第68話 平和で勤勉なスクールデイズ

 結局、コーコからの頼まれ事は中途半端な形で保留にしたまま、俺は忙しい一週間に身を沈めていった。


 この頃、俺が放課後にやることと言えば勉強、絵画教室、勉強、勉強……もしくはそのどちらも、か。


 こんな高校生のモデルみたいなスケジュールを、俺がこなすことになるとは思いもしなかったなあ。この半年間、自習するために自宅の勉強机に向き合ったことなんてたったの一度も無かったってのに。


 ――なんてことを、夕暮れで赤く染まる多目的室Bで思い馳せる放課後。近頃じゃこの教室もすっかり俺たち専用の自習室になってしまっている。


「佐竹。数学やって終わった気になってるんじゃないでしょうね。ぼんやりしている暇があったら、国語のノートでも読み返しておきなさい。それだけじゃない。他の科目だってあるんだからね……余裕があると思ったら、大違いなんだから」


「あ。はい」


 大人しく俺は国語のノートを開いて、恐らく出題されるだろう要所の部分の暗記に取りかかった。


 こんな具合で甲塚は殆ど郁に付きっきりだっていうのに、こっちにもすぐさま檄を飛ばしてくるんだから気が抜けたもんじゃない。


 ……それにしても、意外だったのは甲塚の情熱だ。俺たちと一緒にいると馬鹿に思われる、という後ろ向きな動機とは言っても、なんと中学生の課程から根気よく確認して、たった五日間で郁の苦手部分をすっかり特定してしまうんだからな。


 意外と、こういうのに向いているのか?……この、似非チンピラギャルがねえ。


「ねえ、そういえば飯島ちゃんのことは!?」


 それまでノートの上で呻き声を上げていた郁が、何の脈絡も無くそんなことを言い出した。心なしか瞳孔が開いている辺り、脳みそのメモリが溢れ出す寸前なんだろう。


「イージマ?」


 足を組んで半身に構えていた甲塚が、聞き覚えの無い数式のように返す。


「飯島美取のことだろ。そういえば、あれから何か進展は?」


 俺も一旦ペンをノートの上に放って、甲塚に尋ねた。


 こういった郁の有無の言わせぬ雑談は明らかに現実逃避なんだけど、口火を切るタイミングだけは丁度一時間周期といったところなので、休憩がてら俺たちは付き合ってあげているのだ。


 ショウタロウが連れ合っていた女子というのは、雑誌のモデルをやっている飯島美取である。……この事実が我ら人間観察部に知れてから、ぼちぼち五日間は経っているが。


「進展?」


「甲塚のことだから、どうせ調べは付けてるんだろ。分かってること教えてくれよ」


「そんなことしてないわよ。あんたたちの勉強見るのに忙しいの。見て分からない?」


 甲塚はちっとも悪びれる様子も無く言い放った。


「そりゃありがたいと思ってるよ。数学は大分範囲抑えられたし……。けど、お前だって家に帰った後の自分の時間ってもんがあるだろ」


 俺としては、甲塚なんて暇さえ有れば四六時中学園を崩壊させるためのプランを練っているようなイメージがある。


「そりゃ、あるけど」


「そういえば甲塚さんって、放課後とか休日何してるの?」


 郁が頭の後ろで手を組みながら言うと、甲塚は呆れたように溜息を吐いた。


「何で私があんたにそんなこと教えないといけないのよ。プライバシーじゃない」


「プライバシーって言うんなら、私の秘密はどうなるの? 私、甲塚さんにいきなり部屋入られたんだけど……それって、フェアじゃないと思わない?」


「……確かに、甲塚の休日って気になるな」


「な、なによっ。佐竹まで」


「だって、幾ら甲塚だからって年柄年中休日に他人をストーキングしてるわけじゃないだろ? 郁は乙女ゲーだろうし、俺は絵画教室とかなのは想像しやすいだろうけど、お前はちょっとイメージしにくいというか……。ドラマを一気見してるとか?」


 甲塚は天井に黒目を向けて吹き出した。


「私が、休日にドラマ? 冗談でしょ!?」


「だから、イメージしにくいんだって言ってるだろ……」


「あー分かる。甲塚さんって不良みたいな格好してると思えば中身はただの可愛い女の子だったりするし、ただの可愛い女の子かと思ったらすっごく攻撃的な部分もあって、キャラクターが読みにくいんだよね」


「そうそう。合宿の一件はまさしくそんな感じだったな……」


 俺は合宿中に見た甲塚の水着姿を思い浮かべながら呟いた。あの甲塚の胸の大きさと言ったら……未だに衝撃だ。目の前の甲塚の制服の下に、あのサイズのバストがあるとは、今以てとても信じられない。


 もしかして、甲塚なりに胸の大きさに悩みを持っていて、色々対策を打っているのかも知れないな。気安く指摘したのは、悪いことをしたかもしれない。


 ……しかし、胸の大きさなんてただの身体的な特徴の一つに過ぎないけれど、それが甲塚という人間のキャラクターを象徴するポイントになっているのは不思議だ。


「アハハ! そうそう!!」


「あんた達がどう思おうと、……私は私なんだからしょうがないじゃない」


 俺と郁が甲塚像を擦り合わせていると、苛立った様子の甲塚が珍しく開けっぴろげなことを言い出した。その開き直りっぷりが見事なもんだから、俺は腕を組んでしみじみと感心してしまったのだった。


「で、休日は何してるんだ?」


「……暇な時は、大体渋谷に行ってる」


「へえ~! 買い物でもしてるの? それとも、『きたはいずこに』のライブとか?」


「違う……たまに、服とか見たりはするけど、殆どスクランブル交差点を眺めるだけ。交差点に面した喫茶店とか、マックとかで」


 ここらに住んでる人間が、わざわざ休日にスクランブル交差点を見に行くだって?


 俺は思わず笑ってしまった。


「そんな、観光客がやるようなことを、わざわざ休日に?」

 

「うるさいわね……! 別に誰にも迷惑掛けてないんだから良いでしょ!?」


「いや、別に悪いわけじゃ無いけどさ。で、結局、飯島について分かったことはないのか?」


 話題を元に戻すと、甲塚はちょっと恥じ入るような様子で、


「そりゃ、調べてないことはないけど……」と言い訳がましく調査報告をしてくれた。「飯島美取は、そこまで売れてるモデルでもないからネットの情報が少ないのよ。例の写真の撮影場所は多分ここら辺なんだけど、出身高校も居住地も分からないし、どうして臼井と繋がりがあったかなんてもっと分からない。ネットの調査では限界がありそうだから、次の手を考えてるとこ……それに、ちょっと今別件で気がかりなことがあるしね」


「別件?」


 甲塚がそんなものを抱えているなんて初耳だ。


「佐竹は気にしなくて良いの。……ほら、もう十分休憩したでしょ。そろそろ再開するわよ」


「はぁい……」

 

 郁は力なくペンを握り直して、また教科書の問題と格闘し始める。


こういう調子で、俺の高校一年生の九月は流れていった。一度、顧問である東海道先生が人間観察部の部室に姿を現して、「陣中見舞いですわ!」と俺たちに手作りらしい焼き菓子を振る舞ってくれたのが事件という事件か。


 要するに、忙しいとは言っても俺の日常は平和な範疇に入っていると言えたんだ。


 ――俺が、3takeさんと約束を取り付けた日までは。

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