第9話 熱いすけべ、夜一人

 一足先に玄関から外へ出た甲塚は、気分良さそうにくるりと回って言った。


「スロットの一回し目でジャックポットを出した気分ね」


「お邪魔しましたー!」慌てて靴を突っかけて俺も宮島家を後にする。「――ショウタロウに彼女がいるって話がか? 大して衝撃の事実ってんでもない気がするけど?」


「分かってないね。ショウタロウに恋人がいるってことを、あの宮島さえ直接見るまで知らなかった。LINEで繋がる間柄の宮島が、よ? これは大きな秘密の臭いがするでしょうよ」


「そうかあ? 学外に彼女がいることを秘密にするって、別に珍しい話でもない気がするけどな……」


「問、題、は」ピッと指を突き立てて、出来の悪い生徒に言い聞かせるように言う。「臼井ショウタロウは彼女がいながら不特定多数の女子とLINEを送り合う仲にあるってこと。彼自身が言ってたじゃない。ヤレそうな女子としか連絡は取り合わないって」


「いや、そんなこと言ってないと思うけど……」


甲塚が想像するショウタロウは、既に性犯罪者一歩手前なのではないだろうか。


 と、家の前の往来でくだを巻いていると、今度は慌てた様子の郁が靴を突っかけて出てきた。改めて日の光の下で見る郁は普段の制服姿からは考えられないほどだらしない格好だ。上下のセットで着ている水色のスウェットは幾度と無い洗濯で色が褪せているし、眼鏡は思ったより度がキツいようで大きな瞳が小さく丸まっている。何より、いつもは漆を塗ったような艶がある髪の毛が箒のようにバサバサになっていた。


「ちょっとちょっと。話を有耶無耶にしたまま行かないでよ。不安になるじゃん!」


 そんな郁を見るなり、甲塚が面倒臭そうに眉をしかめる。


「なんだ、怪力オタク。チーズケーキのお代わりなら要らないよ」


「それ!! 学校でオタクなんて呼んだら絶対無視するから!!」


「……怪力ならいいのか?」


「それも嫌!……ちょっと蓮さぁ。この人学校で変なこと言わないか見張っててよ? 同じクラスなんでしょ」


「そ、そう言われてもな……」郁の懇願は尤もだが、俺にしたって甲塚の思考と行動は想像外にある。幾ら目を付けていたって次の瞬間にはとんでもない方法で人の秘密を嗅ぎつけるということは、今日一日で嫌というほど身に染みた。


「参考までに聞いておくけどさ、人間観察部は明日からどうする方針なんだ?」


「当然、ショウタロウの周辺を探る。決まってんでしょ」


 毅然と言う甲塚を前に、訝しげな表情で郁が腕を組む。


「あなたたちのやろうとしていることなんて見当が付くわ。どうせ尾行でもするんでしょう」

 

 こうして傍目から二人を見ていると、互いのファーストインプレッションが最悪らしいことが分かった。郁の方はまだしも、甲塚にしても首を絞められたのを相当根に持っているみたいだ。


「尾行は駄目」


「……駄目、とは?」やけに実感のこもった物言いに引っ掛かった。


「一度トライしたんだけど、ショウタロウの奴……片道数時間、乗り継ぎ数回のルートを登下校に使ってんのよね。流石にバレると思って、途中から撤退せざるを得なかったわ」


「お前、今までよく逮捕されなかったな……」


「そんなヘマするかっ。とにかく、次の手は明日までには考えておく」


 そのまま「今日は解散ね」と右手をぞんざいに振って去る甲塚を、俺たちは見送ることしか出来なかった。


「……ねえ、蓮。本気で、最後まであの子に付き合うつもり? どう考えても危ない子だと思うんだけど」


「そんなつもりはない、と言いたい所だけど……ま、こっちにはこっちの事情があるんだ――いたっ!?」


 どういうわけか、郁のつま先が俺の脛に突き刺さる。


「なっなんで……?」


「なんかずるい気がした」


「どういうこと!?」


「昨日から、蓮には私の秘密が知られてばかりな気がする……」


 片足立ちで、蹴られた脛を擦りながら郁を睨む。


「俺が知ったらまずいってのか?」


「あぁ~」郁は目を細めて唸る。「そうでもないかも。蓮って友達いないもんね」


「うっ……」


何気ない郁のコメントが、脛蹴りよりも痛烈だ。

 

「それにしても」


 分厚い眼鏡を掛けた郁の顔が、今も脛を擦って俯いている俺の眼前に近づく。渦巻くような鳶色の瞳は、俺の黒目を逃がさない。


「蓮って、変わったね」


「……な、なんだよ急に」


「だってさ、蓮って昔はもっと」


 ――昔、という言葉が郁の口から聞こえた瞬間、心臓が突然針を出したように痛くなる。


「……俺も、そろそろ帰る……」


 視線を外して歩き出すと、唖然とした郁の視線を背中に感じた。


「あっ。えっ? ああ、そう?……じゃあ、また明日ね」


「また明日」


 *


 家でシャワーを浴びていると、風呂の蓋の上に載せていたスマートフォンが震えた。


 ――@3takeスリーテイクさんからDMが届いています。


 シャンプーが目に入らないように注意しながら、ハンドタオルで手を拭って内容を確認する。


@3take>垢バレしたってツイート見ました。大丈夫そうですか?

 

@rens>社会的死の一歩手前ってところですかね


 きっと、先程投稿した内容を読んで心配してくれたのだろう。


 俺はこの『3take』さんを、多分剛毛で、多分その割には髪が薄く、多分体型に似合わない白いタンクトップを着て夏を過ごす年上の男だと思っている。が、荒涼としたSNS界にしては熱い賞賛のメッセージを送ってくるので割と好意的に思っているのだ。


@3take>もしものときは、アカウント削除なりなんなりしてリアルを優先させてくださいね


 俺が返信を打つ前にまたメッセージが飛んでくる。


@3take>決してそうして欲しいというわけではなく


@rens>分かってますよ


@3take>社会的な死は、悲惨ですから


 随分含みがある言い方だ。垢バレに関して、彼なりに思う経験でもあるのだろうか。


@rens>はい。でも、3takeさんはすけべ絵師が一人消えて困るのでは?


@3take>ほとぼりが冷めた頃合いに、別名で活動を再開すれば良いのです


@rens>再会なんていつになることやら...ですが、そうなったら3takeさんともお別れかもしれませんね...


@3take>大丈夫


 間髪入れず、また連投してくる。


@3take>rensさんの絵は、何度だって見つけ出します 私は


「…………」

 

 ――3takeゥ……!!


 人知れず、熱いすけべに充てられて夜。滴るシャワーが血潮のように頭を濡らす――


 ……とにかく、暫くの間――少なくとも甲塚の熱が冷めるまではすけべ絵師としての活動は自粛した方が良い、かもしれない。


 クラスの女子がアカウントを覗いていると知りながら、猥褻な内容を投稿する程俺にはまだ度胸がないのだ。

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