始末屋ドワイト-03
高さ2メルテ程の台車に乗せられた大きな貯水槽が届き、台上の男が燃え盛る炎に面した側板の留め具を大斧で叩いた。
貯水槽の水が酒場の床の炎を洗い流し、水蒸気が音を立てて昇っていく。
「次が来る! いいか!」
「下が消えたら上に水をぶっかける! ポンプをしっかり漕げよ!」
「おい、あっちで怪しい奴を捕まえたらしいぞ」
「酒場で揉めていた男らしい! そいつが店を出てすぐ爆発したって、目撃者がいたんだ!」
「爆発の直後、走って逃げたんですって」
「おい! 火が消えたところからすぐ助け出せ! まだ助かる奴がいるかもしれん!」
野次馬や逃げる事に成功した者達が、犯人と思われる者に怒りを向ける。
通りの先には取り押さえられながらも暴れる男の姿があった。
「お、おい、大丈夫か!?」
「ぼく? 大丈夫?」
突然レオンが立ち上がった。
パチリと目を開け、呻く事もなく、何事もないかのように。
「良かった、意識を失っておったぞ、気を付け……ボウズ、どうした?」
意識が戻るまで付き添ってくれた男の呼びかけに反応する事なく、レオンが無言で歩き出す。子供らしさのない真剣な表情は、どこか寒気を感じるものだった。
ジェイソンがレオンの肩に乗り、周囲に少しずつ数を増やしていく。
「ボウズ、おい!」
「なんだ、あの猫……さっきの大群、あいつの猫か?」
「やだ、気持ち悪いわ」
「きっと獣人族の聖霊よ、猫じゃない」
ジェイソンの大群を引き連れたレオン。その異様さに通りの皆が固まり絶句する。やがてレオンは取り押さえられながらも暴れる男の前に立ち、抑える男達を払いのけた。
巨漢達の腕などものともせず、いとも簡単に。
「なんだお前」
「なんだ! こいつの仲間か!」
「狐人族? お、おい保護者はどうした」
抑えられていた男はこれ幸いと立ち上がり、すぐさま逃げの体勢を取る。レオンはその男の右頬を思い切り殴りつけた。
「ぐべぇっ」
「お、おい!」
大人の男が数メルテも吹っ飛ぶほどの殴打。そして黒猫の大群。その異様さに圧倒されたまま、周囲は動く事も出来ない。
レオンは吹っ飛んだ男へと歩み寄り、今度は胸倉を掴んだ。
「ひっ……」
男が短く悲鳴を上げた刹那、レオンは男を地面に叩きつけた。そのまま肩を殴りつけ、腹を蹴る。
「おい、おい! 止めろ!」
「誰の子だ! 誰かこいつを止めろ!」
腕を掴もうが足を掴もうが、レオンの殴打を止める事が出来ない。犯人は顔が腫れ上がり、肩や肋骨も折れ、呻く事すら諦めている。
「これ以上は止めろ! 動機も仲間の存在も吐かせてねえ!」
「フライパンか何かでボウズの頭でも殴って止めるしかねえ!」
1人の男が大声で叫ぶと、レオンの動きがまるで置物のようにピタリと止まった。ジェイソン達が一斉に振り向き睨みつける。
「と、止まった」
「手を放せ、やり過ぎだ! このガキ……」
『レオンに触れるな。貴様らが手ぬるいせいだと分からないか』
「……へっ?」
『吾輩の愛しき傀儡を、殴るだと? ガキ? 誰に物を言っている、下等な人族如きが』
どこからか男の低い声がする。周囲にそれらしい者はいない。声の主を探そうとする者達は、次の瞬間ジェイソンへと視線を向けた。
『もう一度告げよう。レオンに触れるな』
「お前が、喋っているのか」
『お前呼ばわりとは随分下に見てくれる。レオンは我が愛しき傀儡。下等な人族の汚らわしい手で触れるなと言っている』
「せ、精霊じゃなく、ま、まさか、魔……魔族!?」
『貴様らの間でどう呼ばれていようが、そんな事はどうでもいい。その屑を始末させろ。我が愛しき傀儡と、その恩人を危険に晒した屑には死が相応しい』
声の主はジェイソン。ジェイソンは数を減らし、1匹だけになってレオンの肩に乗った。男達はレオンから離れ、少しずつ後ずさりする。
「は、犯人のじ、自白はまだ……」
『吾輩には分かっておる。その男と角の店の女と、5軒先の宿に泊まっている男3人も仲間だ』
「角の、店?」
「そういえば、大将が先週から他の町から女を1人雇っているって」
「お、おい、急いで確保に行け! 早く!」
ジェイソンは犯人を言い当て、人違いの可能性がない事を主張する。魔族の常識からすれば悪人は始末するのが当然だ。何故殴ってはいけないのかと睨みを利かせる。
「魔、魔族って、何百年か前に大暴れしたっていう野蛮な種族よね」
「そ、そんなの俺に言われても分かんねえよ! 作り話じゃなかったのか!?」
『吾輩は貴様らが魔族をどう認識しているのかなど、問うたつもりはない。こいつには死でさえも生ぬるいわ』
たかが1匹の黒猫。
そう思えない禍々しさを纏うジェイソンに、その場の誰もが私語を止める。
「た、確かに極刑は免れない! この町でも放火や殺人は死刑と決まっている! だが本人から事情と仲間の存在を聞き出さなければ」
『吾輩に人族の理で動けと言うか』
「そ、そうだ、そうじゃねえと意味がない!」
『人族の常識や正義は人族同士で振りかざせ。吾輩とレオンには無用だ』
周囲の者はハッとした。この世界には推定人口の0.01%程の獣人族が存在する。
その数、世界に僅か5万人程。そんな彼らには人族の法が適用されない。それを思い出したのだ。
獣人族の各部族は、人族の常識に合わせないと宣言している。数が多いからと人族の暮らしを強いるなら、獣人族が力で人族をねじ伏せてることも受け入れろと言って拒否した。
獣人族は人族に合わせてやっているつもりで、従うつもりはない。人族側もそれを了承している。
早い話、人族のルールでは獣人族を裁けないのだ。ジェイソンはそれをよく理解していた。
敵対しなければ温厚で誠実、身体能力が高く頼りになる存在。
だが、獣人族がひとたび敵と認識すれば、小さな町や村など簡単に滅ぶ。
レオンが1人で「ジェイソンが可愛い屋さん」をやれる程呑気でいられたのは、並みの悪党には獣人族を敵に回す度胸がなかったせいだった。
ジェイソンがレオンへと振り向く。
その拳がゆっくりと振り下ろされ、小さく「やめてくれ」と声を漏らす犯人の顔面に向かう。
「やめ……なさい! レオン!」
その拳が男の折れた鼻の寸前で止まった。
止めたのは焼けた喉の痛みに苦しみながらも絞り出した、ティアの声だった。
「レオン……ぐっ、ゲホッ」
「あんた、無理すんな! 喋っちゃいけねえ、喉をやられてるじゃねえか」
「煙と熱風にやられたんだ、手当を受けないと」
「レオ……ン、落ち着きなさい」
骨が折れ歩けないティアが這ってレオンに近づき、拳を優しく包み込んで頭を撫でる。全く動かないレオンの代わりに、答えたのはジェイソンだった。
『貴様も止めろと言うか』
「レオンに……こんな事をさせるのはあなた?」
増えたり減ったり、普通の猫ではないと分かっていたものの、ティアは初めてジェイソンに声を掛けた。
『我が傀儡を苦しめ、その恩人であり主人となった貴様を死の縁に追いやった。恩人のため、レオンが望んでいる事だ』
「止め、さ……ゲホッ!」
ティアの声はガラガラだ。その声を聞いた周囲の者が、ジェイソンの説得を試みる。
「なあ、その子が守ろうとした恩人は喉を傷めてるようだ。それでも無理してあんたを止めようとしてる。恩人を労わるのが先じゃないか」
「繰り返すが、オレ達もソイツを極刑にしたいと思ってる。だが他にも潜んでいるなら、そいつらも捕まえて極刑にしなきゃならねえ。分かるか、全員だ」
ジェイソンは1人をじっと見つめ、少し目を細める。
『……良かろう、今回は吾輩が身を引いてやる。だが1つ、条件がある』
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