帰り
帰りの挨拶を済ませた後、私はどうしたものかと、しばらく帰ろうとせずに教室内を観察する。文化祭での係を決めたはいいが、いつから動くのだろう。去年の事は全く覚えていない。
準備は全員参加で、文化祭は十月の中旬。そして今は九月も半ばに差し掛かろうとしている。文化祭まで残り一ヶ月しかない。今日から動くのだろうか。
こういうのを知っていそうな人は文化祭委員の
私はリュックに物を詰めている星谷さんの下へと向かう。急に話しかけても変に思われないかな? 今までクラスの事とかまったく興味なかった人間が急にやる気を出したように見えるだろうし。
僅かな不安を感じながら星谷さんの下に辿り着くと、リュックから顔を上げた星谷さんが意外そうに眼を見開いた。
「わっ、どうしたの?」
「文化祭の事でね。ちょっと聞きたいことがあって。ほ、星谷さん文化祭委員だしさ」
初めて名前を呼んでしまった……変に思われないかな? 緊張して上手く声が出なかったけど。
「まさかあの天霧さんが……。あっ、ごめんね、ちょっと驚いちゃって」
「まあ驚くよね。今までクラスの行事とか参加してなかったんだし」
なにがあったのかは覚えていないけど。
「自覚あったんだ」
星谷さんの存在を知っていればもっと参加したんだけどね。
「体育祭とか
「……ごめん」
そっか、体育祭とかあったんだった。ちょっとショック。
やっぱり体育祭とかだと、星谷さんは告白されたりするのだろうか。
なぜかそんなことを考えてしまう……行かなくて良かった。
「もう過ぎたことだし、別に大丈夫よ。文化祭は参加してくれるのよね?」
「分からない、だけど準備は手伝うよ」
星谷さんがいるから参加はするけど、そんなことを素直に言えるわけない。うっかり口を滑らせてしまうのはなんとしても防ぎたい。
「あ、でも出し物には参加しないといけないから。どちらにせよ休めないか」
「体調不良にならない限り、参加はしてね」
体調不良にならない限り……。文化祭中に私が体調不良になれば、星谷さんは保健委員として私に付き添ってくれるのだろうか?
また良くない事を考えてしまう。
「体調管理はしっかりするよ」
「うん! あ、そういえばなにか聞きたいことがあったんだよね?」
すっかり忘れていた。
「そうだったね。文化祭の準備はいつから始まるのかな?」
「私そのこと言ったはずなんだけど」
「あれ? そうだったの?」
やってしまった。星谷さんのと一緒になったから、そのことを考えすぎて星谷さんの話を聞いていなかった。私としたことが、これからは星谷さんの話は絶対に聞き逃さないように注意しないと。
「ごめん。少し考え事をしてたんだ」
嘘は言っていない。だけど普段の行いから信じてはくれないだろうな。
「本当?」
訝しげに、眉根を寄せながら首を傾げる。うん、可愛い。
「うん。本当だよ」
「もしかしてまだ体調が悪いとか?」
もしかして心配してくれてる?
星谷さんの表情をもう一度観察してみる。やっぱり可愛いや……じゃなくて、綺麗な瞳が少し揺れている。思わず見入ってしまいそうになるけど、頑張って視線を外して、私は大丈夫、という気持ちを込めて首を振る。
「そうなんだ。あっ、また話がそれちゃったね」
星谷さんは恥ずかしそうに手を口に当てて笑う。その仕草が私にはお嬢様に見えてしまった。
「今日はなにもしないよ。準備ができるのは来週からなの」
たったこれだけの答えを貰うまでに色々と話が逸れてしまった。
思っていたよりも長く星谷さんと話すことができて私はとても満足だった。でも満足してしまうともっと求めてしまう。もっと長く星谷さんと話していたい欲求が湧き上がる。
もっと星谷さんと話したい。もっと星谷さんの事が知りたい。もっと星谷さんと近づきたい。
でも、急に距離を詰めるなんてことは私にはできなかった。
「そうなんだ。ありがとう星谷さん」
名残惜しいけどもう帰ることにしよう。
私は席に戻るとリュックを背負う。ほとんど物の入っていないリュックは凄く軽くて、高校生活の記憶がほとんどない私みたいだと思った。
教室を出た私は昇降口へと向かう。階段を下りながら保険室に行った時を思い出す。
踊り場に立つ私を他の生徒達が私を追い抜いていく。
さっきはここで星谷さんが私の手を掴んでくれた。
「天霧さん!」
え⁉ 突如聞こえてきた声に私は思わず振り返ってしまう。
わずかに温かい感触が私の左手を包み込む。
「ほ、星谷さん⁉」
星谷さんが私の手を掴んでいる事を認識した瞬間私の心臓が早鐘を打った。
手汗が一気に噴き出してきたような気がして、私は思わず星谷さんの手を振り払ってしまう。そうしてから私はハッとする。これは星谷さんに拒絶したと思われてしまうのではないか。
「いやっ違う!」
慌てた私は咄嗟に、払った星谷さんの手を掴む。
「えっ!」
なにがなんだか分からないと言いたげな表情で、星谷さんは掴まれた手を見ている。
「あっごめん!」
「大丈夫よ。驚かせてごめんね」
星谷さんが慌てた私に笑いかけてくれる。
その笑顔で落ち着きを取り戻した私は、ゆっくりと星谷さんの手を離す。
「ごめん、痛くなかった?」
赤くなっていないかな、もし怪我をさせていたらどうしよう。
「大丈夫よ。もしかして天霧さんって心配性?」
「いや、そんなんじゃないよ」
そんなんじゃない。星谷さんだから心配をしてしまうんだ。
「そっか。ねえ天霧さん、一緒に帰りましょう?」
私が必死に言い訳を心の中でしていると、星谷さんがとんでもない提案をしてきた。
一緒に帰る? 星谷さんと?
「でも、星谷さんには他に友達とかいるんじゃ」
星谷さんみたいな人なら友達だって多いはずなのに、なんで私なんかを誘うのだろう。星谷さんと一緒に帰ることができるのはすごく嬉しいけど……。
「ううん。私ってそこまで友達いないの」
嘘だと思ったけど、少し目を伏せていた星谷さんを見ると、それが嘘ではないということが分かる。
でもいったいなぜ? 星谷さんの事を知っていけば理由が分かるのかな。
「そうなんだ。じゃあ……」
一緒に帰ろうか。気恥ずかしくて口には出せなかったけど、星谷さんには伝わったようだ。
私達は少し距離を開けながら、昇降口へと向かう。
さっきみたいに星谷さんに触れていたい。
もっと近くで、星谷さんの体温を感じたい。
当然そんな思いは星谷さんに伝わるはずもなく、微妙に空いた距離を保ったまま私達は帰路につく。
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