復讐の大地-10



 青年が火の海を渡り、レオンの許までやって来た。痛む足の裏を気にしながら、肩で息をしている。


 柱に縛られていたなら、足に血が溜まり、歩くのもきついものだ。

 それでいて用を足しに行く事もできなければ、水を飲むことも出来ない半日を過ごしたせいで疲弊しており、その場に倒れ込む。


 レオンは近くの水瓶から水を汲み、青年に飲ませた。残りは足の裏にかけ、ジェイソンが舐めて治す。


 背後では命乞いと焼け死ぬ最後の断末魔が混ざり合い、。木と肉が焼ける音が風に乗り、地獄と表現するに相応しい。


「……どうして、俺を助けたんだ」


「お前はご主人の手掛かりになる。ならず者は始末せないけん。だけど被害者がおるのなら、償いと謝罪を受ける機会を奪えない」


「……エリスに、謝れって事か」


「お前が何をしたのか次第では」


 レオンは青年を助けたのではない。青年に許される余地を残しただけだ。青年もそれを分かった上で、深く頷いた。


「……ひとまずここを離れたい。俺もアイーイェに連れて行ってくれないか」


「うん、ならず者の声が煩いからね」


『そのまま腐れるよりも、焼き焦がした方が良かろう。野生の畜生共が食い荒らした後は見るにも嗅ぐにも耐えん。だが確かにそれを見届ける必要もあるまい』


 背後でなぜお前だけと恨みを込めた罵声が響く。柱と縄が燃えたせいで拘束が解かれたのか、火だるまになった者が火炎の中から飛び出してきた。全身を焼かれてなお、雪の上で必死に消そうとする者の姿もある。


 普通の神経をしていれば、およそ直視できない状況。数年夢に出てもおかしくない光景。青年が思わず目を背けた時、1つの火だるまが青年を羽交い絞めにしようと襲い掛かってきた。


「わ、わあああ!」


 炎が青年に移り、かつて人だった燃えゆく何かがその場に崩れ落ちる。レオンは青年の腕を掴み、雪の山へと放り投げた。


「ぶっ……」


「消えた」


「ハァ、ハァ、有難う……」


 衣服が焦げ、腕と背中、首筋にかけて皮膚が真っ赤に腫れあがっている。ジェイソンは面倒な奴だと言って増殖し、痛がる青年を押さえつけて舐め始める。


「ジェイソンが治してくれる。痛くても我慢しろ」


「いっ……痛いっ! うっ」


『動くな、貴様の火ぶくれなど、治らずとも吾輩は困らぬのだぞ』


 ジェイソンの言葉に、青年は歯を食いしばって耐える。炎の畑となった空き地からは、もう誰の声も聞こえなくなっていた。


『もう良いだろう。まともな衣服を着て戻ってこい』


 青年はまだ壊れていない家屋内に侵入し、残された衣服と靴を身に纏って戻ってきた。周囲の小屋は風に煽られた炎が燃え移り、すでに焼け始めている。


「行くよ」


「あ、ああ……」


 集落内に、動くものは何もない。


「俺は、やっと……抜け出せたのか」


「何?」


「いや、何でもありません」


 青年はチラリと燃える集落を振り返った後、二度と振り返らなかった。





 * * * * * * * * *





「レオンさん! どちらに……その方は」


「スヴロイの奴らに育てられた攫われ者。エリスを呼んでくれますか」


「えっ? いやあ……、はい……」


 アイーイェに着いた後、レオンは住民に頼んで青年をゲストハウスに泊めさせてくれと頼んだ。

 スヴロイの者だと聞いて皆が顔をしかめたものの、レオンが連れているのであれば仕方がない。


「レオンさん、エリスを連れてきました。他の子供は」


「エリスだけでいいよ」


「今後のアイーイェのために、すみませんが私も同席させてもらいますよ」


 集落の長も同席し、レオン、ジェイソン、青年、エリス、集落長、4人と1匹が掘りごたつを囲む。


「攫われ者、おまえ名前は」


「あ、ああ……オロキ、です。姓は……幼かったので忘れました」


「忘れた? どういう事かな。レオンさん、こいつは……」


「とても小さいひとの頃に、スヴロイに連れて来られたんだよ。だからどこの何者かは知らない」


『幼き頃の記憶は僅かに持ち合わせておるようだが、吾輩が知る場所ではないな』


 レオンはオロキの事を簡単に紹介した後で、エリスの事にも言及した。

 エリスは自身がスヴロイ出身ではない事を知っていた。もっとも、それは集落の者達から「お前は他所者だから」と言われて育ったせいだが。


「俺の両親は殺されました。当時……2歳と何か月だったかは覚えてないけど、故郷で2歳の誕生日を祝ってもらった記憶があります」


「両親を殺したのは」


「……分からない。ただ、その脇で泣いていた俺を拾ったのがスヴロイでした」


『貴様、犯人の顔を見ておらぬのだな』


「父親が胸に押し付けるようにして俺を守ってくれていたので」


 エリスも当時の事は覚えていなかった。しかし、オロキは当時の事を事細かに覚えていた。


「エリス、君の母親が殺されたのは……俺の、せいなんだ」


「え? オロキ君のせい?」


「俺が、集落のおとなに命令されて、野ネズミ狩りをさせられていた時、声を掛けてくれたのが北から来てアイーイェに向かおうとしていた君のお母さんだった」


「お母さんを知ってるの!?」


 エリスが驚き、母親がどんな人だったのかを知りたがる。だが、エリスもオロキも母親の姿が分かるようなものは一切持っていない。

 スヴロイの者が殺し、持ち物は全て奪っていたからだ。


「君と、君のお母さんは、本当はスヴロイに向かうつもりじゃなかったんだ。だけど野ネズミ狩りに失敗して怪我した俺を心配して、スヴロイに……送り届けてくれた」


「そのせいでエリスの母親は強盗に遭い、殺されたんだね。エリスは幼くて何も覚えていないと思われたから、そのまま育てられた」


「俺があんな所で野ネズミ狩りをしていなかったら! 本当に、本当にすまなかった!」


 オロキはボロボロと涙を流し、何度もエリスに謝った。エリスの顔を見る度に罪悪感で胸が押しつぶされそうになったが、集落のおとなが恐ろして言い出せなかったのだ。


 そのトラウマのせいで旅人を逃がすのではないか。そう危惧したスヴロイの者達は、オロキを強奪品の仕分けや洗浄に回した。おかげでオロキが手を下した事はなかった。


「ジェイソンはそれを見抜いた。お前の心もならず者だったら、オレは置いていくつもりだった」


『しかし、貴様はエリスの親のために涙を流した。自分が救われたくて流した涙ではない。そもそも、貴様が悪いのではない。それでも貴様は人としてあるべき姿を見せた』


「……分かったよ、私は大丈夫。オロキ君は悪くない。お母さんを殺したあいつらが悪いんだ。許せない」


「アイツらの事は、オロキが仇を取った」


「え?」


「全員死んだ、もう大丈夫」


 全員死んだと聞いて、エリスと長が目を真ん丸に見開いた。


「煙が立ち上っているのはうっすらと分かったが、まさか事故でもあったのか」


「ううん。ならず者はヒトデナシ。人じゃない邪悪なモノは処分しないと」


『全員を柱に括りつけ、油と火に任せた。生きながらにして焼け焦げていく様は愉快であったぞ』


 エリスの顔は真っ青。長は口元を押さえて外へ飛び出した。数分で戻ってきた長の顔色はエリスよりも青白い。


「あいつらは結託して人を殺して物を奪った。正しき者になる猶予はない。人を殺す行為は、本人に償う事も謝る事も出来ない。許されない畜生が存在してはいけない」


『貴様らがどう思おうが、我らは悪党を野放しにはせぬ。償うものを持ち合わせておらぬなら、処分するだけ』


 噂に聞いていたよりも、獣人族と魔族は容赦がない。半面、正しい者、正しくありたい者にはとても寛容だ。


 長もオロキもエリスも、目の前にいる1人と1匹が世界で最も信頼でき、そして最も裏切ってはいけない存在である事を深く胸に刻んだ。


「エリス。君のお母さんの顔を思い出して欲しい。オロキもお願い。おれのご主人の顔によく似てるみたいなんだ。どんな些細な事でもいい、教えてくれないか」

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