待ちわびる人-11



 2時間ほど待ち、幾分海が穏やかになった頃、頼りない小さな漁船は浜から出航した。


 ストレイ島までは更に2時間。距離は殆どないが、漁船の性能が低いから時間がかかってしまう。


 昔からあるものを修理し、欠けた部品は廃材から共食い整備、あるいは見様見真似で加工。そのようになんとか使い続けているのを見るに、やはり島の生活はいよいよ厳しい。


 生活苦で、ついに売れるものは人だけに。レオンはそんな老人達を責めなかった。


 村の外に出たら、戻る事は許されない。

 そんな自身に課された掟にも通じるものがあり、裁く立場にないと思ったからだ。


 山奥の狐人族の村「ピッピラ」は、レオンを死なせないためとはいえ、魔族にレオンを差し出した。


 何かと引き換えに人を差し出す事自体に違いはない。ただ、ティアを騙したのは人買いであって、ストレイ島の者達ではなかった。

 それだけでも理由は十分だった。


「さあ、もうすぐ着く。老人ばかりの島だ、たいしたもてなしも出来ないが」


「うん、大丈夫」


 ストレイ島は、島の北西に標高数百メルテの山があり、なだらかな丘陵が東に向かってゆっくりと下りている。港は南東側に1か所。

 最後に補修したのはいつなのか、ひび割れたコンクリートの小さな港は、荒波から船を守るにはやや心細い。


 集落は海風をしのぐため、海辺ではなく丘の麓にあった。


『かなり生活は厳しいようだな』


「うん、畑は荒れ果てているし、漁船として動けるのもさっきの一隻だけみたい」


『これでは飢えて死ぬのも時間の問題ではないか。家畜も鶏がおるだけだ』


 レオンを迎えに来た老人は、集落の中でも一番若い2人だった。空き家になった1軒に通された後、老人はかまどで火を焚き始めた。


「誰も住んではおらんが、手入れはしておるんだ。誰も住まなくなった家は倒壊が早いのでな」


「この島には、何人残っているんですか」


「6人だ。82歳になる俺の母親と、75歳になるコイツの兄貴、72歳の夫婦、俺とこいつは64歳になる。俺はダイサ、こいつはレージ」


 老人僅か6人。レオンとジェイソンは予想以上に少ない人口に、少々驚いてもいた。


「まだ可能性のある奴は、島の外で生きた方がいい。こんな島で生きていくよりは、まだ栄えたところの方が未来がある」


「それで、残ったのがあなた達、ですか」


「最後に島を出たのは3年前の40代の夫婦と子供だ。その時点で、14人の爺さん婆さんだけの島になった」


「年寄りばかりで医者もいないからな、3年で8人が老いて死んだ。飢えではなかったのが救いだな」


 当初は72歳の夫婦も20年程前に外に出るつもりだったという。しかし、若者がいなくなり、子連れの夫婦も島の外へ出ていく中、残された者の面倒を見るため残った。


 その夫婦も、力仕事は最年少64歳のダイサとレージに頼る事が多くなった。


「あの、エリスの両親の事なんですが」


「ああ、布屋のラビスとアリーの娘だったな。殺されていたとは残念だ。この島に残った方が良かったとは言えないが」


「アリーさんには、姉妹がいましたか」


『よく似た顔だった』


「ああ、いたよ。姉のティアという子がね。他にはラビスしか若い男がいなかった。ティアはラビスとアリーのため、自分が売られる事を受け入れた」


 同じ歳だったラビスとアリーのため、ティアは金を残すつもりだった。2人が金を手に入れられたら、村を出ても、すぐに生活基盤を築くことができる。そう考えたからだった。


「おれの、ご主人です。とても、とても優しい人でした」


「ああ、いい子だったよ。みんなで島を出ようとも言ってくれておったんだが、あいにく集落には長旅の金も食べ物もない。体力もない」


「皆が準備出来次第、島を出る。そう約束はしたんだが……その後に色々と話し合い、老人は留まり、金が入る度に若者の旅立ち資金にした」


 ティアはもうみんな島から出ていて、新天地での生活を始めていると思っていただろう。ジェイソンは以前ティアが「帰りを待っている人はいない」と言っていた意味を理解した。


「……ご主人の骨を、墓地に埋めさせて下さい」


「ああ、それなら裏手にある。墓は島民全員が1つの墓に入るんだ」


 ダイサが付いてくるように言い、レージは芋を掘りに行く。集落の裏手で見たのは、大きな丸い石が飾られた空き地だった。


「石の手前の取っ手を持ち上げたら、地下に下りていく階段がある。好きな所に置いてくれ、どうせ墓に入るのはあと6人しかいない」


 レオンは言われた通りに地下の石棺の中に入り、ティアの骨が入った袋を置いた。そしてしばらく考えた後で一部だけを残し、外に出た。


「ご主人は海を見たいと言ってた。西の海岸に行きたい」


「それなら歩いて1時間ほどで西岸に辿り着ける。温泉も湧いていたんだが、もうそこまで歩いていく気力もない」


 レオンはダイサに言われた通り、集落を出て西を目指す事にした。

 西にあった集落は50年ほど前には既に消滅している。


 歩き始めて1時間かからないうちに、レオンは西の浜に辿り着いていた。その浜の様子を見た時、レオンはティアが恋しがっていた景色が何だったのか、分かった気がした。


「ああ、凄い。雲の切れ間から光が海に注いで、遠浅の砂地がエメラルドの色をしている」


『似たような場所は他にもあったと思うが、沖の小さな島々まで、歩いて渡れそうだ。さすがにそのような場所はなかったな』


 今が極寒の季節であり、太陽が高く昇らないという条件を度外視しても良いと思える程、悲しくも美しい景色。


 レオンはティアの残りの骨を浜の近くに埋め、黙祷する。


「ご主人、やっと、約束を果たしたよ」


 ティアから貰った手帳を開き、覚えている歌を1つずつ歌っていく。それを鎮魂歌としてティアに捧げ、その場に腰を下ろした。


「ご主人とおれの旅は、終わった」


『ああ。レオン、よくやり遂げてくれた、礼を言う』


「礼を? 何に……」


 ジェイソンの言葉に、レオンがゆっくりと振り向いた。そこにいたのは、今までのジェイソンの5倍も大きな「ジェイソン」だった。


「えっ」


『我が傀儡の決意、人生を賭けた挑戦、それらが達成された時、吾輩は傀儡を使役する者として認められたことになるのだ』


「おれが……ご主人との約束を守って、こうしてエーテルに辿り着いたから?」


『ああ。吾輩はようやく魔族として成熟したという事。レオンの肩に乗り、かばんに入り、服の胸元に潜り込む事も懐かしいが』


「ご主人が成長させてくれたんだよ」

 

 ティアの骨をストレイ島に持ち帰り、土に還す事が出来た。


 いざそれを達成すると、案外こんなもので、何が変わる訳でもない。レオンはあっけないなと呟き、荷物を背負う。


 立派な魔族となったジェイソンもまた、旅の目的を達成した。もう1人と1匹には急ぐ用事もない。


「これからどうしようかな」


『今日の所は空き家を借りてはどうか。天気が良ければ温泉にも入れよう』


 レオンは集落に戻り、ダイサとレージを手伝った後、しばらく集落に滞在させてくれと申し出た。


 ティアがしていた暮らしの体験が1つ、寒い時期の移動に飽きていた事が1つ。

 そして何より、ティアが自分を犠牲にしてでも優先した島民のため、レオンも何か役に立とうと思ったのだ。


 漁の手伝いをし、畑の芋を収穫。鶏の世話をし、各家を回って差し入れをする。そうする事で、レオンとジェイソンだけでなく、ティアも褒められる。


 この6人がいずれ天寿を全うしエーテルに辿り着いた時、ティアはエーテルで感謝されるのではないか。


 そう考えたレオンが島での生活を始めて4か月。季節は春を迎えた。

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