(六)二
翌朝、穂藍が信と一緒に神社へ行くと、鳥居の外に昨日の神が立っていた。
「おう、奥方さん」
神は軽く右手を挙げる。
「おはようございます」
「ああ、おはようさん」
信が四つ足で、てててっと神に駆け寄る。
「今日も探し物するっすか?」
「ああ。申し訳ねぇが、頼みてぇ」
「いいっすよ」
信が元気に返事をする。
「奥方さんも、手伝ってくれるかい」
「はい。もちろんです」
三人連れだって、都の南へ歩いていく。
「この辺にあるはずなんだ」
「はい、分かりました」
「了解っす」
しかしまた、しばらく探しても探し物は出てこない。
「おかしいねぇ。また動いたよ」
そう言って場所を移動し、また探す。
しかし、移動先でも翡翠の勾玉は姿を見せない。
「おかしい。これは絶対おかしい」
失くした神自身も、合点がいかない様子だった。
三か所目に移動した時にはもう昼近く、三人とも疲れ始めていた。
「すまねぇ奥方さん、こんなはずじゃあ……」
「大丈夫です。大切な仕事道具なんですよね。もう少し、探しましょう」
しかし、自らは動かないはずの物が、こうして勝手に動いている。何か理由があるのだろうか。
「あ!」
信が突然、声を上げた。
「どうしたの?」
狸姿に戻った信は、その言葉を聞いていない。
「そこの猫、止まるっす!」
そう言って、道行く猫を追いかけていった。
「もしかして……」
穂藍と赤い神も、その後を追う。
大通りを走っていく三毛猫の首に、赤い紐がかかっていた。
「ちと悪いが」
そう言って、神が手を伸ばす。
「よいせ」
彼が手先をくいっと上げると、猫の身体が浮いた。
「ふにゃ? うみゃ~お」
驚いてばたつく猫に近寄り、赤い神はその首元を確認する。
「あったぜ!」
三毛猫の首に、立派な翡翠の勾玉がかかっていた。
しかし、そこからが大変だった。
「みゃー!」
猫にとって、人間も神も知った事ではない。首に手を伸ばしてくる神を、猫は嫌がってひっかいた。
「いてっ! こいつ……!」
神と猫は格闘する。
宙に浮く猫を不思議がり、見物人が増えていく。
長引く攻防の末に、神はやっと翡翠の勾玉を取り返した。
「ふっ、俺の勝利だ!」
穂藍は思わず拍手する。
猫は向こうに走っていった。
「付き合わせて悪かったな、奥方さん」
ひっかき傷だらけになった神が言う。
「お怪我、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない。すぐ治る」
心配する穂藍に答え、神は勾玉を首にかける。
「これで良し」
一件落着したところで、穂藍がある提案をする。
「うちの神社に寄って行きませんか? お疲れでしょう」
「ああ、お言葉に甘えよう」
三人は、都の守護神の神社へ向かう。
「見つかって良かったっすね」
信が嬉しそうに言う。
「そうね」
「これで仕事ができるぜ。ありがとうよ」
のんびり話しながら帰途を辿っていたが、神社の前まで来ると、赤い神はぴたっと足を止めた。
「おや、都の守護神は、出掛けてるのかい?」
「あ、はい」
穂藍はうなずく。
「何か、会議があるとかで。今神社にはいらっしゃいません」
「そうか……」
神は何やら考え込む。
「うーん、そいつぁ、俺が入っちゃまずいねぇ……」
「そうなのですか?」
「ああ。神の留守中に、俺が守護神の領域を侵犯する事になっちまうからな」
神様の礼儀は難しい。穂藍は首を傾げた。
「では、膏薬だけ持ってきますね。少々お待ちください」
「かたじけねぇ」
赤い神と信を置いて、穂藍は社務所へ行く。
「おや、穂藍様。お戻りですか」
「はい。ただいま戻りました」
社務所では、晃䋝が一人で事務仕事をしていた。
「晃䋝さん、救急箱はありますか? 神様が、怪我をしてしまって」
「おや、それは大変ですな」
晃䋝は、奥の棚から救急箱を引っ張り出す。
「私も一緒に行きましょうか」
「はい、お願いします」
晃䋝を連れ、穂藍は鳥居に向かう。
「……穂藍様、神様と言うのは、あの赤い服の方でしょうか?」
「はい。失くし物を、一緒に探していました」
「左様でございますか……」
晃䋝の顔は緊張している。いつも穏やかな彼にしては珍しい。
鳥居に着くと、晃䋝はすぐさま、深く頭を下げた。
「お初にお目にかかります。私、この神社の宮司を勤めております、晃䋝と申します」
「おお、宮司か。そんなにかしこまらなくていい。ここには少し、寄っただけだ」
晃䋝の様子が、貧乏神相手の時よりも丁寧だったので、穂藍は不思議に思った。
「晃䋝さん?」
「穂藍様、この方は、季節の四大神のひとり、夏の神様でございます」
「夏の、神様?」
「はい。この国の季節を司る、とても位の高い神様です」
「え……」
そんな事とは知らず、穂藍は普通の神様だと思って接していた。
穂藍の隣で、信もぽかんと口を開けている。
「し、失礼しました」
穂藍は頭を下げる。何か失礼な事をしていなかったか、今になって不安になった。
「ああ、気にすんな、奥方さん。言わなかった俺も悪ぃしな」
「そ、そうですか……?」
「まあ、そこの見習い坊主にも分からなかったのは、意外だったが」
「う……申し訳ないっす……」
夏の神は一度しゃがみ、童子姿の信をわしわし撫でる。
「気にすんな。お前もまだまだ、修行が足りないって事だ」
「うっす……」
ふはは、と機嫌よく笑い、夏の神は立ち上がった。
「さて、帰るとするか」
蜃気楼のように景色が揺れ、夏の神は大きな紅い鳥になった。
その姿は威風堂々として、金の瞳が美しい。炎のように燃える翼は、正に灼熱を表しているようだ。
「世話になったな」
「は、はい」
穂藍は、その熱気に圧倒されながら返事をする。
「都の守護神に、よろしく言っといてくれ。じゃあな」
こうして、夏の神は探し物を見つけ、帰っていった。
茅の輪が完成したと聞き、穂藍は境内の広場に向かった。
およそ半月の間、神社中で力を注いでいたのだ。穂藍にも、その完成は嬉しかった。
広場に行くと、四本の竹と注連縄に囲まれ、茅の輪がでんとたたずんでいた。
「ああ、穂藍様」
晃䋝が気付いて声をかけてくる。
「茅の輪を見に来てくださったのですね」
「はい。思ったより大きくて、すごいですね」
「ありがとうございます」
完成した茅の輪は大きく、夏を迎える誇らしい場に臨むように立っている。これで、夏の御渡の準備は整った。
都の守護神が帰ってきたのは、そんな日の夕方だった。
玄関の戸の開く音がして、守護神が家に帰って来る。
「帰ったぞ、穂藍」
穂藍は玄関に走っていき、守護神を出迎えた。
「おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま」
守護神の頬がふっと緩む。穂藍もそれを見て微笑んだ。
「全く、なぜ福の神関係の会議に、俺が呼ばれたのか」
夕飯の時間、都の守護神は穂藍の隣で愚痴る。
「福の神に、都も田舎も関係なかろうに」
「福の神様の会議だったのですか?」
「ああ。正確には、福の神の成り手不足の問題だな。福の神は、多すぎても少なすぎても困る。塩梅が難しい」
「ふぅん……」
貧乏神が居れば、福の神もいる。この国には、穂藍の知らない神様が、まだまだたくさん居るようだ。
「さて、出張で疲れたし、今日は寝るとするか」
都の守護神が畳に手をつく。
「あの……」
穂藍は、少し遠慮がちに声をかけた。
「ん、どうした?」
立ち上がりかけていた守護神は、座布団に座り直す。
「あの、寝間を同じ部屋にしませんか?」
穂藍が口にすると、守護神の目が満丸くなった。
「……それは、どういう意味だ……?」
「どういう……?」
前と同じ反応をされ、穂藍は戸惑う。
「ええと、礼誠さんに、夫婦は同じ部屋で寝るものと教わりました」
「そ、そうか……」
「それに、寝室を同じにすれば、守護神様と過ごす時間も増えるかな、と思って」
都の守護神は、満丸い目のまま何とかうなずく。
「……とりあえず、俺は期待と下心を反省しよう……」
「期待?」
「ああ、いや、何でもない」
即座に否定する守護神に首を傾げながら、穂藍は頬を少し赤らめる。
「私、いい奥さんになりたいです。守護神様に、自慢に思ってもらえるような、立派な奥さんに」
ふと、視界が暗くなった。暖かいものにふわりと包まれ、気付くと守護神の腕の中にいた。
「礼を言おう、穂藍。お前が嫁に来てくれて、俺は嬉しい」
「守護神様……」
「お前を嫁に選んで良かった。ありがとう」
穂藍は、恐るおそる守護神の服を握る。嫌がられない事を確認し、顔をうずめる。
「こちらこそ、ありがとうございます」
穂藍の目に涙が浮かぶ。
村で仲間外れにされていた自分が、今誰かに愛されている事が、本当にしあわせだった。
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