第4話 被害者の会

 福岡刑事は、とりあえず、事件の概要だけを聞いておいて、まもなく出勤してくる刑事たちが集まってくるのを待った。電話を切ったのが、5時を回っていて、6時近かったくらいかも知れない。あまり騒が立ててもいけないと思い、とりあえず、早朝の通勤は平常通りに行い、出勤してきた刑事に、それとなく少しずつだが、話をしておいた。

 刑事部長が出勤してくると、いよいよ報告に入った。内容を聞いた刑事部長は、

「よし、分かった。電話を掛けてきた人も、直接刑事課にかけてきたということは、大っぴらにすると、危ないと考えたんだろうな。こちらも、秘密裏に動かないといけないな」

 といって、今回の福岡刑事の対応には、一定の評価を寄せていた。

「恐れ入ります」

 といって、刑事部長の報告が終わったが、その時に分かった情報を、できるだけ簡潔に、刑事部長に話した。

 電話を掛けてきたのは、清川朝子という女性で年齢は、40歳になるという。そして、今回誘拐された人は、彼女の旦那で、清川平蔵という、45歳になる人だった。

 彼は、前述のように、有名会社である、

「清川エンタープライズ」

 の社長であった。

 2代目となる社長が会長に退き、平蔵は社長に就任したのは、3年前だという。会社の実権は、社長に就任しても、最初は会長にあり、やっと3年目になってから、社長として一人前になったということで、

「これで、わしもゆっくりできる」

 と、会長の座についてはいたが、実権はすでに息子に譲っていて、名前だけの会長となり、ほぼ、隠居生活状態であった。

 会長の名前は、清川竜彦といい、年齢とすれば、もう70歳を超えているという。それでも、

「まだまだ、若い者には負けん」

 とばかりに、この年まで、病気らしい病気もなく、健康でいたのだった。

 清川エンタープライズという会社は、今では、ゲーム関係のシェアでは、国内で5本の指に入るくらいで、なかなかゲームの名前は世に出ても、制作会社の名前が表に出ることは少なかったが、この会社は、結構有名であった。

 というのも、ちょうど3年くらい前に出たゲームが大当たりして、その時、会社名も一緒に売れたのだった。

「こんなことは珍しいんだがな」

 と、業界の人も不思議がっていたが、別に会社が宣伝したわけでもないのに、どういうことなのか分からなかったが、社長の交代劇と一緒になったことで、

「ああ、あのゲームの会社の社長が変わったんだ」

 ということとタイミングがよかったのか、そこで有名になったようだ。

 現社長からすれば、会長への配慮からか、

「何か複雑な気持ちですね。社長が退任されるタイミングで、わが社の最大のベストセラー作品が生まれたというのは」

 と言っていたが、

「新社長の門出には、ちょうどいいではないか」

 と会長職に就いたことで、少し後ろに下がり気味ではあったが、まだまだ社長の器になるまでは、自分が半分は支えていかなければいけないと思ったわけなので、ある意味、社長と会長の意思疎通もうまく行っていたことが、

「ベストセラー製品を生み出す原動力になったのではないか?」

 と言われるようになったわけだが、そこに会社の将来を占うという意味で、

「幸先がいいではないか」

 ということになり、全体的には、順風満帆を表していたのだった。

 そんな時期に襲ってきたこの災い、奥さんとしても、いきなり奈落の底に叩き落された気分になったのかも知れない。

 まず、署内でどのような体制を取るかということが話合われた。当然のことながら、

「県警本部に連絡を入れなくて大丈夫なのか?」

 ということ一番に議題に上った。

 とりあえずは、まだ、実際の誘拐事件について、何も分かっていないということで、まずは、現地に向かってからのことだということを、署長を始め、そういう話になった。

 それは当然のことであって、何のために、奥さんが110番でなく、この署の刑事課に直接電話を掛けてきたのかということを考えても分かりそうなものだ。

 そして、もう一つ引っかかったのが、

「相手には、どうやら、しっかりとした弁護士がついているのではないか?」

 ということであった。

 相手に顧問弁護士がいるということは、いきなりここで警察が変な動きをして、犯人たちを刺激すると、それこそ、弁護士は責任問題を警察にぶつけてくるだろう。そうなると、所轄だけではなく、県警の、いや、マスゴミの餌食になることで、全国の警察組織が、民衆の敵になりかねないということが考えられるからであった。

 それを思うと、自分たちのような現場の刑事が口を出せる場面ではない。署長クラスの人の判断が必要になってくる。そういう意味でのリアリティを考えると、殺人事件の捜査よりも、誘拐事件を目の前にする方が、かなりきつくなってくる。

 なぜなら、時間が勝負であり、その時々の、瞬時による判断力が求められることになる。誘拐された被害者が、殺されて戻ってきても、もう遅いのである。

 そういう意味で、今はまだ、誘拐という事件が起こったというわけで、相手の出方も何も分かっていない。

 そう、誘拐事件の難しいところは、主導権を完全に相手に握られているということである。

 戦争において、制空権も制海権も握られてしまった状態で、一体どのように戦えばいいというのか、福岡刑事が、一番恐れていた事件というのは、こういう誘拐事件だったのである。

 誘拐事件に、どのように立ち向かえばいいのか、正直、予備知識はなかった。一口に誘拐事件といっても、犯人の目的が何であるかということが分かって、初めて動き出すことができるのだ。

 何も分かっていない段階で、動くというのは、まるで自殺行為だ。それこそ、地雷が敷き詰められていると分かっている平原に、足を踏み入れるようなものである。

 福岡刑事は、学生時代、歴史が好きだった。

 最初の頃は、戦国時代や幕末などと言った、

「いわゆる一番ベタな時代」

 に興味を持っていたが、大学時代に見に行った映画を見て、

「大日本帝国」

 の時代に大いなる興味を持ったのだ。

 日清、日露戦争から、大正、昭和初期の激動の時代、そこから敗戦までを、結構本を読んだりして、いろいろ勉強したものだった。

 それぞれの時代に魅力があり、

「今の日本国とは正反対の国家が、昔存在していた」

 という程度の知識しか持っていなかったのだが、そのうちに、

「大日本帝国があって、今の日本国があるのだ」

 と思うようになってきた。

 なるほど、敗戦の時、連合国はすべてを大日本帝国首脳に押し付けて、

「勝者の理論」

 としての自分たちの正当性を、極東国際軍事裁判で、戦犯を裁くということで、ごまかしてきた。

 だから、日本国になってからの教育は、すべて、大日本帝国を否定するかのようなものになっていたが、若干の仕方のない部分はあるとしても、精神までは、変えることはできないだろう。

「一つの時代が終わって、新たな時代が生まれてくると、かつての時代の遺産は、すべて葬り去る」

 というやり方は、昔から存在していただろう。

 例えば、時代が江戸時代になると、豊臣時代にあったものをすべて廃棄して、跡形も残さないようにし、さらに、当時の豊臣家の家臣でも、徳川の政治に役立つ人間が、正義として扱われ、徳川に逆らった人間は、すべて、極悪人であるかのような伝えられ方をしてきた。

 最近でこそ、いろいろな研究から、何が正しかったのかが、証明されてきているが、数百年という間に、

「極悪人」

 として伝えられてきた話は、そうは簡単に拭い去れるものではないということであった。

 大日本帝国の名誉も、なかなか解消させない。しかも、かつての日本の所業を詰められると、何も言えなくなる。

 本来であれば、

「大日本帝国がアジアに対して行った行為が侵略に当たるのかどうか?」

 という議論が行われてしかるべきなのに、今は完全に、

「あれはアジアへの侵略だったのだ」

 というところから話が始まっているように思えてならない。

 だから、大日本帝国は天皇中心の侵略国家だったのだというような、まるで他の国の出来事でもあるかのように扱われている。

 日本国としては、そちらの方が都合がいいのかも知れない。

「かつて侵略の歴史が繰り返された」

 ということを事実として受け止め、日本国民が、皆そう思っているのだということを、半日を謳っている国であったり、その国内の組織に対して、

「俺たちは、過去にそういう歴史があったかも知れないが、今ではそんな過去を憎んでいる」

 とばかりに言ってしまえば、今の時代にふさわしい、平和国家なのだということを表していることを世界に胸を張って言えることになるだろう。

 ただ、それでいいのだろうか?

 大日本帝国の政府も国民も、皆、この国のことを、国の将来を憂いてきた結果が、敗戦だった。

 それを、連合国の、植民地の歴史を黒歴史として葬り去りたいという意識の強さが、敗戦国を悪者にすることで、自分たちを正当化させようとしているのだ。

 何とも、卑怯であこぎだと言えるのではないだろうか?

「大日本帝国は、連合国の正当性のために滅亡させられたも同然だ」

 と言ってもいいのではないだろうか?

 最近の、世界情勢で、ある強大国が、元仲間の国に攻め込んだことにより、戦争が起こったが、その時、攻め込まれた国のダイトウリョウが、アメリカ議会において、

「かつての、真珠湾を忘れてはいけない」

 などと、ほざいたことがあり、それを踏まえても、経済援助を続け、そのダイトウリョウが、今度は日本の議会で発表すると言った時、モニターに映ったダイトウリョウのその姿を見て、政治家全員が、スタンディングオベーションを見せていたのには、驚いた。

 いや、

「何の茶番を見せられているのだろう?」

 という呆れを感じえなかったが、次第に怒りがこみあげてきた。

 ただでさえ、無能な政治家どもに怒りを感じていたが、

「ここまで落ちたか?」

 と思うと、最初は呆れを感じ、今度はそこからやっと怒りがこみあげてくるようなのであった。

「あいつらがやっていることは、まるでナチスではないか」

 と思ったのだ。

 ヒトラーが演説をする時に国民が拍手で答えるという、完全なマインドコントロール。それをしかも、日本とは何の関係もない。さらに、真珠湾などと言った当のダイトウリョウに媚びているのを見ると、

「ここはどこの国なんだ?」

 と考えさせられてしまうのだった。

 そもそも、真珠湾を口に出す時点で、そのダイトウリョウは、

「歴史を知らない」

 と言っていいだろう。

 日本が、大東亜戦争に突き進むように日本を追い込んだのは、アメリカではないか。

 当時、ヨーロッパでは、ナチスドイツがポーランド、ベネルクス三国を手中に収め、さらには、その勢いから、フランス政府が逃亡することで、パリを占領されるという事態が起こっていて、イギリスへの侵攻を諦めたヒトラーが、ソ連に襲い掛かっていた時だった。

 ヨーロッパからは、アメリカの参戦を促されるが、アメリカでは、議会の承認がなければ、大統領の意見だけでは戦争を始められない。

 何といっても、ここでヨーロッパがドイツに占領されると、アメリカが供与した武器や、それに伴う貸与金を回収できなくなるという問題から、

「なんとしても、参戦するには、相手から攻撃されたという既成事実を作る」

 という必要があったのだ。

 だから、日本は巻き込まれた。

 それまで、日本は中国大陸での戦争によって、欧米列強から経済制裁を受けていた。何と言っても、自給自足能力がほとんどない日本なので、戦争はおろか、国民生活までもが困窮していたのだから、戦争するか、軍を引くかしかないのだが、軍を引くことは、国内世論も、軍の士気においても、致命的で、絶対にできることではなかった。

 そのあたりの日本人の感情も当時のルーズベルトダイトウリョウは分かっていて、日本に対し、最後通牒ともいうべき内容を言い渡した。つまりは、交渉決裂を言ってきたようなものだ。

 本来であれば、それがすでに、

「宣戦布告」

 に当たるはずである。

 しかし、それをアメリカは宣戦布告とはせず、日本に、交渉決裂という文章を出させ、戦争に引き込もうとした。

 アメリカが、最後通牒と、真珠湾攻撃の時間差まで計算していたのかどうか分からないが、要するに真珠湾攻撃というのは、巷で言われているような、

「日本軍による、卑怯な騙し討ち」

 などではなく、アメリカによる、

「日本を戦争に引きずりこんで、アメリカが、世界大戦に参戦する理由を正当化させるためのものだった」

 ということを、ゼ〇ンスキーダイトウリョウが知っていれば、あんな言い方はしないだろう。

 そもそも、今回の戦争は、侵略でも侵攻でもない。

「起こるべくして起こった戦争」

 であり、攻められる国だって、防衛体制をしっかり強化していたではないか。

 しかも、ゼレ〇スキーダイトウリョウだって、国民に対し、戦争前から、

「私は逃げない」

 と言っていたはずではないか。

 そして国民に、

「徹底抗戦」

 を命じたのは誰だったか?

 そうなると、あれは侵攻ではなく、

「おこるべくして起こった、普通の戦争だ」

 と言えるのではないだろうか?

 それなのに、

「強い国が弱い国を侵略した」

 などという構図を勝手に作りあげて、経済制裁など、ありえるのかということである。

 アメリカは、この時に乗じて、ライバル国を失脚させようと、まわりの国を巻き込んで、今後起こるであろう、世界的な食料や、エネルギーなどを中心とした物資の不足に、一役を買うことになる。

 他の国も皆騙されて、その動きが加速してくることだろう。

 日本政府もなぜ分からないのか。何といっても、岸〇ソーリが、自分の支持率が下がったことで、それを回復させようと、偽善者ぶったことが、今の窮地を招いたのだ。

 本来であれば、戦争当事国以外の国は、同盟でも結んでいない限りは、中立を宣言すべきである。

 中立というのは、

「戦争を行っている両国に対して、決してどちらの国にも肩入れしない」

 という意味もあって、宣戦布告というのがあるのだ。

 今のままでは、片方の強国だけが悪者になり、下手をすれば、核爆弾が飛んでくるなどということになれば、〇田ソーリはどう責任を取るというのか?

 地元、広島で責任を取るだけでは許されない。

「そもそも、総裁選での公約はどうなったというのか?」

 この小説の公開予定が、半年後だとすれば、果たして、当事国の、ゼレン〇キーダイトウリョウと、バ〇デンダイトウリョウ、さらに、岸〇ソーリの全員がいないかも知れない。

「ざまあみろ」

 というところである。

 まあ、そんな政治の話は置いておいて、誘拐事件のように、相手に主導権を握られてしまっていると、行動にもかなりの制限と、気を遣わなければいけない。

 何と言っても、最大の優先順位は、

「無事に助け出すこと」

 なのである。

 身代金を奪われたとしても、命が助かれば何とかなる。しかし、身代金が戻ってきても、殺されてしまえば、本末転倒ではないだろうか?

 だからと言って、まんまと身代金を奪われると、警察の面目は丸つぶれだ。殺されてしまえば、責任問題が発生し、さらにひどいことになるが、このままでは、まるで、

「王手飛車取り」

 ではないか。

 王がやられてしまえば、そこでゲームオーバーで、もう何もできず、敗戦ということになってしまう。

 しかし、飛車がやられても、まだ首の皮一枚でぶら下がっているのは、間違いない。ただ、戦争でもそうなのだが、一番難しいのは、

「引き際が一番大切だ」

 というではないか。

 戦争の話に戻って恐縮であるが、戦争で一番難しいのは、

「その終わらせ方である」

 と言われる。

 例えば、大東亜戦争も、最初は、

「日本がこのまま戦争に突入すれば、勝てっこない戦いであることは間違いない」

 と言われていた。

 では、そうすればいいかということで、

「勝つことよりも、負けない戦争をすることだ」

 というのは、

「日本という国は、戦争を継続していけるほどの資源がない」

 ということであったので、負けないシナリオをして、

「まず、東南アジア、特にインドネシアの油田を手に入れて、半年か一年くらいの戦争継続が可能なだけの燃料が手に入れば、後は、奇襲攻撃などで、当初のうちに、圧倒的な勝利を収め、あまつさえ、相手が戦争継続意思がなくなるほどに戦意喪失でもしてくれれば、最善のところで、和平交渉ができる」

 というものであった。

 日清戦争でも日露戦争でも、勝つには勝ったが、北京やモスクワに攻め込んでの、占領という、

「完全勝利」

 だったわけではないだろう。

 だから、連合艦隊の山本五十六司令長官が、近衛ソーリに、

「戦争には反対ですが、もし、どうしてもやれと言われれば、最初の半年や一年は、大いに暴れてお目にかけましょう。しかし、そこから先は、責任は持てません」

 と言った話は有名である。

 実際に、大東亜戦争が始まって、最初の半年は、日本軍には、向かうところ敵なし、全戦全勝だったのだが、問題は二つあった。その根本は一つなのだが、要するに、

「戦線が伸び切ってしまった」

 というのが大きかった。

 つまり、戦争を起こしても、あまりにも支配したのが、広すぎて、食料や船団による、兵の補給ができなくなるということである。

 つまりは、

「日本から遠すぎて、その間に、待ち構えているアメリカ軍に攻撃される」

 ということである。

 輸送船団を狙われれば、戦わずして、兵を海に沈めることになってしまい、しかも、船や武器まで、無駄に消耗するということだ。

 だから、本来であれば、最大に占領したあたりで、和平交渉を進めればよかったものを、あまりにも景気よく勝ちすぎたために、世論の後押しもあって、

「引き下がれなくなってしまった」

 というのが本音でもある。

 そういう意味では、あの戦争は政府が悪いわけではなく、最初に国民を扇動して、戦争を煽ったマスゴミにも責任はあるのだ。その後、

「情報統制」

 などが行われ、

「ウソで固めた大本営発表の犠牲者」

 がマスゴミのように言われたが、マスゴミは犠牲者でも何でもない。

「自業自得なのだ」

 と言えるのではないだろうか?

 警察は、まず、被害者宅に赴いて、奥さんから一応の事情を聴きながら、電話を受ける準備をした。今は昔のように逆探知なども無理だし、GPS機能をすべて、ロックしてしまえば、位置情報も分からない。それでも、とりあえず、会話の中や、まわりの音などを解析し、どこから電話しているのかくらいは収拾できるというものだ。

 これをもしネットでやれば、今度はIPから位置情報が分かるだろう。ただ、それもいくらでも逃げ道はあるというもので、ネットカフェだったり、不特定多数の利用する場所であれば、場所は特定できても、誰なのかまでは到底特定できない。とりあえずの装置の設置というところであろうか?

 そうしておいて、奥さんと、会長となる父親から話を聞くことにした。

 話としては、あらかじめ、奥さんから少々のことは聞けていたのだが、会長とは初めての話になり、そこで会長に、

「何か、恨みに思われるようなこと、息子さんにあったんですか?」

 と聞かれると、

「いいえ、そんな話は聞いていません。むしろ、今は会社も安定していて、どちらかというと、息子は優しすぎる方で、恨まれるというようなことは今は考えられないねすね」

 と会長がいうと、奥さんもそれを聞いて、必死に頷いている。

 すでに前日から、かなり気を揉んでいるのだろう。奥さんは、かなり疲れているようで、顔色もかなり悪い様子だった。

「ですが、人間いつどこで人の恨みを買うか分かりませんからね。恨まれていないと思うようなちょっとしたことでも、逆恨みということもあるし、何かしらあれば、おっしゃっていただければ、そこから、犯人を割り出すということもできるかも知れませんからね」

 ということであった。

 それを聞いた会長は、

「私ならいざ知らず、息子にはちょっとわかりかねますね」

 という、意味深な言い方をしたので、

「会長、今の私ならというのは、どういう意味ですか?」

 と福岡刑事が聞くと、

「ああ、今の逆恨みという言葉でいえば、私にならあるかも知れないけどもという意味なんですよ」

 というではないか。

「というのが?」

「いえね、あれはもうかなり前のことですね。昭和から平成に移ってすぐくらいのことだったから、かれこれ、30年近く前のことですね。ちょうど、私の父の先代、つまり創業者が、そろそろ引退して、私に社長業を継がせようかという頃のことだったんですよ」

 というので、

「ああ、じゃあ、今の息子さんくらいの頃でしょうか?」

 と刑事が聞くと、

「そうですね。もう少し若かったかも知れません。当時、世間では、大きな事件があってですね。老人が詐欺に引っかかるという社会問題になった事件があったのを、刑事さんはご存じですか?」

 と言われ、誘拐事件と聞いて思い出したのが、同じ頃の、食品メーカー社長誘拐だったことで、この事件のことも、本当に久しぶりに頭の中から引っ張り出したのを思い出したのだった。

「ああ、そんな事件もありましたね」

 と、少し煙に巻く形で話した。

 会長は、そんな刑事の素振りに気づいたのか気づかないのか、構わずに、話を続けたのだ。

「ちょうど、その時、私は社長になる前の最終試験という意味なのか、先代から呼ばれて、今回の事件の手助けをしなさいと言われたんです。その時、弁護士の人がいて、その人の話としてですね。被害者の会を立ち上げたいんだけど、会長には、被害者とゆかりのない人に就任してもらいたいということで、相談に来たというんですね。しかも、その弁護士というのが、次期の顧問弁護士の候補の人だったので、ここで、私を目立たせておこうという考えがあったんでしょうね。先代社長とともに、私を説得に罹ったんですよ」

 というではないか。

「会長さんは、引き受けられたんですか?」

「ええ、まあ。私の方としても、社長就任の前に、手土産でもあった方が、今後の社長業がやりやすいと思って、気軽に引き受けたんです。社長がこれだけいうんだから、当然、会社を上げての会長就任ということになるわけでしょうから、頑張ろうという気になったわけですよ」

 というではないか。

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