第73話 優しさという名の呪い

 一時限目直前の職員室は、あたふたと授業の準備をする教師たちでごった返していた。その中で、今日一時限目が空いているらしい東海道先生は自分のデスクに座って何か大量のプリントを相手に赤ペンを書き付けている。


「先生。来ました」


 甲塚は呼び出しを喰らった生徒らしからぬ不貞不貞しさで先生の前に立った。気のせいか、周りの教師の俺を見る目と甲塚を見る目は異質に思える。それは多分、彼女が理事長の孫だから――そう考えれば、若手の東海道先生が甲塚を呼び出す状況ってのも緊張感のあるシチュエーションなんだろう。


 先生は赤ペンをノックすると、回転椅子をこちらへ向かせた。


「あなたたち、連絡の一つもなしに学校を休むなんてどういうつもりなの」


「課外活動してたんですよ。人間観察部の」


 課外活動。丁度昨日コーコが使った無茶苦茶な言い訳だ。


「そういう誤魔化し、今回は付き合いません……」溜息を吐いて、悩ましげにこめかみを揉みながら言った。「あなたたち、一体急にどうしてしまったの? 最近はクラスの中でも平和に過ごしていたじゃありませんの。放課後は部室で定期テストの勉強をしているのでしょう? 突然こういう事件を起こして……顧問であり担任でもあるわたくしがどう思うか、少しも考えが及んだりはしないのかしら?」


「……」


 俺は、甲塚から一歩下がった立ち位置で冷静に話を聞いていたつもりだ。なのに、彼女が何に怒っているのかよく分からなくなってしまった。


「連絡も無しに休んで、すいません」


「佐竹君、わたくしはあなたがサボったことだけを怒っているのではないのですよ」


 取り敢えず場当たり的な謝罪をしたら、するどい切り返しをされてしまった。


 そんなことを言われても、こちらとしては学校のサボりくらいしか悪いことはしていないつもりなのだが……。


「じゃあ、こんな忙しい時間に呼び出して一体何の説教をしようってわけ?」


「取り敢えず、お座りになって」と、甲塚の質問に答える前に空いたデスクの椅子を引っ張ってきたので、俺たちは大人しく並んで座った。それから、説教というよりは言い聞かせるような口調で東海道先生の話が始まる。


「わたくしが怒っているのはね、二人が学校生活を軽んじているということなのです」


「……学校生活を軽んじる?」


 なんというか、思った以上に高度な概念で叱られが発生しているな……。


「そうです。佐竹君も甲塚さんも、人間観察部で仲を良くすることは結構ですわ。でもね、わたくしはもっと普段の授業にも精神を注いで欲しいのです。クラスの生徒達と、健全な付き合いをして欲しいのです」

 

「一応、最近は放課後にテスト勉強とかしてたんですけど……」


「あなたたちが、放課後に勉強していたことは勿論知っています。大変結構なことですわ。……でもね、佐竹君。わたくしが言いたいのは、テストの成績のことだけではないのよ。人間という生き物は、環境に属している限り誰かの優しさを分かちあっているものです。人間はそうやって生きていくのです。あなただって、甲塚さんに勉強を教えて貰っているでしょう」


「……はぁ」


 慎重に言い訳をしたつもりが、ますます先生の話を加速させてしまったようだ。


「あなたたちは、自分では気付かないかも知れないけれど、学校という環境に優しさを分け与えられているのです。……大人な言い方をすれば、保護されているのです。そういうありがたさを、先生は二人に理解して、もっと敬意をもって生活して欲しいかなあ」


 最後は、甘えるような言い方で諭してくる。


 正直、先生の言い分が身に刺さる部分はないこともない。何しろ人間観察部にムリヤリ加入させられるまでの俺なんて、魂が半分抜けたようなものだったんだ。甲塚と喋るようになったとは言っても以前その頃の無気力感を引き摺っていて……。


 要するに、俺はクラスの連中と仲良くしようなんて気は一切合切無いのである。甲塚もきっとそうだろう。


 俺は、横で東海道先生の言い分を間近で聞いている甲塚の心中を想像した。


 甲塚としては、そういう優しさの力学でこの桜庭高校に入学することになったわけだ。甲塚が恨んで、破滅を切望しているのはまさしくその大人から与えられた「優しさ」というものなんじゃないだろうか。


「その敬意とやらが無ければ、私は見放されるというわけですか」


 甲塚は冷笑的に言う。


 予想していたよりは激しくない反応だった。が、先生に楯突いていることは変わらない。


「甲塚さん。お願いだから、あなたの助けになりたい気持ちを理解してほしいの。こちらの信頼を一方的に裏切られたら、わたくしだって傷つきます!……最近はせっかくクラスにも馴染みかけていたというのに、こんなことをされては……」


 それは東海道先生の本心だと、俺は感じた。先生の秘密を切っ掛けに歪な繋がり方をした甲塚でも、先生としては一人の生徒として見ているスタンスを崩していないということか。


「……私に、そんな気持ちを推し量る義務は無い。あんたが私をどう思おうと、こっちはこっちで勝手にやるだけ」


 甲塚は表情を変えずに言い放つ。


 一方東海道先生は、もはや説教の調子では無い。ただただ解り合えない生徒一人を前にした教師に戻ってしまっているようだ。


「甲塚さん、あなたはただでさえ――」


「それは関係ない」


 甲塚が、東海道先生の言葉を覆うようにして言う。多分東海道先生の言葉の続きはこうだったんだろう――ただでさえ、理事長のお孫さまだというのに。


 それから、忙しい朝の時間には似つかわしくない沈黙が二人の間を閉ざした。


 ……余計なお世話かな~と思いながらも、おずおずと言葉を差し挟んだのが、俺である。


「要するに、東海道先生は甲塚にクラスに……学校に馴染んで欲しいんですね」


 俺が言葉を発したのが、二人にとって意外だったらしい。


 両手を組んで俺の方に顔を突き出すと、「佐竹君。あなたのことも言っているのですけど」と呆れたように訂正してきた。

 

「……まあ、はい。俺と、甲塚にもっとクラスと馴染んで欲しいんですか。でも先生、俺たちだって、何も悪いことばっかりしているわけじゃないんですよ。夏休みの合宿は先生も来ていたでしょう? 生徒会の連中に対しては人間観察部はそれなりに株を上げて帰ったんですよ」


「そう――なのかしら?」


 やはり、東海道先生は生徒ほどあの時の関係値の変化を知らないらしい。生徒会の連中の、人間観察部の扱いを合宿開始時と終了時で比較すれば大変差があるだろう。……それくらい、俺たちは――というか、俺と郁は頑張ったのだ。


「ですから、甲塚だって今の状況に対して何もしていないわけじゃないんです。先生からしたら不器用で、拙く見えるかも知れませんけど……。不躾なことを言いますが、もっと信頼して欲しいんです。辛抱強く見守っていて貰えませんか」


 東海道先生は、俺に顔を突き出したままぬめりと俺の目を見つめ返した。


「佐竹君。もっとわたくしの信頼が欲しいというのなら、やるべきことは分かっているわね?」


「……次のテストを、頑張る?」


「頑張るじゃ足りません。せめて、わたくしが安心して眠れるくらいの成績を取って。……甲塚さんは?」


 甲塚は、唇の隙間から空気を吐いて、肩を竦めた。


「佐竹君と、宮島さん以外のお友達を作るのです」


「ばっかじゃない」


「甲塚。……ちょっとは先生の言い分も聞き入れろよな」


「ふん……。話はこれで終わりでしょ。教室に帰るわよ、佐竹」


 そう一方的に話を終わらせて立ち上がった甲塚を、慌てて追う――そこに、東海道先生の小さな声が掛かった。


「あっ佐竹君。この間の約束のことなのですけれど……」

 

「えっ約束?」


 最近東海道先生とはすっかり話していないような気がするが、何かあったっけ?


「……お食事の。あなたが言い出したことでしょう」


「ああ」


 そういえば、夏の合宿で泊まった宿でそんなことがあったな。東海道先生の宿泊する部屋に出現したゴキブリを退治する際に、そんな約束を取り付けたのだった。


 ――まさか、わざわざ呼び出したのは、この話をするためでもあったのか?


「あの、忘れてないですよ。合宿中に取り付けた約束ですよね」


 東海道先生は、細い指先をぐにぐに絡ませながら、「こちらは、いつでも予定を空けているつもりなのですけど。……いつ頃、わたくしを誘うつもりなの?」と、予想だにしないことを言い出したので驚いた。


 ――え!?


 俺が誘うの? 東海道先生を?


 こういうのって、普通年上に都合を合わせるもんだと思うんだけど。


 まあ、向こうがそう思ってるんなら、そういう風に考えた方が良い……のか?


「す、すいません。最近、テスト勉強とか絵画教室の用事とかで忙しいんですよ。何だかんだで十一月くらいまでは予定が詰まっててですね……えーと……年内には、誘います」


「年内。……じゃあ、十二月頃かしら?」


「あ、はい。そのくらいで」


 俺が気安く返事を返すと、東海道先生ははにかんだような顔のまま、デスクの上の手帳に何かを書き付けた。


 ……何か、また予定が出来てしまったみたいだな。定期テスト、コーコの文化祭、3takeさんとの面会、今度は東海道先生との食事か。もうここまで来るとなんでも来やがれって感じだな。


 けど――まあ、他の予定からすれば、楽しみではある、かな。 

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