第70話 ヤマガクの風紀委員
地下喫茶店内に現れたコーコは、テーブル席が並んでいるエリアの前に迷い無く入ってくると、これまた何かを探すように首を回した。
俺としては、突如として現れた顔見知りにまさか正面切って挨拶するわけにはいかない。なんたって、今ここに向かっているという3takeさんとは裏アカウントで、すけべ根性唯一つで巡り会った仲なのだから。彼の前で俺が知り合いとお話なんかしていたら、向こうからすれば酷い裏切りではないか。
しかし、俺の脳内に電撃的な閃きが駆け抜けた。
――まさか……コーコが3takeさんなのか。
俺の裏の活動に理解があるのは、彼女自身もストリートアートというグレーな領域を主戦場としているから。rensが俺であると見破ったのは、絵画教室で見る俺の絵と、rensとしてアップロードするすけべな絵にその類似点を発見したから。……そうだよ。俺が3takeさんとやり取りを始めたのは、時期的にはコーコと出会った後じゃないか……。
俺はてっきり3takeさんのことを男と思い込んでいた。なぜなら、3takeさんはすけべな絵が大好きだから。女性の可能性があったとは、全く盲点だった。
「……」
だが……俺の頭に浮かぶのは「どうして?」という疑問とも言えない感情。
もっと言えば、コーコにそんなことを――わざわざ3takeの面を被って俺の裏アカウントに接触してくる動機があるとは思えない。むしろ、彼女なら正面切って堂々と「佐竹蓮、なんだか面白い絵を描いているようじゃないか」と話しかけてきそうなイメージがある……。
とはいえ、どういう理由があろうと実際に現れたのはコーコなのだった。あいつの考えていることはよく分からないが、とにかく顔を見せよう。
「……!?」
――と、テーブルの下から這い出そうとした時、新たに地下喫茶店内へ降りてくる足音があったので、俺は何となく隠れ直してしまった。
新たに店内へ入ってきた人間の様子はここからじゃ見えない。せいぜい、通路に立っているコーコの様子が見えるだけだ。その彼女が、階段に振り向いて意外そうな顔をしている。……なんだ?
「おや。これは奇遇じゃないか。まさかこんな所で、こんな時間に会うなんて」
コーコの口調は普段の彼女からは考えられないほど粘っこく、芯の通ったものだった。……一言で言えば敵意全開。あのコーコにこんな一面があるなんて。
「……」
階段に立っている人間の姿は相変わらず見えない。どうも、押し黙っている様子だ。
「ウチの風紀委員さんがこんなところでサボっててわけ?」
「……ま、真城先輩こそ」
それが、見えないもう一方が発した初めての言葉だった。明らかに動揺しているようなのだが非常に聞き取りやすく、喉と空気の間に雑音を漉すフィルターでも入れているみたいな、鍛えられた清涼感のある声。……女。
「一体こんなところで何をしているんです。今は授業中ですよ」
コーコは吹き出して片手に持っていたスケッチブックを挑発するように掲げた。
「見て分からない? カガイカツドーってやつなんだけど」
「課外活動というものは、授業時間外に行うものです。あなたがやっていることは、ただの無断欠席ですよ」
「硬いこと言うね。ウチら、サボり仲間だと思うんだけど」
「真城先輩と一緒にしないでください」
コーコはそんな言葉に反応せず、どかりと手近なテーブルに腰を落ち着けた。丁度俺が隠れているテーブルへ背中を向ける形だ。そのままぐるりと首を回して関節を鳴らす。
「どうした。いつまでもそんなところに立っていないで、座りなよ。イージマミトリ」
……イージマ、ミトリ?
階段に立っていた人間は、ゆったりとした足取りでコーコの座るテーブルの前に立った。
その姿に息を呑む。
――なんという美人、だ。
着ている衣服は見慣れたヤマガクのセーラー服だというのに、ぐるりと頭を一回りする複雑な編み込みの入ったミディアムヘア、それと端正に形の整った眉毛、睫毛、さらに顔全体のシルエットが今まで見たことがない程小さく、そのためか二重の目許が大きく強調されている。
それだけじゃない。ただ突っ立っているだけだというのに、スッと一本筋の通ったような姿勢の良さで、場を圧倒するようなオーラに溢れている。
飯島、美取。
こいつが……!
あの、ショウタロウと連れ添っていたという女子生徒。
雑誌の写真なんて、実物の彼女を前にすればまるで魅力の三割も表現できていないではないか。
コーコのテーブルの前に立っていた飯島は、敢えて通路を挟んだ別の卓へと腰を降ろした。俺から見ると、線対称に表の飯島、裏のコーコという風に見える。これは単なる俺の感触だけでなく、二人の気質を性格に現しているような気がした。
一方は暗い世界で自己表現をするコーコ。一方は衆目の前で堂々とモデル業をする飯島――それに、話の流れから飯島の方は風紀委員までやっていると言う。この調子だと、高校でのコーコは相当な問題児らしいな。そりゃ二人の気が合わないわけだ。
「それで、どうしてウチの風紀委員さんがこんなところで授業サボってるのかな」
コーコはさっそくノートを開くと、何か絵を描きながら言った。場は緊張感に溢れているというのに、自分のペースから一歩も踏み出さないという感じだ。
「ですから、真城先輩と一緒にしないでください」対する飯島の態度も冷静である。言葉を走らせることもなく、アナウンサーのように正しい位置に読点を入れている感じだ。「それに、私がここにいる理由を、真城先輩に話す義務はありませんので」
コーコの後ろ姿が揺らめいた。
「……ウチを尾けてきたわけじゃないらしいな」
顔は見えないが、意外そうに思っていることが分かる。
「私に、真城先輩を尾行する理由はありません。いくら風紀委員といっても、無断欠席の生徒を取り締まるために自ら無断欠席をする人はいませんので」
「……ふーん」
それきり、二人は押し黙ったままそれぞれが頼んだ飲み物が卓に着くのを待った。
その間、俺は今更顔を出すわけにもいかないのでじっと成り行きを見守ることしかできない。
……それにしても、何という場面に居合わせてしまったんだ!
まさか、たまたま学校をサボった日に現在人間観察部のメインターゲットになっている飯島と鉢合わせるとは……。
唯一観察できるのはこちらに正面を向けている飯島なのだが、彼女は姿勢良く太ももの上で指を組み合わせている。しかし、体とは裏腹に顔からは動揺が見て取れた。忙しなく目をあちらこちらに漂わせては瞬きをして、歯の隙間から溜息を吐いていることを繰り返す。
やがて、互いが頼んだコーヒーが卓に届くと、まず飯島があっという間に飲み干して席を立った。
飯島が出て行くと、今度はコーコが溜息を吐いてスケッチブックの上に鉛筆を放り投げた。流石に彼女といえどもあの流れからスケッチに集中することは難しかったのだろう。こちらはコーヒーに一口付けただけで、そそくさと店を出て行ってしまう。
「……ふう……」
コーコが店を出て行くのを見届けて、ようやくテーブルの下から姿を現すことができた。
……なんか、どっと疲れたな……。
3takeさんが姿を現したと思ったら、何故かコーコがやってきて。コーコがやってきたと思ったら、何故か飯島がやってきて……。
ってか、結局3takeさんは?
スマホを点けると、既に時間は十三時二十分。息が詰まるような緊張感で、そんなに時間が経過しているとは全然気が付かなかった。3takeさんはとっくに店に着いている頃だが……もしかして、二人を観察している間に姿を見せたのだろうか?
しかし、店内を見回しても特にそれらしき影は無い。
スマホには一件の通知――
3take>本当にごめんなさい 休養が出来てしまって 今日は行けなくなりました
「……」
俺は冷めたコーヒーを喉に流し込んだ。
……ドタキャンかよ……。
けど、「急用」と入力するところが「休養」と誤字っている。几帳面な文章を書く3takeさんが珍しい――本当に焦っていたのか。ということは急用ができたというのは嘘じゃなさそう、か。
俺は今日何度目かの溜息を吐いて、ソファに寄りかかる。
結局、3takeさんとの面会は空振りに終わってしまったというわけだ。
しかし、どういう奇跡か――
「飯島美取は、ヤマガクの風紀委員……か」
甲塚が切望していた、飯島の情報を手に入れてしまった。
「……まさか、あんたの絵画仲間と同じ高校とはね。しかも、あの様子じゃ因縁がありそうじゃない」
「だな。まさかコーコが飯島と知り合いだったとは……世間は狭いってよく言うけど……!?」
当然のように俺の独り言に返答が帰ってきたので、反応が遅れた。慌てて振り向くと、さっきまでカウンターで足を組んでいたニット帽が突っ立っているではないか。しかも、帽子を目深に被っているし、以前の私服とは靴から何まで違うので気が付かなかったが……
「甲塚!?」
今、まさしく脳内でイメージしていた女が目の前で腕を組んでいるので、俺は仰天してしまった。
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