大事件の村-08



 * * * * * * * * *




「エントのひとに、エーテルどこか知りませんかって聞くの忘れとった」


『どうせ我らも北に向かうのだ、問題ない』


 北のランド大陸への船に乗って4日。港のあるアンガウラ村に着いたレオンは、誰か連れてきたリキョを買わないかと、立て看板を用意して3時間粘った。


 デイワの姿は見当たらない。それもそのはず、デイワはまだ船の中にいる。

 デイワは船に雇われる事になり、レオンは15金貨紙幣で船にデイワを売ったのだ。


 勿論、他の船員と同じ役割を与えられた訳ではない。


 島とランドの小さな村を往復するだけの船に乗り、殆どを海の上で過ごす船員達は、娯楽もなければ男ばかりで女もいない。

 デイワはそんな船員の色々な欲望のはけ口として、船に乗って2日目から早速船員の役に立っている。


 船長はリキョの方を買いたがったが、レオンは500金貨紙幣一括払いと告げ、高過ぎると言われてからは頷かなかった。


 アンガウラ村に着いてからも、何人かの男がリキョに興味を示した。しかしレオンは全て拒否した。


「おまえ、自分で女を引き寄せるだけの取り柄もないくせに、交尾と女の乳を諦められないのか」


『金で相手を買うしか手段のない愚かなオスだと、周囲に知らしめるつもりか? ずいぶんな趣味だな』


 レオンとジェイソンの容赦ない口撃に、ある者は怒り、ある者は恥ずかしそうに立ち去った。

 リキョは当然の報いだからと、男らに買われる事も構わないと言ったのだが……レオンは聞く耳を持たなかった。


「私は、先ほどの人でも構いません。これは報いですから」


「おまえの希望は聞かない。ならず者はヒトデナシ、おまえに権利は何もない」


『船で働くだの、船員の交尾相手になっても構わないだの、いちいち煩い奴だ。貴様が何をどうしたいのかなど、我らに関係ないと何度言えば分かる」


「そろそろ黙れ、躾が悪いと高く売れなくなる」


 レオンに一喝され、リキョは不安そうに押し黙った。

 リキョが困っていたのは、エントも近いうちにこの村の港に降り立つと思っているからだ。


 このアンガウラはランド大陸南端に飛び出した半島にあり、小さな村ながら重要な港を持っている。


 細長く起伏の激しい半島には可住地が殆どない。しかも半島の付け根までは約1000キロメルテ。

 その付近にも平地は殆どなく、数十軒規模の集落がポツポツとあるだけ。切り立った崖は大陸のほぼ全周で、大きな港を築けるような浅い海域も低い土地もない。


 大陸唯一の栄えた町も人口1万人程度、北に2500キロメルテ進んだ内陸の湖のほとりにある。


 そのような事情で、南からやって来る船は必ずこのアンガウラに寄港する。乗り継ぎの船は長くて2週間やって来ない。


 リキョが召使として唯一の商店街を訪れていた時、もしエントが滞在していたら。

 リキョはアンガウラで売られるのであれば、出来るだけエントの目に入らない生活をしたかったのだ。


「ごめんくださーい、躾のいい人族の召使いはいかがですかー、合法ですよー。丈夫で長持ちしますよー」


 狐人族の証書付きであれば、買った所で違法とはならない。しかも値段は破格の4金貨紙幣。もし紹介所にいたなら秒で売れる。

 ただ、さすがは「ジェイソンが可愛い屋さん」からの叩き上げ。呼び込みの文句が悪すぎる。


「お金持たないしかおらんのかこの村。まともな正しい者が誰も買わん」


『独特の言語を使っておるようでもない。言葉は通じておるようだが』


 リキョは呼び込み文句が悪いのと、客を選り好みする姿勢が駄目なのだと何度も言いかけた。しかしこの1人と1匹が「ヒトデナシ」の言う事は聞かないと言うからどうしようもないのだ。


 そこへ、1組の老夫婦が通りかかった。


「あらまあ、獣人族に売られたのかい? 可哀想に……どうしたのお嬢さん」


「こいつは借金あるけん、働かないけんと。可哀想っち言うだけで満足したい奴に用はない」


 レオンの物言いにビックリした老夫婦だが、付けられた値段にも驚いた。桁を1つ間違えているのではないかと思ったくらいだ。


「あなた、たった4金貨紙幣で召使として売られる気?」


「こいつは商品。買わんのなら同情とかいらん。こいつがこうなったのには理由がある」


『人族など取るに足らぬ存在だ。だが我らをむやみに危害を加えるならず者と思ってはおるまいな』


「い、いえ……でも、この村で住み込みの召使いをするなら、1か月で7~80銀貨紙幣くらいは払われるわ。半年頑張れば返済出来るのに」


「何がどうなってこのお嬢さんが売られる羽目になったのかは分からないが、悪人や変態に安く買われでもしたら」


 夫婦はリキョを気の毒に思ったようだ。リキョは自身がこうなるに値する罪を犯したのだと説明しようとした。だが、ジェイソンがそれを許さなかった。


「あなた、この女性に4金貨紙幣分働いて貰うのはどうかしら」


「ああ、下卑た男などに買われたならあまりにも不憫だ。お嬢さん、儂らがあんたを買い受けようじゃないか」


「この場で4金貨紙幣を払ったら、この女性をうちに招いても良いのね?」


 ジェイソンは夫婦をじっと見つめ、レオンはジェイソンの判断を待つ。

 重要な港とはいえ、土地は広くない。狭い土地に家が集中しているとはいえ、人口は数百人程度。賑わっているという程でもない。

 そんな港の一角であっても、リキョの行く末を見守る者達が遠巻きにしている。


『悪くないのではないか』


「そっか。じゃあお買い上げ有難うございます」


 レオンはいとも簡単に夫婦にリキョを引き渡した。夫婦は財布から折りたたまれた紙幣を4枚抜き取り、レオンへと支払う。小さな村の老夫婦にとって、決して安い買い物ではない。


「これ、お釣り」


 レオンは夫婦へお釣りと言って、銀貨紙幣を75枚渡した。


「え? お釣り? どういう事かしら」


「レオンさん?」


「お前が買って持ってたもの全部売った。たいして高くならんかったけど、その分もおれはエントに支払った。売った金はおれがもらった。だからその代金の75銀貨は、もうお前が返済した事になる」


「えっ……」


 黙っていればレオンの利益になった金だ。しかもリキョを売る際、レオンは1金貨紙幣分しか手数料を取っていない。

 リキョだけで考えれば、船代や食事代で大赤字だ。


「おれは依頼者にとってのならず者を始末する。依頼者の願いを叶えるのがおれの仕事」


『貴様はならず者の風上にもおけぬ。いつまでもならず者らしく、不躾で無様で、そして愚かなままでいれば良いものを』


「そ、それは、つまり」


「お前は最初、嘘つきで躾の悪いならず者だった。でも悪かった事を認めて、素直に償うと決めた。実際にそうして、エントが言う通りの罰を受け入れた。エントはお前を許した」


 過去に行った事は、何がどう転んでも無かったことには出来ない。勝手に消える事もない。リキョを問い詰めた時の見苦しさも、レオンは忘れていない。


 しかし、依頼主が許してしまえば、レオンが個人的に罰する理由もない。始末は趣味ではないし、レオン自身は何も被害に遭っていない。


 エントが家政婦にでもしてくれと言ったため、レオンはその依頼を忠実にこなしただけだ。そして家政婦として引き渡した事で、もうレオンの復讐代行業務も終わった。


「自分で言った事、忘れとらんよね」


 レオンの真剣な目がリキョに誓いの復唱を要求する。リキョは力強く頷き、レオンの前で語った事を再度口にした。


「一生戒め続けてくれる雇い主の許で、私がエントへの懺悔と叶わない恋心を忘れられないように生きていきます」


「うん」


 レオンは立て看板を片付け、その場を後にした。もうリキョがどう生きるかはレオンが関与するところではない。


『島に残った吾輩の分身を引き上げた。今しがた役目は終わった』


「そっか。お疲れ様、ジェイソン」


『あの女に言わなくて良かったのか。エントがあの後……』


「言ったらショックで召し使えなくなって、おれがあの夫婦に苦情を言われる。どこかで元気にやってると思わせた方がいい」


『……確かに都合は良い。人族とはなんと虚しい生き物よ』

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