりにカラオケで勉強に集中するのも良いだろう。


 そういえば、当初は赤点を回避するなんてしょぼい目標だったというのに、今じゃどれだけの点数を取るかに意識がシフトしていた。学校の勉強なんてどうでも良いと思っていたのに、為せば成る、やれば出来るとはこのことじゃないか。まあ、まだ成ってもないし出来てもいないけど。


 玄関ポーチから傘を差して歩き出すと、三歩目で身動きが取れなくなった。


 首を回して後ろを見ると、玄関から腕を伸ばした郁がベルトを片手で掴んでいる。こんな不安定な姿勢で、俺の体を軽々と――こいつの怪力列伝は留まるところを知らないのか。


「ちょっとちょっと。君はまた、何を忍者みたいに姿をくらまそうとしているのかな」


「普通に帰ろうとしてるだけなんだけど……今更帰りの挨拶でもしろってのか?」


「じゃなくって!」郁が、強引に玄関へと俺を引き込む。……片手で。「何で帰っちゃうのさ。せっかく雨の中出てきたのに」


「……?」


 郁は、どうして俺が帰らない前提の話をしているんだろう。


 困惑してると、スリッパを履いて上がっている甲塚も怪訝な顔で物言いをしてきた。

 

「あんたまさか、蓮まで家に泊めるつもりでいたの? 幾ら幼馴染みだからって、流石にそれはちょっと……」


「え!? 違う違う! ご飯だよ、ご飯! 丁度今日鍋だったから、甲塚さんのついでに蓮も私の家でご飯食べていけばってこと! さっき連絡したじゃん!」


 連絡? スマートフォンを確認してみても、「今終わった! 来て!」というメッセージの他には何も無い。


 まさか――まさかとは思うが、「(丁度今日鍋だったから、甲塚さんのついでに蓮も私の家でご飯食べていきなよ。片付けは)今終わった! 来て!」ということか……!? 明らかに行間に詰め込める情報量じゃないだろ。


「郁の家でご飯って、急な話だよなあ」


「蓮、晩ご飯食べてないんでしょ? さっき親いないって言ってたし、どうせレンジでチンするようなもの食べるつもりだったんでしょ。しかも、長いことそんな感じで晩ご飯食べてるんじゃないの」


「……マシンガンみたいに図星を突くなっ」


「でも、良いんじゃない。蓮が一緒なら、何とか間も持ちそうだし。夕食の間くらい付き合いなさいよね」


 二対一か。まあ、強気に断るようなことでも無いけど。


「分かったよ。そこまで言うんなら、食べていくよ」


「うん。ていうか、もうママに甲塚さんと蓮が食べていくって話しちゃってるから、決定事項だったんだけどね」


「なんだよそれ」


 結局郁の勧めのままに家へ上がり込んでしまった。三人縦になって居間へ向かう道中、先頭の郁がいきなり「ぎゃっ」と叫びだしてこちらに振り返る。


「……なんだよっ。ビックリするなぁ!」


「名前呼び!?」


 郁は俺の不平を全く意に介さず変なことを言い出した。

 

「な、名前呼び?」


「甲塚さんが、蓮のこと名前で呼んでるんだけど……」


 ……そうだっけ? 甲塚の方を見ると、


「呼んでないわよ」と顔色一つ変えずに否定してきた。


「いやいや、呼んでたって! 『蓮』って! 何!? 二人の時になんかした?」


「呼んでないし、何もしてないわよ」


 あれ? というか、俺って甲塚に何て呼ばれてたんだっけ……。


 いつも、食卓の醤油みたいな呼ばれ方をしている印象しか無いんだが。


 でも、言われれば確かにさっきは名前で呼ばれていたような気もする。甲塚にどう呼ばれるかなんて気にしたことは無かったけど、もしかして俺の好感度が一定値を超えたってことなのだろうか。……それか、そもそも俺をその程度の人間だと思っているか。


「ねえ甲塚さん。私のこともいい加減『宮島』じゃなくて『郁』って呼んで良いんだよ」


「あんたは『怪力オタク』で良いでしょ。佐竹は、『佐竹』よ。今更名前で呼ぶなんて馬鹿みたい。呼びにくいだけでしょ」


 よくもまあいけしゃあしゃあと。……とはいえ、俺としては大体甲塚と同意見だ。


「えー? なんでそこ嫌がるのかなあ。絶対下の名前で呼び合った方が仲良くなれるのに。私達、せっかく部活の仲間なんだよ? もっとバンド感出していこうよ」


「ば、バンド感?」


 もしかして、『きたはいづこに』のようなアンバランスな結束力を目指しているわけか? 即席パーティーみたいな俺たちがお嬢様学校で青春を過ごしたあの三人に敵うわけもないのに。


 郁のユウジョウ世界観に振り回され続けてしまうと、今頃俺たちは変なあだ名で呼び合って、変なデザインの部活Tシャツを揃いで着ているのではないだろうか。想像しただけで顔から火が出そうになる。


 ……しかし、俺が甲塚を下の名前で呼ぶとなると……。


「……」


 甲塚の下の名前――なんだっけ……?

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