始末屋ドワイト-02
「うた、歌えたらおかねもらえる」
「……」
「おれ、ご主人がちゃんとえーてる村に帰れたら、うた屋さんしようかな。今はご主人の荷物屋さんやけん、うた屋さんしきらん。仕事ほったらかすのは、しつけのわるいならずもの」
歌詞は殆ど覚えられなかったが、ティアの歌声を思い出すとレオンの口からも自然と歌声が漏れ、何度も何度も繰り返される。
しかし、その穏やかな時間は然程長くは続かなかった。
「なんか大きな音した、揺れた」
外で大きな爆発音が響き、僅かに部屋の床が揺れる。木枠の窓が軋み、しばらくして表通りを人が走り回る足音が続く。
「どしたんやろ……あ、ぼうし返しとらん! 返さんと、おれ物盗りならずもの」
レオンは再び部屋から顔を覗かせ、廊下に誰もいないのを確認するとそっと部屋から抜け出した。宿の入り口には宿の主人が立っており、通りの先を心配そうに見つめている。
「ねえ、宿屋さんのおじちゃんの人」
「……ああ、どうした。危ないから部屋にいた方がいい、大変な事になっとるようだ」
「大きな音、何やったと?」
「見ろ、あの黒い煙。見えるか」
「見える」
「どっかの店が爆発したらしい」
「ばくはつっち、何?」
「燃えてるんだよ、火が点いて吹っ飛んだんだ!」
宿を出て右へと顔を向ければ、空へと黒煙が立ち上っている。辺りは焦げ臭さが漂いはじめ、レオンは嫌そうに鼻をつまむ。
「ありゃあ飲み屋街の方だな。旅の歌い手が来ていたらしいし、人が多い時間帯……おい!」
宿の主人が言い終わらないうちに、レオンはもう駆け出していた。
怯えた表情の者、野次馬として向かう者、水を持って来いと叫ぶ者、道を塞ぐ者達を押し退け、レオンは数分も絶たずに現場に着いた。
「さかば屋さん……燃えとる、ばくはつっちこと?」
「水を早く!」
「普通の燃え方じゃないわ、燃えるより先に崩れているもの」
「絶対に南の村と一緒だ。強盗団が爆弾を置いたに違いない!」
「おいボウズ! 危ないから寄るな!」
目の前にあったのは、先程までティアが歌い、ゼデンとエシャもいた酒場だった。
だったと表現したのは、彼方此方が壊れて燃え、もうどんな店だったのかすら判別出来ないからだ。
「この子、さっき夫婦と一緒に来てた子よ」
「その夫婦は無事だ、向こうで軽い手当を受けてる。心配いらない」
ゼデンとエシャは無事だった。しかし、周囲にティアの姿がない。
「おれのご主人が、ご主人が中におる!」
「え、他に知り合いが?」
「ご主人! ご主人のティア!」
「無事に逃げているかもしれんだろう! あっちに手当を受けている人たちがいる、落ち着け! おーい、女の人がいなかったか!」
「分かんねえ、負傷者が多過ぎる!」
「ティアって、歌い手さんよね!? まだ中にいる! 私より奥にいたけど、私の後に出てきた人、いないから……」
危ないからと男に制止されるも、レオンはティアを助けようともがく。そのうち帽子が取れ、狐耳に驚いた男が怯んだ。
レオンはその隙に男の腕から逃れ、煙が立ち上る酒場の中へと入ってしまう。
「おいっ!」
「きゃああー! 子供が!」
周囲から悲鳴が上がるも、まだ消火隊は駆けつけていない。どうすることも出来ないまま、誰もが酒場を見守る。
「ご主人!」
レオンは店の中に侵入した直後、左手前で燃えさかる炎を視界に捉えた。
床や柱と壁の間には爆発に巻き込まれた者、逃げ遅れたと見られる者がぐったりして倒れているが、レオンの目には映らない。
「ご主人! どこ!」
レオンは煙を吸い込み激しく咳き込みながらも、瓦礫を掻き分けティアを探す。柱が燃える横を潜り抜けた時、目の前にティアの姿が現れた。
「ご主人! おれ来たばい! 起きり!」
ティアはうつ伏せのまま動かず、反応もない。レオンはとにかくここから担ぎ出そうと、ティアを背負う。
力には自信があり、実際に子供らしからぬ怪力が備わっている。とはいえ、煙に包まれ火の手も上がり、更には倒壊した壁や柱で行く手を遮られている状況だ。
「あっ……」
ティアを発見した安心感から、レオンはようやく自分の状況が分かるようになった。
周囲には逃げ遅れた者、爆発に巻き込まれた者など、どう見ても亡くなっている者達が転がっている。
「まだいっぱいおる、いっぱい寝とる、どうしよ」
入り口付近も燃え始めている。絶体絶命、このままでは焼け死んでしまう。レオンは今の今までそれを考えていなかった。
「どうしよ、おれ、出られん……どうしよ」
今更訪れた恐怖にレオンの足はすくみ、目からは涙がこぼれる。無我夢中で火の中に飛び込んだ時の威勢は面影もない。
「ご主人起きらんと! 起きり! ご主人!」
外からレオンを呼ぶ声が聞こえる。声は届くが出られない。
レオンは「出られん!」と大きな声を出した後、とうとう泣き出してしまった。
「うあぁーんおれ出られん……! ご主人起きらん、出られん……!」
ティアに炎が迫り、レオンは必死で火の粉を払いのける。
「火くるなあ、くるなあー!」
そんなレオンの叫び声が響いた瞬間、突如として天井が崩れた。
レオンとティアはその下敷きとなり、外では一層大きな悲鳴が上がる。
「うぅ、出られんよ……出られん……」
歯を食いしばり、なんとか這い出ようと試みるも、目の前で壁板が燃え始め、屋根の重みは体を圧し潰しそうだ。ティアが無事なのかを確認しようにも、首を回す事すら出来ない。
「ゲホッ、うぅ、うぇーん……ゲホッ」
水はまだかと叫ぶ声、消火隊が来たと騒ぐ声、悲鳴、色々な音が耳に入って来る。
レオンの泣き声も外に聞こえているだろう。しかし間に合わない。
体が重みに耐えられなかったのか、レオンは助けを待つ間にふっと意識を手放した。
辺りは火の海。パチパチと木が焼け跳ね、炎と黒煙が床を撫でていく。
そんな中、まだ1つだけ動くものがあった。
「ブルルニャァァァァ」
それはジェイソンだった。滅多に鳴かないジェイソンはレオンの懐でどんどん数を増やし、炎に焼かれる事もなくレオンとティアの周囲を覆いつくす。
そのうちジェイソン達の体は屋根を押し上げ、レオンとティアを圧し潰していた柱が浮いた。
「ブルルル……」
ジェイソンが数百体でレオンとティアの服を噛み、引きずり始めた。
瓦礫を押しやり、柱を持ち上げ、ジェイソンはまるで防火服のように2人を火から守りつつ入口へと向かう。
「おい、何だあれ!」
「猫が、黒猫がたくさん出て来た!」
「ど、どういう事?」
「おい、猫共がさっきのボウズともう1人を咥えて引き摺ってるぞ!」
燃え盛る炎の中から現れた猫の大群と、それに守られるようにして引きずり出された2人。その奇妙な状況を理解するよりも先に、数人が駆け寄って2人を安全なところへと担いでいく。
「あの女の人、歌い手さんだわ!
「猫はいったいどこから……って、あれ? どこ行った? 1匹しか見当たらないが」
「しっかりしろ! 起きろ! ボウズ目を開けろ!」
先程レオンを制止した男が肩を揺さぶる。別の女はティアに人工呼吸を施し、蘇生を試みている。
ジェイソンが引きずり出した段階で、ティアの心臓は止まっていた。
「しっかりして!」
女は心臓マッサージを施し、心音が戻らないかと胸に耳を当てる。それを数回繰り返した時、安堵した声で「戻った」と呟いた。
「グッ、ゲホッ……」
「よく頑張ったわ、もう大丈夫! ねえ、狐人族の子供の方は!?」
「心音はある、でも目を覚まさねえ」
「レ……うっ」
ティアはむせながら、焼けるような激しい痛みに喉を押さえる。煙を吸い込んでしまったようだ。
「レ……」
「あんたを救い出すために、火の中に飛び込んだんだ! まだ意識が戻らねえ」
「水が届いた! 消火水槽があと5つ来るぞ!」
「消せ消せ!」
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