待ちわびる人-10



 死者が到達する安住の地。その地を歌ったものが「エーテル」の正体であり、その霊界とも呼べる存在だった。


「死者が住まうエーテルへは、ストレイ島で生まれた者のみ向かえる」


『ストレイ島に帰る事とエーテルに帰る事は、何が違うのか。レオンの恩人殿は、はっきりとエーテルに帰ると言っておったのだ』


「どのような理由かは分からない。ただストレイ島を7日以上離れた者は、島に戻ってはいけない掟だ。生きている間は、という話だがな」


『生きて帰る事は、元々出来ないのだな』


「ご主人は……最初から生きて帰れないと、分かってたから」


「そういう事だ。島とは縁を切る、生きている間はそういう約束になっておるんだ」


「ご主人はそれを守って……でも本当は帰りたくて」


 生きて帰れないから、ストレイ島ではなく、エーテルまで旅をする。ティアの悲しい旅の事を初めて知り、レオンは愕然としていた。


 病気の事もあり、ティアはここまでの旅が出来たかは分からない。それ以前に、ティアはそもそも帰る事が出来なかったのだ。


 しかし、近づいて故郷に近い集落まで行けたなら、灯台に遺骨を置き、灯台の明かりをつけてくれたら。その明かりを見た者が迎えに来てくれる。


 この灯台は慰霊や供養、この地であった悲しい戦いを忘れないようにという意味を込め建てられた。確かに座礁を防ぐためでもある。


 しかし、ストレイ島にとって、灯台を死者の道しるべだった。


「灯台の管理は島が任されておった。周辺に集落もないから、どこも管理などしたがらん。だからストレイ島でこの灯台の鍵を預かり、島を出る者には渡していた」


「人を売っていたってのは、本当ですか」


 レオンはストレイ島の歴史よりもティアの事を知りたがる。当然だろう、7年をかけ、ようやくティアの故郷まで辿り着いたのだから。

 レオンの問いに、2人はしばし俯いていた。


「……その問いに答える前に聞かねばならん、堪えてくれ」


「島の外に出して良い話と、出してはならん話がある。あんた、どうしてストレイ島の事が分かった。まさかストレイ島の名と場所を聞いてきたか」


「ご主人はエーテルとしか言ってない。名前はティア・ストレイとだけ」


「姓にストレイを使ったか……まあいい。ストレイ島の事はどこで知った。どこから来た」


「南のキルケシュっていう集落で、古地図を見せてもらった時にストレイ島って名前があったから。おれは南東の大陸から7年がかりでここまで来た」


 ティアが遠い地の金持ちに売られ、そこで召使いとして虐げられていた事。

 大金持ちが雇えなくなり、病気を患っていたティアは旅をしながらストレイ島まで戻ろうとしていた事。

 ティアは悪党に傷つけられ旅ができなくなり、そのまま亡くなった事。


 そして、レオンは帰りたいと願っていたティアの願いを受け継ぎ、遺骨の一部を持ってエーテルを探していた事。


「どこかは分からんかった。でもご主人が海が見えるって言ってたし、歌の詩を調べて貰って、西側にあると分かった」


「それだけで……ここまで辿り着いたというのか」


『幼かったレオンは地理にも常識にも知識が乏しい中、7年もかけてここまで来たのだ。恩人殿が西に向かっていた、最初はそれだけを手掛かりに』


 レオンがどれだけの場所を訪ねたか説明をすれば、レオンの右往左往っぷりが良く分かる。


 ただ、ティアと別れ、海を渡った頃からの動きは比較的理にかなったものだった。南のアンガウラやキルケシュ、アイーイェ、それにスヴロイ。


 この大陸で起きた事も説明すると、2人はようやく納得した。


「そうか、あんたを助けてくれた恩人だから、連れて帰ってやりたかった、と」


「うん」


「分かった。では最初に教えておこう。人を売っていたのは事実だ」


「やっぱり」


『仲介屋はどこにいる。どこの誰が恩人殿を買った』


 ティアが売られたと言っていたのは本当だった。日誌に書かれていた事も事実だという。


「仲介屋は、さっきあんたが言ったスヴロイの奴だ。半年に1度、ここで待っていれば商売に来てくれた」


「渡せるものがなくなると、人を寄越せと言われた。そうか、スヴロイから出せる者がいなくなったせいで、奴らは強引に攫い金品を奪うようになっていたか」


「独自のしきたりも、年寄りばかりになって守れなくなった。灯台が光ったのは、この灯台が建て替えられてから2回だけ」


「誰か、帰ってきた事があったんですか」


 2人は首を横に振る。


「建設時、ちゃんと灯台が機能するのか確認した時と、それから70年後の今日だ」


「島の暮らしが嫌で出て行った者が、わざわざ故郷だからとこの島に骨を埋めて欲しいと思うか」


「思わないからこそ、今まで1度たりとも灯台は光らなかった?」


「ああ。売られたとは言ったが、俺達は島の外の方が幸せだろうと、そう思っておったよ。酷い扱いと言っても、食べ物と寝る場所が保証されているなら幸せだろうと」


 2人はガックリと肩を落とした。生きていくためとはいえ、島の過疎化を急加速させ消滅寸前の集落には、島を出た者の様子が一切入って来なかった。


 かつて先祖たちは軍国に攻められ、生活の全てを変えられた。それ以降、島に他所者や違う文化が入る事を極端に恐れた結果、外界と隔絶されてしまったのだ。


 こうして死して戻る者さえいない。ティアの事が分かり、2人の老人は初めて島を出た者の末路を知ったのだ。


 ストレイ島は、ティアが望郷の念を抱くような場所ではなかった。レオンはある程度覚悟していたが、やはり落胆してもいた。


「ご主人は、どうして戻りたかったんだ。おれ、分からなくなった」


『いや……まさか』


「どしたん」


『吾輩がアンガウラで言っていた事を覚えておるか』


「どの話?」


『恩人殿の心を、どこまで読んだかと尋ねられた時だ』


 ティアが村の者に売られたのではないか、わざわざ困難な歩き旅で集落を歩きまわり、買えそうな者を探すだろうか。


 そう話していた時、ジェイソンがふと言ったのだ。


『売り払った女が骨となり帰ってくれば、村の者はどう思うだろうかと』


「あっ……」


 レオンはようやく気付いたのだ。ティアがなぜ、エーテルに帰りたいと願っていたのかを。


「ご主人、売られたらどんな事が待っているか……伝えたかったんだ」


『そして、レオンならそれが出来ると考えたのだ。最初はもう少しマシな場所まで連れて行くつもりだった、それは吾輩が確かめておる』


「エーテルと言ったところで、どこかなんて分からない。だけど、ご主人はおれを認めてくれた。だからエーテル民謡を教えてくれた」


 そこまで伝えた時、レオンはハッと気が付いて手帳を開いた。


 かつて泣きつかれて眠りにつく直前、ティアが亡くなる直前、階段に座って何度も何度も繰り返し歌ってくれた、レオンのための歌。


 その歌の真意は何か。それを2人に聞いてもらおうと思ったのだ。



 朝もや おぼろげな 大地に咲くひだまり

 畏れるように 鳴く鳥よ 今は聞いて

 溢れた光を掬うわ その胸に灯すの


 闇に憂う星よ 大丈夫 

 指折り数えて 捧げるわ 贈り物よ 託すわ


 聞き届けて 明日へ発ちゆく者

 闇に咲く光よ 導いて 灯すから


 いずれ海辺にたどり着くわ さざ波の夜に

 群れ星よ かの者に渡して ああ、会いたいな 

 どうか贈って 私の 残り火を



 歌い終わった2人は、成程と言って頷いた。


「確かに、この灯台の事を歌っておる。前半はお前さんの事を、後半は……」


「島から出て散っていった同胞よ、私に力を貸してくれ。生きてエーテルの名に心当たりがある者は、あんたに力を貸してくれと」


「そして、若者の苦しみと引き換えに命を繋いだ者達は、それを決して忘れるなと言いたかったのだな」


 老人は深くため息をつき、重そうな腰を上げた。


「数百年、島に他所者が立ち入った事はない。獣人の存在も古書で記述があるだけで、見た事はなかった。だが……」


 老人は静かに頷き合い。ついて来いという。


「人が減り、老人だけとなり、もう幾つものしきたりを守れなくなった。今更1つしきたりを破った所でどうこうもあるまい」


「レオンさん、咎人に等しい俺達ではなく、あんたの手で同胞を埋めてくれ。あんたの目で……エーテルを見てやってくれんか」

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