復讐の大地-03



 * * * * * * * * *





 集落に着いたのは、港の時計で19時を過ぎた頃だった。冬の高緯度の夜は長い。この集落周辺でも15時頃には既に暗くなりはじめており、もう少し北に移動すれば、冬には太陽が沈んだまま昇らない極夜地帯となる。


 波止場から階段を50段ほど上がり、小道を数分歩いてようやく集落に辿り着いた。


「ううー寒い、帽子脱いだら耳が凍りそう」


『吾輩も地に降り立ったなら肉球が凍るのではなかろうか』


 胸元にはジェイソンが潜り込んでおり、ちゃっかりとレオンの体温で寒さを退けている。


「おれの服の下であんまり動かないで、時々くすぐったい」


「本当なら、夏に来た方が良かったんだがな。あんたらの無謀さは見ておれんよ」



 地面には霜が降りていて、少し離れた山の峰には雪が積もっている。この集落の位置でも相応に寒い。


「ありゃ、夏でもないのに他所から人が来るなんて」


「こりゃ珍しいお客さんだ、どこから来たのかい」


「夏の白夜の時期なら漁船もチラホラだが、あんたらこんな厳冬期前にどうした」


「この狐人族のぼっちゃんがワケありでね」


 漁港に見慣れぬ船が入ってきた事で、集落は夜にも関わらず大騒ぎだ。厳冬期、特定の魚種を狙う以外、船は夜明け前か、日が出ている時間にしか行われない。

 にもかかわらず内燃機関の音が響き、何事かと出てきたのだ。


 レオンが帽子を取って狐耳を晒し、尻尾を振って見せた事で、村人達は驚いて顔を見合わせた。


「獣人族かい、あんたら」


「このぼっちゃんだけだ。儂らは南のアンガウラから来た」


「あんな南から! へえ、こりゃあご苦労な事で。誰かに用事かい? それとも追っ手でも」


「いや、この坊ちゃんの恩人がな、どうやらこの北の集落の出身らしいんだが情報がなくてな」


 ボム達が説明し、船体に描かれた船舶許可番号を信用された事で、一行はようやく警戒を解かれた。しかし集落にホテルなど勿論ない。他の集落の船が来る際も、大抵は誰かの家に居候する事になるという。


「ヴィダレイディの家が広いんでねえのかい。女がいる家じゃ都合が悪いだろ」


「こいつはカミさんが亡くなってから1人でなあ。娘は大きな町に出て行ったし」


「んまあ、使ってねえ部屋はあるから、うちはいいけどよ」


 ヴィダレイディと呼ばれた男に手招きされ、レオン達は1晩泊めて貰える事となった。レオンは3人と1匹分だと言って金貨紙幣を1枚渡そうとしたが、銀貨と銅貨の方が都合がいいと言われ、91銀貨紙幣と90銅貨を渡した。


「でっかいどこぞの大陸の町のように造幣所があるわけでもなし、造幣所に渡せるだけの供託金を届ける手段もなし。集落内で金を回す時は、細かい方が有難いのさ」


「そうなんですね。ところで、この集落……やアンガウラは、他との交流が少ないのに、独特言葉がないんですね」


「世界に広まった共通言語の発祥はアンガウラ周辺なんだよ。ああ見えて、数百年間の世界戦争でボロボロになる前は、アンガウラ周辺はもう少し広くて、豊かな国の大きな港町だった」


「資金的な大国である事に甘んじて軍事を疎かにしていたそうだ。おかげであっという間に占領されて、搾取され尽くしてあのザマさ」


 気候が厳しく、内陸の中心都市まで制圧は出来なかったというが、地理的にはアンガウラ周辺の利便性が高く、工業、商業、港湾、農地も全てが集まっていたため一気に貧しい土地になったとの事。


 わざわざ内陸に逃れて発展した町を築いたのは、到達困難な上、冬のマイナス40度にもなる気候のおかげで、有事の際に簡単には攻め込まれないからだ。

 厳しい土地だが、安全と言う理由で人が集まった結果、内陸の湖周辺だけが栄えるようになった。


「まあ、今は町も点在していて国制度も崩壊、どこも他所に攻め入るだけの武力も金もないからな」


「あの、エーテル村を知りませんか、おれのご主人の故郷なんです」


 レオンにとって、この周辺の歴史など今はどうでも良い事だ。1日でも早くエーテル村に辿り着き、ティアとの約束を果たす。それが最優先だ。

 もし場所が分かったなら、漆黒の針葉樹林の中、氷点下の気温でも走って行きかねない。


 しかし、ヴィダレイディは少し考えた後で首を振った。


「エーテルという集落に心当たりはないな」


「そう、ですか……」


 アンガウラにもこの集落出身の者が数人いた。しかし、その誰もがエーテル村を知らなかった。予想できた事だが、この大陸に来ても手掛かりが1つもない。


 レオンの酷く落胆した様子を見たヴィダレイディは、明日村の皆に聞いてみようと伝え、暖かいスープと寝床を用意してくれた。


「小さな油田があってね、その油を精製して燃料にしているんだ。だから凍える心配はない、安心して休んでくれ」


「あ、はい。有難うございます」


 レオン達が寝室に行こうとすると、ヴィダレイディはそれを慌てて引き留める。


「あーそのまま寝具を使われちゃ困る、潮風に当たって体も汚れているだろ? 風呂で体を洗ってからにし……」


「お風呂! やった、お風呂!」


 レオンは久しぶりの風呂に跳び上がって喜び、何度も礼を言う。呆気にとられたボムとディタは、レオンに1番風呂を譲ってくれた。


『濡れるのはあまり好きではないが、この寒さではそうも言っておれぬ』


「ぽかぽかだねー、半袖でも外に出られそうな気がする」


 丸太小屋は内壁を漆喰で固められ、隙間風はない。しかし薪の暖炉1つではリビングを温めるので精いっぱいだ。

 灯油ストーブを出してもらったレオン達は、久しぶりに温かい環境下で眠りに就いた。





 * * * * * * * * *





「おはようございます」


「ああ、おはよう。ははは、耳も髪もしっぽもフワフワだね。昨日のゴワゴワしていた姿と見違えたよ」


「ボム爺とディタさんは?」


「燃料を足して貰いに行ったよ。それに今頃船に積んでいる保存食を強請られて、物々交換をしているはずさ」


 ヴィダレイディは朝食を用意していた。大根の味噌汁、玄米飯、それに魚の干物。集落では典型的な品々だ。


「このスープ、不思議な味がする」


『吾輩はこの干物とゆでたまごが気に入った』


「味噌汁って言うんだ。大豆が良く取れるからね、保存も利くし、このキルケシュの伝統料理さ」


 ボムとディタは既に食事を終えたという。2人はこれからまた寒い海を帰っていかなければならない。長居する理由はないため、燃料補給が済んだら引き返す事になっている。


『我らも北を目指さねばならぬ、日が昇ったなら歩き出そうぞ』


「ああ、ちょっと待った。この集落の位置は分かっているのかい?」


「えっと」


 レオンは部屋から地図を持ってきて、テーブルの上に広げた。しばらく暖炉の薪がパチンと跳ねる音だけが響く。


「この大陸だけの地図は持っていないのか、んじゃあ貴重なものだけど1枚譲ってあげよう」


 ヴィダレイディは倉庫に向かい、数分して数枚の地図を持って帰ってきた。何百年も前から、模写して受け継いでいるという。


「ほら、1枚あげるよ。この集落、キルケシュがここ。ここから北に行くなら陸路で……まあ寒さを考慮して4日歩けば着くかな」


「すごい、アンガウラで見た地図よりも道や集落がしっかり載ってる」


 現在もあるのかは分からないが、アンガウラでは23個の集落が記載されていた。しかし数百年受け継がれた古地図には、西岸だけでも42の集落が載っている。


「砂浜がある村、ないですか?」


「砂浜? うーん、聞いた事はないな。でも港があるとすればもう少し北……」


『レオン、吾輩字が読めるようになったはずだ』


「あ、うん」


『この島の名を見よ』


 ジェイソンがレオンの胸元から飛び出し、肉球で1つの島位置をタンッと叩いた。


「ストレイ島……え、ストレイ?」


 レオンの目が見開かれた。ストレイ、それはティアの苗字と一緒だった。

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