第2話 甲塚希子からの呼び出し
「ねえ。このアカウント佐竹のでしょ」と、顔を合わせるなり言われて俺は仰天した。
確かに、目の前の女子が手にするスマートフォンには俺の裏アカのホーム画面が表示されているではないか。……昨晩アップロードした18禁の絵まで。しっかり固定ツイートで。
バッ。
一瞬で耳の裏まで血が昇る音がした。
「な、なっなん、なんのことだあっ!?」
「いや動揺しすぎだし」
スマートフォンを持った女子――
今日、俺は何の因果かこのクラスきっての変人に放課後呼び出されてしまったのだった。昼休みから戻った俺の机の中に、ひっそりと「放課後、多目的室Bにきてください。大事な話があります。キコ」と書かれたノートの一切れが忍び込んでいたのだ。
「くくく。アンタさ、もしかして告白されるとでも思って浮かれてたんじゃない」と勝ち誇った表情で甲塚は言う。
「う……浮かれるわけないだろっ」
これは本心だ。
なんたって、甲塚希子は我が1-B、いや、学年一の変人だ。その見てくれは一昔前のギャルといった感じで、後ろに纏めたウェーブ掛かった髪はすすきのような金色。右のこめかみ辺りをツーブロックに刈り上げて、露わになった耳のピアスが目立っている。自由な校風の私立桜庭高校では髪染めもピアスも禁じられていないとはいえ、今時ここまで露骨に不良然とした生徒は他にいない。目立たない方がどうかしている。
だが、彼女が「不良」ではなく「変人」と呼ばれることにはワケがある。
「……そうだ。お前、たしか学期初めの挨拶で『人間観察が趣味』だって」
「なんだ、憶えてんじゃん」
「あんなインパクトたっぷりの自己紹介、忘れるかよ……」
――甲塚希子。趣味は人間観察。たれ込みはいつでも歓迎。ヨロシク。
最後にぺこっと頭を下げて、どかりと席に腰を降ろす彼女を見たときは世間にはおかしな奴がいるもんだと思ったものだ。
それでいて成績は上の下で、得意科目は数学。ギャルなんてこの巨大な私立桜庭高校には少数ながら生息しているというのに、甲塚は彼女たちに組しない。一匹狼の孤高なギャル(少なくとも見てくれは)なのだ。
そんな女に呼び出されたとあっちゃあ心穏やかにいられるわけがない。ましてや告白されるかも! なんてウキウキした感情、発生しようが無い。
「にしても意外だよねー。うちのクラスにこおんなスケベ絵師がいるなんてさ」と、わざとらしくスマートフォンの画面をチラチラ見せながら言う。
「お前っ……!」そこで、俺はハッと思い直した。「待てよ? どうしてそのアカウントが俺のものだなんて言えるんだよ。証拠なんて」
「あるんだなあ、これが」
甲塚が、すっすっと指を滑らせて、あるツイートを俺の鼻先に突きつける。
『道の真ん中に狸の置物が置いてある……』と、数ヶ月前の俺がツイートしていた。
「……?」
このときのことは憶えている。俺がいつものように高校から自宅への帰路を歩いていたときのことだ。
狸の置物が、歩道のど真ん中に鎮座していたのだ。
それも、土産物屋でちょろっと買って帰れるような可愛らしい大きさではない。
それは、薬局の前に置いてあるカエルの人形のような――丸々とした目で天を仰ぎ、酒を肩に担いでキンタマがやたらとデカイ、巨大な狸の置物だったのだ。
俺は、日常の中に現れたその狸にしばし心を奪われた。そして、呆然としながら『道の真ん中に狸の置物が置いてある……』と写真付きでツイートしたのだった。
……だが、それがどうした? 改めて写真を見る限り、写っているのは歩道に置かれた狸の置物と、そこが歩道であると分かるアスファルト。それに、辛うじて電柱が見える程度だ。特定に繋がるような情報は何も無い。
これで、あの道に配されている特徴的なポールライトが写ってでもいれば辛うじて特定は可能だろう。しかし、そんなことは写真を撮るときから分かっていたことだ。……そうだ。だからこそ、敢えてこの画角で写真を撮ったのだった。
だとしたら、目の前の甲塚は何を以てこのアカウントの持ち主が俺であると言うのか。
まさか、当てずっぽうか。鎌を掛けられているんじゃ――と、俺が膨らました無茶な妄想を、木っ端微塵にする一言を目の前の女が告げる。
「この狸、私が置いたんだ」
「なっ……」
あのでかい狸を、甲塚が――
「なんでそんなことを!?」
したり顔の甲塚は、俺の眼前に指を突き出して「ちっちっち」と振った。「なっちゃいないわね。まるでなっちゃいないよ。アンタのネットリテラシー。道にこういう変な置物を置いておけば、情弱共は馬鹿みたいにインターネットで呟くんだ。で、まんまとSNSアカウントが特定されるってわけ。これ、ネットストーカーの常套手段よ」
甲塚の口からするすると犯行手口が出てきたので、俺は唖然としてしまった。それに――
「ネ、ネットストーカー、だって? お前が?……俺の? イテッ」
俺の目の前で揺れていた指が、額を突いてきた。
「私が佐竹を? なわけ!」それから大笑いしたと思ったら、突然スッと据わった目線を俺に合わせる。「アンタは私の罠に掛かった情弱の一人ってだけ。大体私は学校の人間のSNSは七割方特定しているんだから。それでも佐竹に声を掛けたのは、分かるでしょう」
「……」
ちらりと机の上の甲塚のスマホを見る。画面には俺が書いた絵。これを、俺が描いたのだとバレたら……。
想像するだに恐ろしい。当然、この学校に俺の居場所がなくなるどころでは無い。
俺はハッキリと目の前の未来に地獄を見た。男子たちの嘲笑、女子達からの侮蔑の視線。……これで笑い合えるような男友達でもいれば別だが、残念ながら俺には袖触れ合う程度の友人しかいないのである。
俺の学生的命運は、目の前の少女が握っている、ということか。
「……目的は何なんだよ……」
噛みしめた奥歯の隙間から、呻くように聞く。
「私の活動の手伝いをして欲しい」
偉そうに足を組んで『お願い』をしてくる甲塚を前に、一つ疑問が浮かぶ。
「……活動、とは?」
「人間観察部。ま、部員は私だけだけどね」
「に、人間……観察部? うちの高校にそんな胡散臭い部活が……。てか部員が一人って許可されるもんか……?」
「一応正式だから。言ったでしょ。私は学校の人間のSNSは七割方特定しているって」
「学校の人間――って、まさか教師も!?」
「くくく。それは想像にお任せしようか」そう言いながら、甲塚はまたスマートフォンの上で指を滑らせて、新しい画面を俺に見せてきた。「あんた、コイツのことは?」
彼女が見せた画面には、男子が笑っている写真――制服ではない。着ているのはうちの高校のジャージで、カメラのレンズの右上辺りに笑いかけているところだ。
一見して爽やかな運動風景。春の体育祭のワンシーンってところか。
「……ああ。知ってる」
流石に俺でもこの男のことは知っている。臼井、ショウタロウ(名前の漢字は知らない)だったか。彼の名前は別クラスの俺のような地味生徒にまで聞き及んでいる。
それほど、彼はイケメンなのだ。
長身でいながら、彫りの深い日本人離れした顔付き。これだけでも並の女子生徒の目を惹くというのに、グループの中で仲間達の馬鹿話を落ち着いた表情で受け止める彼の立ち振る舞いが妙に大人びている。クラスの女子連中によれば、それが人気の秘訣だそうだ。
かといって、今のところ特定の恋人はいないらしいから女子たちは浮き立つのだ。臼井と付き合うということは、栄光のトロフィーを手にすることに等しい、のだろう。
まあ、俺には縁の無いことだ――と思った。
「知ってるんなら話は早い。佐竹にはこいつの弱みを調べて欲しいのよ」
「ん?……ん?」
俺はスマートフォンから顔を上げて甲塚の顔を見直した。
「臼井の弱み?……なんで?」
状況が呑み込めず甲塚に尋ねると、彼女は「そんなん決まってんでしょ~」にたあっと笑う。「臼井はこの学校の女子達の台風の目なわけ。佐竹みたいな芋には想像できないだろうけど」
「芋って」
「そんな憧れの臼井君のスキャンダルを私が手に入れる。それこそ、人間観察部の本願ってもんよぉ。くくく……理想が打ち砕かれる女子達の顔は見物よぉ……」
俺のボぼやきを無視して甲塚はルックスに似合わない不気味な笑い声を挙げる。パチパチとキーボードを叩く指は如何にも愉快そうだ。
なんと人格の終わった女なのだろうか。
スマートフォンの液晶から跳ねる光を彼女の笑みに、俺ははっきりと悪魔の様相を見た。
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