第69話 佐竹連、初めてのサボリ
その朝、俺はいつもの時間に起き出して、じっくりとシャワーを浴びた後は丁寧に髭を剃り、髪型をきちんと整えてからラフな部屋着のままテレビを観ていた。
しばらく経ってから、
――あっ!
と思い出し、慌てて部屋着からジーンズとシャツに着替えて外に出る。予想通りマンションの前では腕を組んだ郁が苛立った様子で体を小刻みに揺らしているところだった。
「おっそーい!! 遅刻しちゃうでしょー!?……しかもまだ制服に着替えてない!!」
もしやと思って一応顔を出したが、まさか本当にこんな時間まで俺を待っているとは。
「悪い悪い。……でも、わざわざ俺と遅刻することも無いだろ。律儀に俺を待つことなんてないんだぞ」
「待つに決まってるでしょ!? 私は蓮と一緒に登校するの結構楽しみにしてるんだから!……ていうか、何!? その落ち着きようは!」
「俺、今日は学校サボるんだ」
郁が仰天したようにあんぐりと目と口を全開にした。
「……蓮が、学校を、サボる!? 一体どうしちゃったの!?」
「別にどうも……。取り敢えず、歩きながら話そう。このままここでくっちゃべってたら、本当に遅刻しちゃうぞ」
「あ、お……うん」
私服のままの俺が歩き出すと、郁は素直に付いてきた。かなりギリギリの時間ではあるが、このペースで学校へ近づけば後は郁の脚力でどうとでもなるだろう。
「ね、ねえ。一体どうしゃったの? 急に不良になっちゃったの?」
郁はパタパタと俺の前に走り出ると、器用に後ろ歩きしながら俺の顔を見た。
「一日サボったくらいで不良になんかなるか。考えたら高校なんて中学ほど内申点意識してないしな。どうせ俺なんて推薦で大学行けるわけないし行くつもりもないし……。一年でもしょっちゅう学校サボってる連中なんて一人や二人いるだろ?」
「そりゃ、一人や二人はいるけど……それにしても、蓮がサボるなんてイメージと違いすぎるし……いきなりすぎない?」
「今日はちょっと用事があるんだ」
「用事って、何?」
こいつ、こっちがわざとぼかしているのに、問答無用で踏み込んでくるな。
「それは教えない。俺にだって一応プライバシーはあるんだぞ」
まさか拒否されるとは思いもしなかったんだろう。郁は目の前の壁が急に文句を言い出したような呆気にとられた顔をした。そのまま後ろ向きに歩き続けて、側道に片足を引っかけた。
「うわっ……と」
「ほら。後ろを向いていると転ぶぞ」
「うん……。え、それじゃあ今日の部活は?」
ああ、そういえばそれもすっかり忘れていた。何も三人だけの部活なんだから、一々連絡しなくてもいいと思ったが。
「今日は行かない。甲塚と、東海道先生には……伝えなくていいか。教師にサボる連絡なんてしようがないもんな。とにかく、甲塚には言い含めておいてくれるとありがたい」
「……分かった。伝えとく」
「それと、俺がいないからって甲塚と喧嘩したりするなよ。明日顔出したとき、険悪な雰囲気になっているとか嫌だからな。しっかり言うことを聞いて、きちんと勉強に集中するんだぞ」
「わ、分かってるよ! そんなこと!」
そんなことを話していたら、いつの間にやら校門に面した大通りに出ていた。ちらほらと駆け足で校門へ急ぐ生徒たちの姿も見える。本来なら俺もあの群れの一人だったと考えると、何となく自分が特権階級になった気分だ。……サボってるだけなんだけど。
「さあ、早く登校しないと遅刻しちゃうぞ。ほら、走れ!」
「……もう!」
けしかけると、郁は点滅していた青信号を風のように渡りきっていった。そのまま、何人もの生徒をごぼう抜きにしてあっさり校門へ入ってく様子を見届ける。
――さてと。
俺もさっさと家に帰って、今日の準備をしなければ。
なんてったって、今日の十三時に3takeさんと面会の予定なんだからな。
*
それにしても、未だに顔の知らない知り合いと会う、ということを想像しただけで心がざわざわしてくる。世の中のオフ会参加者ってのは皆こんなものなのだろうか? インターネットに生息している連中なんて、どいつもこいつも俺みたいな陰キャだと思うのだが……まあ、最近はマッチングアプリとか流行っているらしいし、こういう世の中なのか。
今日という日が近づくにつれ、俺の中で3takeさん像は二転三転どころか十五回転くらいしている気がする。
スタンダードなイメージとしては、俺と同年代の高校生男児であり、夏冬問わず汗だくで白いタンクトップを着ているような小太りだ。しかし、彼の知的な文章からは眼鏡のフレームを光らせるインテリな痩せ男を想像したりもしたし、夜中にジムに通っているという情報からは白いタンクトップはそのままで健康的に日焼けをしたスポーツ系の長身を想像したりもした。……かと思えば、何度も読み返した彼の文章に新たなアイデンティティのようなものを発見しては、スライムのようにぐねぐねとイメージが変革してしまう。
……結局初めに俺が考えていた通り、会ってみないと分からない、という結論に落ち着くのだった。彼の容姿も、俺と会おうと思った理由も。アカウント名に「3take」と付けた理由も。
俺はスマホの画面を切ってテーブルの上に置くと、大きく溜息を吐いた。目の前には、無造作に置いたメンズファッション誌がある。
これはこの間俺が髪型の参考にと購入したもので、今日、この渋谷のスクランブル交差点から少し外れた地下一階の喫茶店で待ち合わせる目印に持ってきたのだ。
ちなみに今日学校をサボったのは、3takeさんと面会することをお互いの知り合いに目撃されることを避けるため。会う人間も会う人間だし、会う理由も会う理由なので、事前に3takeさんと打ち合わせておいたのだ。
時刻は十二時五十二分。約束の時間まであと八分……そろそろ、3takeさんが姿を現してもおかしくない頃合いだが。
――いや、俺が先走って二十分前にテーブルに座ったくらいだ。むしろ、既にこの場にいてもおかしくない……のか?
慌てて周囲を見回すと、広い店内にはカウンター、テーブル含め様々な顔ぶれが集まっていた。しかし、殆どは明らかに仕事中に抜け出てきた社会人であると分かった。スーツを着てノートパソコンを広げていたり、ぼんやりと煙草に火を付けていたり、社員証を首にぶら下げていたり。
だが、少ないながらも俺と同年代の若者も何人か目に付いた。金髪のストリート系ファッションに身を包んだ男、カウンターに向かって白い足を組むニット帽の女。その他は俺と同じように学校をフケたと思われる制服を着たグループが二つ。……とてもこの中に3takeさんがいるとは思えない。強いて可能性があるとするなら、金髪のストリート男だが……。
と、その時地下店内の階段を降りてきた若者が一人。
――男。
俺は素早くその新顔を観察した。短髪。やや小太り。四角いフレームの眼鏡。白いポロシャツ。カーゴパンツ。額には汗が浮かんでいる……緊張している?
その男が、俺の座っているテーブルにのっそりとした足取りで近づいてきた。
俺は男に目を合わせないまま、さりげなく雑誌の上に置いた手をずらす。
男が、俺のテーブルの前で立ち止まった。
「……」
雑誌の上に男の目線が落ちている気配。
「おーい! こっちこっち!」
不意に、店内奥に座っていた若い男グループの一人が声を挙げた。
「ん? おーっ!」
男は奥に向かって声を挙げると、あっさり俺の横を通り抜けていった。
3takeさんでは無い……。
「……。……ふう」
俺は喉の奥に詰まっていた息をゆっくり吐いて、アイスコーヒーをぐびりと呑み込んだ。
さりげなく振り向いて、心の中で舌打ちをする。なんて紛らわしい奴なんだ。俺の3takeさんイメージと七十五パーセントほど一致しているような奴が、こんなタイミングで来るなんて……。
心が落ち着かないまま思わずスマホを点灯すると、時刻は丁度十三時に変わった。それに、通知が一件。
3take>渋谷着きました。あと三分くらいで到着します。
そんなメッセージが、丁度二分前に来ていた。全然気が付かなかった……。
しかし、だとすればもう店の前に到着している頃合いではないか?
――その時、新たに地下店内へ階段を降りてくる人間が一人。
「……!?」
俺はその顔を見て、反射的にテーブルの下へ身を潜めてしまった。
新顔は何かを探すように階段から店内を見回すと、迷い無い足取りでこちらへ向かってくる。
――女。白いTシャツにジーンズ。衣服に付いている汚れは見覚えがある。
コーコ。……真城紅子。何故あいつがここに……!?
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