待ちわびる人-09
日誌に綴られていたのは、日付とそれぞれ何を取引したのかだった。
その日付は20年前から始まって15年前で止まっている。20年前の記述は中途半端だったため、それ以前にも取引があったようだ。
「島の村って書かれてる。あの島に村があるのは間違いない。少なくとも15年前にはあったんだ」
『恩人殿の故郷があの島にあるのだな』
「サケ、ヒラス、サザエ……15ケース」
『取引台帳か? それがなぜ恩人殿を売った悪党のものだと思ったのか』
「最初は海産物の取引だ。だけどその3年後からは人が売られてるんだよ」
『その中に恩人殿の名がある、と』
「うん」
レオンが確認したところ、ストレイ島は少しずつ人が離れている状態だった。ストレイ島は高緯度にある厳しい環境の島のため、元々居住には不向きだった。
高い木が育たず薪が手に入らない。しかし島の周辺では石油の産出もない。数か月に1度訪れる商人に海産物を買い取ってもらい、物々交換の形で必需品を手にして来た。
しかし、元々は「住みにくいため、わざわざこんな場所を欲しがるはずもない」と考えて移住してきた者達の末裔。それも一度は占領されたが、占領軍が音を上げて撤退したほど厳しい島だ。
住み慣れた土地というたった1つの理由がなければ、もっと住みやすい場所に行きたいのも当然だった。
『島の働き手が減り、漁に出る事も難しくなったなら、売れるものは人だけ、か』
日誌には、エーテルから若い男女を代金として受け取った記録が並んでいる。いつの記録がティアのものかは、記されていない。
それでもレオンが「ティアの事だ」と分かったのは、一番最後のページのせいだった。
≪10月4日、買った女が、他所から買って来た男1人と女1人に逃亡を持ちかけている≫
≪10月5日、俺の部下が手助けするフリをして奴らと出発。騙されているとも知らずに馬鹿な女だ≫
≪クソが! あいつ俺の金を全部持っていきやがった! しかも扉に鍵を閉めてやがる、お前を拾ってやった恩を忘れたか≫
≪10月6日、扉を開けられるもんが何もない。俺はここに閉じ込められたまま死ぬのか≫
≪10月8日、てっぺんの窓を割って外に出る。落ちて死ぬかもしれねえから遺書代わりに記しておく。ヴィガス、お前を許さない≫
日誌は男が普段から記していたもので、閉じ込められた灯台から脱出する際、遺書代わりに置いていったものだった。
再び戻って来た時に回収するため、分かりやすい場所に日誌を置かなかったと思われる。
それがここにあるという事は、持ち主の奴隷商はこの世にいないか、二度と来れない状況にあるという事だ。
「この扉の鍵、ご主人が持っとった。という事は、このヴィガスって人と一緒に逃げた3人のうち1人はご主人だ」
『ならば、恩人殿が島を出たのは15年前という事か』
ティアの気配が強くなっていく。ティアが確かにここにいたのだ。
そして部下の男ヴィガスが出し抜き、ティアを遠くへと送った。おそらくこの大陸の町や村では足が付くと思ったのだろう。
「ヴィガスって男が今どこにおるかは分からん。スヴロイのならず者だったかも」
『その者がどのような思惑で恩人殿を遠くへ売ったのか、真意は分からぬ。逃して幸せに暮らせと思っていたかもしれぬぞ』
「そうだね、ご主人は売られたとしか言ってなかった」
2,3時間ほど灯台の中を調べた後、レオンは浜の方へと下りて行った。エリス達はこの浜から上陸したのだろうと考え、しばらく浜を散策していると、船着き場らしき跡が見つかった。
木板がボロボロに朽ちて、木の柱だけが海から顔を出している。桟橋だったと思わしき残骸を見る限り、もうストレイ島とのまともな交易はなさそうだ。
「7年前、エリスの母が村を出た時、まだストレイ島には人がいたのかな」
『幼子を連れた若き女1人で住める程、若くはなかろう』
灰色の寒空の下、海の色は青黒く、いっそう寂しさを増長させる。灯台が放つ光は遠くまで突き進むが、このような場所に灯台があった所で意味を成すのだろうか。
レオンがそう思いながら灯台へと戻ろうとした時だった。
『レオン、少し高台に行け、何か……いや、小舟がこちらに』
「え、船?」
『上から見下ろした方が良いだろう』
「灯台の明かりがついたから、様子を見に来た……のかも」
灯台で分身を見張らせていたジェイソンが小舟の存在に気付き、レオンは身を顰めるように獣道を上がって灯台へと戻った。
石碑の位置まで戻った時、レオンも小舟の存在を視認できた。決して穏やかとは言えない波の中、10人も乗れば沈みそうな木造船は浜に乗り上げるような形で到着した。
「ストレイ島の住民か」
『2人だな』
「今更灯台の明かりを消しても意味ないよね。ここに誰かが来たって事は知られてしまったと思う」
ストレイ島は浜からも見える距離にある。灯台の位置が標高100メルテに届かないくらいにあり、ストレイ島は沖合10キロメルテ程。
いくら間近では眩しくとも、目を凝らさなければ、灯台の光など分からない。光達距離がいくらあっても、曇ってどんよりと暗い日中と、澄み切った夜空の下では全く異なる。
くるくるとまわる灯台のランプは、指向性の高いものが使われている。向きが島へとしっかり向いていたため判別できたと思われた。
「獣道、上がって来るね」
『武器を持っておるかは分からぬが、念のため隠れていた方が良いだろう。吾輩が灯台の割れたガラス窓から様子を見る』
レオンは付近の岩の陰に潜む。しばらくして厚手のコートにフード姿の者が2名やってきて、灯台を見上げた後で中へと入っていった。
「誰かきておるの」
「おーい、おらんかー」
「おれ達に気付いて逃げちまったか? だとしたら島のもんじゃねえな」
「だけどよ、鍵は壊されてねえんだぞ。灯台の鍵を持っていて無関係な奴なんかいねえさ」
声の主は老人だった。しゃがれた声でやや腰も曲がっているが、ハキハキとしている。会話から、灯台が光ったためわざわざ見に来たようだ。
「灯台まで足場の悪い中を歩いて3日も行きゃあ集落があったはずだが……」
「よほど澄み切った夜じゃねえと、双眼鏡覗いた訳でもなけりゃ灯台がある事すら見えねえさ。たまたま立ち寄って、うっかり光らせるなんてないさ」
「誰かが帰って来たもんだと思ったんだが……」
「しかたねえ、帰るまでに海が荒れ始めたら、俺達が島に帰れなくなる」
老人2人は灯台の中へと声を掛け、周囲を2,3分ほど歩いた後、落胆した様子で獣道を下り始める。
「ジェイソン、どう思う?」
『特に襲う気はなかったようだ。あの島の島民で間違いない。この灯台が光った時は迎えに来るという話になっていたようだ』
「……声を掛けよう」
レオンは獣道を戻る2人を驚かさないよう少し待った後、ティアから教わった民謡を歌い始めた。
思い出す 記憶の奥 遥か昔
違い 疎遠を誓ってから幾年
涙を流したあの頃 楽しき思いで
語れずにいた過去が水のように溢れ 怨恨の灯も消えよう
レオンはティアから教わった方の詩でしか歌う事が出来ない。ただ、旋律が同じならストレイ島とつながりのある者だと認識してもらえる。
歌声に気付き獣道を歩いて戻ってきた2人に対し、レオンはゆっくりと帽子を取って頭を下げた。
「ごめんください、ご主人ティアとの約束を果たすため、やって来ました」
「こりゃあ驚いた。あんた、獣人族か」
『吾輩は魔族ジェイソンだ』
「こりゃあ……どうした事か。この大陸に獣人族の里はなかったはずだが。それに、どうして灯台の鍵を開けられた? どうして島唄を知っておる」
「おれのご主人、ティアから教わりました。ごめんください、あなた達はエーテルの者ですか」
エーテルという名を聞いた時、2人の表情が明らかに変わった。
「どうして……その呼び名を知っておる」
「ご主人が帰りたいと願っていた村の名前だから」
2人は吹きすさぶ風を気にする事なく、ただその場に力なく座り込む。
「おまえさん、あの島でエーテルが何を指すのか、知らんのか」
「村の名前では?」
老人は2人そろってため息をついた。
「……死の祈りだ」
「あの島で生まれた者は、必ず島で死ななければならない。それが叶いそうにない者は島をエーテルと呼び、エーテルを歌い、自身を誘ってくれる者を待つ」
「あんたが歌っていたそれが、まさにそのエーテルだ」
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