第一試練4 人擬き

[明音視点]

秋灯の時間解凍の範囲が家を丸々解凍できるようになってから、この生活にだいぶ余裕が出てきた。

食料は元々困っていなかったけど、柔らかいベッドの上で寝られるようになったことが大きい。

時間が止まっている床の上は恐ろしく硬い。朝起きると大抵体の節々が痛くなっている。


家の中で眠れていることも大きい。

ドアは開きっぱなしだけど、屋根と壁がある屋内で周りを警戒せず睡眠をとれる。

外で寝ていると心理的に心が休まらなかったからありがたい。

世界の時間が停止しているから不便さを感じることはあるけど、これで衣食住の環境がほぼ揃った。


日の出ている間は基本歩き続け、日が沈めば休む。月明かりがあればまだいいが、この世界の夜は驚くほどに真っ暗になる。

行程の進捗が悪くなればもしかしたら夜に歩くこともあるかもしれないが、現状予定通り進んでいる。

無理せず夜は休み、そして日の出とともにまた移動を再開する。

元の世界では考えられないほど健康的な生活を送っている気がする。


ただ、最近は夜の時間が長い。夕食はすぐに済んでしまうし、秋灯はどっかに行くし。

時間解凍の回数が余ることが増えてから夜な夜な物資を漁りに行っているみたいだが。

喋り相手もおらず時間を持て余した明音は、暇つぶしも兼ねて鍛錬をしていた。



「やっぱり難しいわね。秋灯はどうやって範囲を広げているのかしら」


時間解凍の拡張を実行しようとしたが、失敗に終わった。

指定した隣の家に思いっきり石を投げてみたが無傷だった。

毎晩練習しているけど一向に成功する気がしない。


明音は日課として時間解凍の回数が余っていたら拡張の練習、そして余った時間で筋トレをしていた。


自炊云々の話については調理の腕が少し独創的だった。

レタスとキャベツの違いが分からなかったり、塩コショウの味付けが異様に濃かったり。

肉はちぎる。野菜は砕く。皮は基本剥かない。玉ねぎは流石に剝いていたが、握りつぶして鍋に放り込んでいた。

「これなら目が痛くならないでしょ!」と自信満々に言っている姿は後輩を苦笑いさせた。

出来上がる料理は雑多な煮込みか雑多な炒め物の二パターンで、不味くはないがうまくもなかった。


以降、秋灯から「先輩に家事をさせるのは申し訳ないので自分がやります」と言われている。

予想通りみたいな顔にイラっとしたが、秋灯の料理が美味しかったので任せることにした。


「寒くなってきたわね。明日は厚めの上着を解凍しようかしら」


自分の腕をさすり、近くに置いていた薄手のパーカーを羽織る。

この世界の夜は恐ろしいほど静かだ。眠るまで何かをしていないと落ち着かない。

ただ、真っ暗闇の街を出歩くのは怖い。秋灯が平気な顔して物資の調達と称して毎夜外へ出ていくが正直気がしれない。

昨日は試練に備えるためだと言ってホームセンターから数種類の工具を持ち帰ってきた。

重たそうだったから「そんなの邪魔でしょ」と言ったが、頑なに自分のリュックに詰めていた。

その姿が子供っぽくてなんだか笑えたが、一体何に使う予定なのだろう。


秋灯がいないこの時間はいつも身体を鍛えている。筋トレをしていれば夜の闇を忘れられる。

正直秋灯が早く帰ってきて欲しいと思っていたりするのだが、絶対本人には言えない。

言えば先輩の威厳が崩れてしまう。既に先輩も何もないかもしれないが。


それに最近恐ろしいほど身体の調子がいい。日中ずっと歩いているのに体力を持て余すことが多い。


「自重の筋トレだと負荷が小さいわね。せめて重りが欲しいけど、秋灯にとってきてもらおうかしら」


片手片足の体勢で腕立て伏せを行いながら、負荷の上げ方を考える。

腹筋もスクワットも何回やっても疲れなくなってきた。


「次は逆立ちして腕立てでも、」


明音はなんとなく気配を感じ向かいの道路を見る。

何かを引きずるような音が聞こえた。


「・・・気のせいよね」


近くを流れる川の音かも知れないと思ったが、即座に違うと判断する。

現在この世界で動いているのは、大気や海、地球の自転など人がぎりぎり生存できる環境に関する事象だけ動いている、らしい。

秋灯が夕食中いろいろと考察していたが、明音はあんまり興味がなかったため、大部分を聞き流していた。

東京の近くを流れていた荒川や多摩川など大きな河川は止まっていなかったが、他の小さめの河川は時間が止まっていた。

この家の近くの川もきっと小さめのはずだ。


明音は顔が引き攣りながら、耳をすませる。


ーーズズッツ、ズズッツ、ズズッツ


「秋灯!!!帰ってこぉぉぉぉぉぉぉおおおおい!!!!!!!」


異様な音がはっきり耳に入った瞬間、反射で叫んだ。

事前の取り決めで一人の時に何かあったら大声を上げると決めている。

ただ、そんな取り決めとか関係なく明音は叫んでいた。


恐ろしいほど静かなこの世界は音が遠くの方まで響く。

秋灯がお店の中にいたとしても、明音の叫び声はまず聞こえるはずだ。


「早く!早く!帰ってこい!秋灯ぃぃぃいいいいいいいい!!!」


力一杯叫ぶ。先輩の威厳ともうどうでもいい。

もしかしたら他の参加者かもしれないが、幽霊っぽい何かが暗闇の中で不気味な音を立てている。

この時点で明音のキャパを超えていた。


一応武器として、家の中にあった包丁をお守りのように両手で握りしめる。


ーーズズッ、ズズッツ、ズズッツ


音がさっきより大きい。こちらの家に近づいている。


明音は半泣きになりながら前方の道路を見る。

月の明かりに照らされ道路と家屋の輪郭が分かるが、その中に真っ暗な闇が見えた。

黒い絵の具で何重にも塗りつぶされたように真っ黒で、月の光を飲み来んでいる。

周りも暗いはずなのに人の形のように見えてしまった。


ーー怖い


心霊の類は元々苦手だったが、あれには身体の中から怖気が走るような何かを感じさせる。

逃げたい、今すぐこの場から立ち去りたい。ただ、足が震えてうまく力が入らない。


ーー怖い


暗い人影は足を引きずるようにして近づいてくる。

全身の震えで歯がカチカチと鳴る。今までこれほど恐怖を感じたことがなかった。

指先が震えて手に持っていた包丁を落としそうになるが、胸で抱えるようにして持ち直す。


「明音先輩っ!!!!!」


秋灯が塀の上から転がり落ちてきた。明音の横で、地面で半回転し膝立ちの状態で着地する。

必死に走ってきたのだろう。Tシャツがよれよれで全身汗だくになっていた。


「大丈夫ですか先輩!何がありまし、ってあぶねっ!」


包丁を持ったまま明音が抱きつく.

秋灯はギリギリで躱し、両肩を押さえて落ち着かせる.


「あっちの方に何かいる.黒くて、人みたいだけど、人じゃない何か」


声が擦り切れてうまく言葉が出てこない。

不気味な何かを指差しながら秋灯に状況を伝える.


「・・・見えないですけど」

「そんなことないわ!さっきまでそこに・・・・・あれ?」


顔を戻し、前方を見るが既にそこに黒い人影はなかった。


「明音先輩。一応確認ですけど、他の参加者じゃないですよね」

「多分違うと思う。形は人みたいだけど、黒すぎるし。でも、見間違いじゃないわ!」

「大丈夫疑ってませんよ。いくら先輩が怖がりでも、さっきまでの怖がり方は異常です」


落ち着いて喋っている秋灯の姿を見て、明音は徐々に平静さを取り戻す。

というか自分がここまで怖がっているのに、普通にしていてイラっとする。


「考えられるのは試練の参加者か、他に動いているとすれば天使とかですけど、流石に黒い人と天使を見間違えないと思いますし」

「あれはきっと人じゃないわ。多分その・・お化けとか」


自分が見た物に対し自身がなさそうに言う明音。

お化けや霊を見たと口にするのはなんか恥ずかしかった。


「俺もそう思います。多分今の世界は良くわからないものが出てくるのかもしれません」

「そうなの?」

「明音先輩、規定の最後に書かれていた内容を覚えていますか?」

「確か、《禁制の解放》についてだったわよね。正直説明を読んでも意味がわからなかったのだけど」


通達され規定の中で一番良く分からなかった部分だ。

禁制と言うからには何かを禁止していたのだろうけど、その内容は書かれていなかった。


「ここから俺の妄想ですけど、元々地球は魔術とか異能とか、明音先輩が見たお化けとか色んなものが居たんじゃないかなと思います。ただ今代の神様が色々法則を縛って今の世界の在り方にした。試練が始まったから今は元の地球の状態に戻していっている。それが《禁制の解放》なのかなと」

「ああいうお化けがこれからも出てくるの?」

「それは分かりません。ただ、もうこの世界は俺たちが知っている世界とは別なんだと思います」

「次に今日みたいなお化けが出たら私は泣くわよ」


堂々と本音を言う明音。

目尻の涙は乾きだいぶ落ち着いてきたが、さっきのお化けには二度と出くわしたくない。


「とりあえずお化けがまた出てくるかもしれないので一旦移動しましょう。さっき家具屋の時間解凍をしたので今日はそっちで寝ましょう」


今日は寝られる訳がないと明音は思ったが、この場にいることが嫌だったため秋灯の提案に頷いた。

一人じゃなくてよかったと心底思った一日だった。

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