第2話  苦しみと拒絶と

 やりきれない感情のまま、あてもなく街を彷徨いていたと思ったらいつの間にか家に着いていた。


 僕の母親はまだ授業も終わっていないのに帰ってきた僕のことを見て何か思うところがある顔をしていたが、僕の顔を見て何かを察したのか特に何かを言ってくることはなかった。


 自分の部屋に倒れ込むように入ると仰向けにベッドに身を投げ出して何かに縋ろうと虚空に手を伸ばす。だが、もちろんその手は何かを掴むことなく虚空を切る。


 苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。


 目を開けていれば無駄に白い天井に詩音と小林の交わっている動画が映り、目を閉じれば閉じたらで瞼の裏でその動画が勝手に再生される。


 サッカー部のエース小林と詩音。小林は中身から目を逸らせばイケメンなので、彼ら二人が並んでいる姿は傍目に美男美女カップルに映る。


 少なくとも僕の隣に詩音がいるよりはそちらの方が違和感なく思い浮かべられる。


 そんな風に二人のことを考えすぎたせいか吐き気が僕を襲う。


 トイレに駆け込んで朝食を吐き出す。


 口元を拭い、洗面所でうがいをして部屋に戻ると写真立てに飾られている僕と彼女の中学入学式のときに撮ったツーショットの記念撮影の写真を見つめながら、僕は力なく壁に背中を任せた……。



 いつの間にか眠っていてしまったのか目を覚ますと既に時計は三時を回っていた。


 そろそろ授業も終わったなと思うも、特にすることもしたいこともないので無駄なことを考え始める前に再び目を閉じて現実から少しでも離れようとした。


 その瞬間に階下から聞こえてくるインターホンの音。


 母親のはーいという声とともにドアが開き、今一番顔を合わせたくない人物の声が聞こえてくる。


「あの……、すみません」

「あら、詩音ちゃんいらっしゃい」


 別にインターホンなんて鳴らさずに自分の家だと思って入っていいのにと母親は言いながら上がって上がってと彼女を家に上げる。


「それで今日はどうしたの?」

「いや、真砂希くんのバッグを……」

「あらごめんなさいね、うちの馬鹿息子が。ここまで持ってきてくれてありがとう」

「……いえ、いつも私もお世話になっているので。……それで今って真砂希くんって」

「二階の自分の部屋に篭ってるわよ。……真砂希への用が済んだ後でいいから今日学校で何があったのか知ってるなら私に教えてもらえる?」

「学校で何があったのかは私にも分からないんです。突然教室を飛び出して行ってしまったので……」

「そうなの? ……それならもしよかったら訊いてあげて。私には何があっても話してくれないけど、詩音ちゃんなら話してくれるだろうから」

「はい」


 会話が終わると彼女が階段を登る足音が近付いてくる。


 そして、僕の部屋の前で止まると控えめに僕の部屋のドアを叩いた。


「あの、真砂希? 大丈夫? バッグ持ってきたんだけど」

「……」


 今まで彼女のことを無視したことは一度もなかったが、今日産まれて初めて彼女を無視した。


 そして、少しでも彼女から離れるように、窓際に設置されているベッドまで這っていき、布団の中に包まり耳を塞ぐ。


 僕の反応がないことで不安に駆られたのか彼女は少し大きな声を出した。


「真砂希? 入っても大丈夫?」

「……」

「……入るよ?」


 控えめに静かに開けられる僕の部屋のドア。彼女は真っ直ぐ僕が布団に包まっているベッドに近付いてくる。


「真砂希? 寝てるの?」

「……」


 少し布団が捲られる。運悪くその隙間越しに彼女と目が合ってしまう。彼女の浮かべる不安そうな顔。そんな彼女の顔を見た瞬間、声には出せない苦痛が僕を襲う。


「真砂希? どうしたの?」

「……」


 寝返りを打って彼女の反対側を向き、視界に入れないようにする。


 僕がここまで素気無い態度を見せてもあくまでも心配なのか、彼女は僕に手を伸ばしてきた。


 彼女の手が僕の頬に触れた瞬間、彼女が小林と交わる姿が頭を過ぎり、僕は無意識のうちに思わず彼女の手を払い退けてしまった。


「えっ……?」


 彼女の呆けたような声に表情。彼女は全く悪くないのに。僕が終わってしまった片想いを引き摺ってしまっているだけなのに。そんな罪悪感からごめんと短く謝った。


 僕たち二人の間に流れ出した沈黙に耐えかね、僕は一度は閉じた口を開いた。


「辛いから、今日はもう……帰って」

「……真砂希」

「お願い……」

「……わかった。でも後で何があったのか教えてね。バッグとスマホここに置いとくよ。じゃあね」


 彼女がそっと僕の部屋を出て行くと僕は僕以外に誰もいなくなった静かな部屋でそっと呟いた。


「辛い……」

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