復讐の大地-02



 * * * * * * * * *




 ボム爺に船を出してもらうまでの間、レオンはずっとティアの事を考えていた。


 ティアはレオンと真剣に向き合い、レオンが人族の社会で生きていけるよう、様々な知識と習慣、マナーや規則を教えてくれた。


 狐人族として従う事が出来ないものは強要せず、受け入れずとも知っておくことが重要だと考え、とにかく色々させてくれた。


 読み書きや計算は完全に習得させる程の期間がなかったものの、学ぶという意識を身に付けさせたのも大きかった。

 お陰でレオンは衝動的に動かず、獣人族としては思慮深く育った。


 ティアがレオンに対し献身的で悪意が無かった事は、ジェイソンがしっかりと把握している。

 しかし、レオンに対して悪意がなくとも、故郷に対しての思いはどうだったのか。そこにあったものは望郷の念だったのか。


「エーテル村に、何があるんかな。ご主人は何で帰りたかったんやろ」


『人族としては若い方だろう。親が生きておるなら帰りを待っておるのではないか。帰ってやりたいとも思うだろう』


「売り飛ばされたっち、言いよったよね。誰がご主人を売ったんやろ」


『ふむ、代金は誰の手に渡ったのか』


「ならず者に帰る望みを絶たれて悔しいっち、言いよったよね。死ぬなら故郷で死にたいっち。生まれ育った故郷エーテルに帰りたいっち言った」


 レオンはティアと一緒にいる事が楽しくて嬉しくて、ティアが何者で、どんな思いで故郷を目指しているのかなど、考えた事もなかった。

 ティアの言動に不審な点はなく、話だけを聞けば、故郷を恋しいと思っているのだとしか受け取れない。


「ご主人……おかえりなさいっち言ってくれる人、帰りと待っとる人、おらんのかも」


『……思い出したぞ。恩人殿が治療院に入った時、恩人殿の心を読んだ事がある』


「ご主人、何て? いつの話?」


『ドワイトとハロルドを従え、初の仕事に向かった時だ。恩人殿がレオンを置いて行方をくらます気ではないかと思い、出発前に』


「何て思っとった?」


『自分の帰りを待つ者はおらぬと。自分が帰りを待つ側になるとは思わなかったと。その時はレオンを見捨てぬと分かっただけで良しとしていたのだが』


 ティアの帰りを待つ者がいない。出迎えてくれる者はいない。それはどういう意味だったのか。ティア亡き今、その真意はエーテル村に行かなければ分からない。


「……ご主人」


『良いかレオン。恩人殿が何を思っておったのかに関わらず、故郷に骨をもって行けと命じられたのだ。レオンはその願いを叶えるまで」


「そう、やね。帰りたいっち言った。おれは連れて帰るっち約束した。約束を果たす事を考える」


 ジェイソンを抱きしめて撫でまわしつつ、レオンはティアとの写真を眺める。幼かった自分が、どれだけティアを慕っていたのか。自分でも恥ずかしくなるくらいの満面の笑みだ。


 ドワイトと写った写真、ティアの見舞いに来てくれた者達との写真もある。

 ティアに抱き着いたまま疲れて寝てしまった1枚は、逆光ながら優しく微笑むティアの表情が照らされ、とても温かい。特にお気に入りの1枚だ。


 レオンは毎日小さなアルバムをめくっては、ティアとの日々を思い出していた。いや、忘れたくなくて毎日眺めていると言っていい。


「おれ、時々ご主人に会いたくて、ぎゅっとしてもらいたくて、ちょっと苦しくなる時ある」


『苦しい、か。吾輩の力が及ぶ限り、レオンが病に罹る事はないはずだが』


「うん……悲しいとも違う、いらいらとも違う。ぎゅうーってしたくなる。ジェイソンをぎゅーってしてたら、ちょっと落ち着く」


『寂しいという事ではないか』


「うん、寂しい」


 レオンは自身の感情が何なのか、理解できていない。ひたすらティアの事を想い、ティアの遺品を眺めては切ない気持ちに胸が張り裂けそうになる。


 ジェイソンを撫でまわし、抱きしめ、何十回もため息をついてようやく落ち着く。この2,3年はそんな日々を過ごしてきた。


 ティアが残したのは歌の楽譜、レオンが擦り切れるまで着たローブ、その他小物が少々と写真。懐中時計は旅の途中で2度直してもらった。


 そして168cmの山形鋼。建材屋の主人の身長と同じ丈だ。

 大人と同じ長さは長いという事だという謎の理論で切断を承諾したが、今はレオンの背の方が高い。これはレオンが一生宝物にすると決めている。


 何度も歪みを修正してもらい、何度も錆止めや塗装を施し、ティアと一緒に落書きした絵は写真に撮り、また塗装ごと綺麗に剥がして手帳に挟んでいる。


 そして、僅かな骨の欠片。


 それらを持ってエーテル村に辿り着いた時、ティアの真意が分かるのではないか。いや、分からなくてはいけない。

 レオンは自分に託した意味があるのだと信じ、エーテルに向かう決意を新たにした。





 * * * * * * * * *





「いやあ、また寄って下さいよ! 旅の歌い手さん、それも端正な顔立ちの狐人族で美声となりゃあ、毎日でもうちの舞台に立って欲しいくらいだ」


「おれ、始末屋だから。歌は始末する者がおらんくなってから考える」


「気を付けてね、ボム爺の船だから大丈夫と思うけど」


「うん、この村は正しく優しき者いっぱいで安心した。ばいばい」


『害をなさぬ人族ならば、我らも歓迎しよう。我らが敵と見做さなくて良いよう生きよ』


 レオンが旅立つ日。港にはまるで村の出身者と別れを惜しむかのように、大勢の村人が押し寄せていた。

 その中にはリキョと、リキョを見受けした夫婦の姿もある。


 飲み水、食料、防寒着、そして燃料。必要な物資を積めるだけ積み、ボム爺の漁船はゆっくりと港から離れていく。


「ボム爺、夕暮れと朝方はお願いします。俺は北の岩礁の位置が分からねえ」


「海図に書き込んだじゃろディタ。岸から1km離れたら問題ない」


 70歳を超えた老人1人では無謀だと思ったのか、20代のディタという名の漁師も補佐として同行してくれる事になった。


 漁に出られない分の補償として、ディタには金貨紙幣を10枚渡している。ボム爺にも10枚渡したが、船の修理代に充てる分だけと言って5枚押し返されてしまった。


「半島の付け根は超えるつもりだが、どんなに進みが悪くとも、水と食料が半分になったら引き返す。その時点で、人里がなくとも船を寄せて上がれる場所があれば下ろすからの」


「うん、それでいい」


 荒波に揉まれ、雷雨の夜を過ごし、寝る事を諦めた晩もあった。船酔いこそしなかったものの、不規則な揺れは平衡感覚を失う程。


 4日目の昼、ようやく細長い半島の付け根に達した頃、沖からは切り立った崖の上に数軒の家が見えた。


「家が見える……」


「良く見つけたな、あれが西岸でアンガウラ村に一番近い集落だ」


「あの内陸にも2つ3つあるらしいけどね。半島の反対側から低い土地に船を着けて伝っていくしかないから、こっちから辿り着きたいなら崖を登るしかねえ」


「海辺の浜がないけん、エーテルやない。寄らなくても大丈夫」


 集落を右手に見送りながら、漁船は更に北へと進んでいく。夕方になり、水はまだ半分より少しあるが、とうとう食料が半分になった。


「この先に小さな波止場を持つ集落が1つある。アンガウラにも出身者が1人か2人おったはずだ。儂はその集落より北に行った事がない」


「年に2、3度くらい、魚や芋を売りに来るんだよ。集落1つをかろうじて回せるくらいの小さな油田があって、燃料の精製には困ってないらしいんだが」


「油代の方が高く付くだろうと言ったら、現金や村にないものを手に入れるにはこれしかないからと笑っておった」


「この北はあまり知られてないんだね」


 南には半島の付け根の辺りがぼんやりと見える程の距離。そこまで来たところで、船は波止場へと進路を変えた。


「エーテルという集落がどこかは分からんが、西岸で停泊と休息、補給が出来る場所は貴重だ。何かしらの情報はあるだろうよ」


「エーテルがこの北にあれば、だけどね」


 レオンは真剣な顔で頷き、岸辺に灯るランプを見つめていた。

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