第67話 疑惑のリペイント計画

 そろそろ絵画教室の時間になった頃合いで店を出ると、自然な成り行きで郁と甲塚は二人で渋谷駅方面へ歩いて行った。


 なんだ、結構あっさりしてるもんだな。


 店の前のガードレールに、一足先に外へ出ていたコーコが座っている。俺が近づくと、ジーンズに手を突っ込んだまま歩き出した。


「なんか騒がしいコたち。佐竹蓮、学校じゃああいうのと連んでるんだ。なんかウチの前じゃ取り繕ってたけど、連中の話し声トイレまで聞こえてた」


「あっそう……」


「ああいうコが趣味なの?」


「別に連もうと思って連んだ二人じゃない。甲塚とは成り行きで。郁の方は幼馴染みだからな……。会話聞こえてたんなら一応言っとくけど、俺の性癖がどうのって話は言いふらすなよ」


「そんな話、誰が興味あるんだ?」


 コーコは、心底不思議そうな顔で聞いてくる。


「まあ。……俺だって話のネタにもならないと思うけど、女子ってそういう話好きだろ。俺の見えない所で適当なこと喋られるの嫌なんだよ」


「ふーん。ま、その心配は無いかな。佐竹蓮の性癖なんて絵画教室に着く頃には忘れてそうだ」


 そういう彼女には何の含みも、何の企みも無いようだ。こいつは本気で絵画教室に着く頃には忘れているんだろう。結構なことだ。


「……で? 文化祭の準備って?」


「そうそう!」コーコは手を叩いて空気を切り替えた。さっきまでの話題のノリとはエラい違いだ。「うちの高校って中庭に変なオブジェがあるんだ。オブジェというか、壁? みたいな。たしかヤマガク出身の芸術家が超昔に作った波形の平たい鉄板なんだけど、最近、耐震性がどうだとか、骨組みがどうだとかで撤去の話が出てるんだよ」


「あー……なんか、見たことあるかも」


 一応、俺も受験期はそれなりに勉強して高校受験をしたわけで、近辺の高校のホームページに目を通したことくらいはある。コーコが言っているのは、ヤマガクのホームページのトップに写っていた変な鉄塊のことだろう。


 うろ覚えだが、大雑把にはコーコの説明通りの形状をしていて、生徒達の憩いの場となる中庭の中心にどすんと太陽を照り返す鉄板が置かれているのだ。それはよく見ると一つ一つ均等な幅の鉄板の継ぎ合わせになっていて、それが少しずつ高さが違うから並のような形状をしている。初めてそれを見た時、俺は音楽を再生するときのイコライザーを想起したのだった。


「へえ。……あれ、撤去されるのか。ヤマガクのシンボルみたいなもんだろ? ていうか、芸術家に申し訳なかったりしないもんかね」


「ははは。あれがウチの高校のシンボルだって? あれ、太陽の照り返しがきつすぎるって向かいのマンションから苦情が入ったもんだから、最近はシート掛けられてるんだ。そもそも、ベンチに座ってたってギラギラ鬱陶しいんだから、ヤマガクの生徒は皆疎んでいるよ」


「ふーん。……なんか、芸術家が可哀想になる話だな……。ま、いいや。で?」


「でね。そのオブジェ、どうせ撤去するんならってことで最後に文化祭でお披露目しようってことになって。といっても照り返しの問題は無視するわけにはいかないだろ? つーわけで、ウチに白羽の矢が立ったってわけ」


 最後は大分説明を端折った気がするが、経緯は分かった。


「なるほど。照り返しの強い表面をグラフィティで上書きしちゃおうってわけか。結構大胆なこと考えるなあ……生徒会の発案か?」


「あー。誰だっけ? 忘れちゃった。……とにかく文化祭の開催は十一月上旬。結構でかいキャンバスになるから、ウチのグラフィティだけ描いてもストリートらしくないし、大変でしょ? 美術部は美術部で展示があるし。そこで佐竹蓮にウチが声を掛けたんだ。どう?」


「十一月、上旬か……」


 3takeさんと面会するのは今月中旬。定期テストは来月中旬。……コーコの文化祭が十一月中旬で、あの規模のキャンバスとなると結構な作業になりそうだな。無理すればこなせないこともスケジュールだが……。


「ちなみに、メリットは?」


「ん?」


「俺が、コーコを手伝うメリットだよ。……別にやっても良いけどさ、結構作業大変だろ、それ。まさかお前がバイト代出してくれるってんでもないだろ?」


「デカい絵が描ける。沢山の人に絵を見て貰える。ぶちかませるんだよ」


「……」


 裏表の無い言いっぷりに、俺は面喰らってしまった。


「それじゃ、佐竹蓮は不満?」


「……ちょっと、考えさせて欲しい」


「良いよ。無理にとは言わないから。でも、九月二十日には返事をして。こっちもグラフィティのデザイン詰めなきゃだから」


「参考までに聞くけど、……グラフィティって、描くのにどれくらい時間が掛かるもんなんだ?」


「そうだな。基本的にストリートアートっていうのは犯罪だから描くの自体は早いんだ。オブジェに描くのは三日もあれば十分終わると思う。ただし、それは予めイメージを用意している場合。私は一応即興でも数分で描けるけど、今回は複数人の手が入るから一応イメージ用意するつもり」


「なるほどね……」


 要するに、オブジェにスプレー缶を吹く作業自体はすぐ終わるが、何を吹くか考える時間は考慮しなければならないってことか。……複数人で描く兼ね合いを考えると、一ヶ月ってのはギリかもな。


「話は分かったよ。それじゃあ、九月二十までには返事するから」


「ん」


 ……なんということだ。話を聞くだけの積もりが、結構前向きに検討してしまっている俺がいる。


 デカイ絵が描ける、沢山の人に見て貰える、ぶちかませるというコーコの直球すぎるセールス文句が、実は身を震わすほど深く刺さってしまったのだ。バイト代くらいじゃ揺らがない覚悟だったのに、そこは同輩らしく俺の琴線が分かっていやがるのが癪だよな。


「あ~~っ!!」


 俺がコーコの話を聞いたことを後悔しかけていると、向かいの方から元気の良い腹立つ声が聞こえてきた。


「コーコと蓮が一緒に歩いてる!! 恋人だ~~!!」


「チッ」


 思わず舌打ちをしてしまった。


 絵画教室の入り口の前に見えるのは、水色のリュックサックを背負った小さいガキ――仲間千里。天才的な絵の才能を持っていて、顔を合わせる度に敗北感を味合わせてくれる天災小学五年生。


 彼女に対してはコーコも思うところがあるんだろう。面倒臭そうに首をさすりながら、「あ~あ。佐竹蓮といるから絡まれちゃったじゃないか」と呻いている。


 そうこうしてる間に、入り口から千里が真一文字にカットした前髪を浮かせて駆けてきた。この様子だとこいつは午前のクラスだけで今日は終わりなんだろう。


 小学生ということもあってか、千里は俺たちに比べてライトな通い方が出来るコースに通っているのだ。そのため、同じクラスに参加するだけじゃなく、今日のように朝昼のクラスの節目に顔を合わせてしまうことがたまにある。


 そんな彼女が俺たちの前にぴょんと立ち止まって、

 

「ねえ、エッチした?」と、のっけから笑顔満点でアホ丸出しなことを聞いてくる。

 

「馬鹿。女子と一緒に歩くくらいで何が恋人だ。そうやって一々囃し立てるところがガキ臭いんだよ。そんなんだと、中学から苦労するんだぞ」


「は! は!? どこがガキ臭いんですかー!?――それ、あなたの『感想』ですよねェッ!!?」


 出たよ。


「お前、それ言いたいだけだろ」


適当に千里をいなすと、コーコが呆れたようにぐるりと目を回した。

 

「とか言って、一々構ってあげるあたり佐竹蓮も優しいよ。こいつ、教室の連中に殆ど無視されてるからアンタのとこ来るんだ。どうせ学校でもそんな感じで友達いないんでしょ」


 千里は少し怯んだ様子を見せたが、「そ、それって、『憶測』ですよねェ!? 『根拠』がテージされてないんですけどッ!?」とまだ頑張る。


「うん」


「……」


 対して、コーコの方はあっさりしたもんで、まさしく暖簾に腕押しという感じだ。押せ押せの千里に対しては逆にこういう無碍な諦めが効くんだろう。すっかり黙り込んでしまった。


「今時の小学生って皆こんな感じなのか?」


「知らない。ガキの知り合いなんてこいつしか知らないし。なんか、最近こういう馬鹿多いらしいけど。……ところで、仲間千里。ちょっとウチの文化祭手伝わない」


「え? ブンカサイ……?」


 聞き慣れない言葉なのか、千里は小学生らしいきょとんとした顔で呟いた。


「……こいつも誘うの?」


「流石にスプレー缶は持たせないけど、イメージ考えるくらいならできそうだし。普通に絵の巧さならウチらよりだし。知ってる? ストリートアートの界隈じゃ他人のグラフィティを上書きできるのは、より上手いグラフィティを描く人だけなんだ」


「ブンカサイって、あのブンカサイ?」


 千里が俺たちの会話の流れを読まず、俺のシャツの裾を引っ張って尋ねてくる。こいつらと会話していると、話題が四方八方無茶苦茶に飛び交うので非常に疲れてしまう。


 取り敢えず、コーコの方は一人でもくっちゃべってられそうだから千里の方を相手してやるか。


「どのブンカサイか知らないけど、多分お前が想像したので合ってる。要するに、学校のお祭りだよ」


「お祭り行きたーい! 行きたい行きたい行きたい行きたい」


 言いながらぐいぐいシャツの裾を引っ張ってくるので、高校生男児の力を篩って千里を引き剥がした。


「文化祭に行きたいってんなら、コーコに言えよ。そもそも俺はあいつの高校の文化祭とは全く無関係なんだぞ。手伝いをするかどうかもまだ決めていないし」


「蓮がいなきゃやだ。だって、コーコ無視するんだもん」


「……」


 言われてコーコの方を振り向くといなくなっている。見回すと、いつの間にか絵画教室のエントランスに入っているではないか。何で千里のついでに俺まで無視されなきゃならないんだ……?


 ――それにしても、コーコの計画には何か裏があったように感じたのだが、話を聞いた感じだと特に違和感は無かったな……。話の経緯は飲み込めるし、アートの性質からコーコに白羽の矢が立ったというのも頷ける。


 あれは、俺の思い過ごしだったんだろうか?

――――――

いつもご覧頂きありがとうございます。

私用なのですが、ただいまみとけん/芝犬(@ascii_egg)は旅行に出掛けております。

それまでは本編の一部を繋ぎ合わせた切り抜きエピソードを公開する予定です。

本編再開は11/14を予定しております。

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