(五)

 茅の輪づくりが始まり、数日が経った。木材を八角形の輪に組むところまでは終わったのだが、それを丸くくりぬく作業に手間取っていた。

 直径約五尺の輪っかを作るために、鋸を使って木材を切っていくのだが、なかなかに力と時間がいる。禰宜たちが順番に、鋸を振るっていた。

「お茶をお持ちしました」

 巫女の礼誠と一緒に、穂藍が盆に湯呑を乗せてやってくる。

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 作業をしていた禰宜たちは口々に言い、頭に巻いた手拭いを取って休憩に入った。

「進捗はどうかしら?」

 礼誠が訊く。

「一応計画通りに進んではいるのですが、思った以上に木が硬くて……」

「ああ、そうなの。今年は杉が手に入らなくて、檜にしたからねぇ」

 そんな話を聞きながら、穂藍もお茶を飲む。夏前に吹く爽やかな風が、心地よかった。

「さて、そろそろ作業再開といきますか」

 禰宜の一人が立ちあがる。それを合図に、神社の男衆は力仕事に戻っていった。

「では、私たちも」

「はい」

 礼誠に言われ、穂藍も席を立つ。盆に回収した湯呑を家へ運び、穂藍は社務所に向かった。

 石畳を歩きながら、ふと鳥居の方へ眼をやると、石段を上がったところで、鳥居をくぐらず立ち止まっている老夫がいた。白い髪も髭も伸びきっており、その身なりはお世辞にも綺麗とは言えない。

 穂藍は少しの間見ていたが、鳥居をくぐる気配が全く無いのが気になった。

 まだ新人とはいえ、自分もこの神社の人間だ。案内くらいはできるだろう。

 穂藍はそう考えて、老人の方へ歩を進めた。

「あの、何かありましたか?」

「わっ!」

 傍に行って声をかけると、その年寄りは仰天して声を上げた。

 それに驚き、穂藍もびくっとする。何か悪い事をしたのだろうかと思った。

 しかし、老夫はまじまじと穂藍を見る。

「お前さん、わしが見えるのかね?」

 穂藍は、その言葉に慌てて頭を下げる。

「すみません。神様だと分からなくて……」

「わし、神様らしくないかの?」

 そう返され、穂藍はさらに慌てる。

「す、すみません。そういう意味では……」

「ほっほっほ、分かっとるわい」

 その年寄りは柔らかく笑う。

「お前さん、都の守護神殿の細君じゃろう。噂は聞いておる」

「は、はい……」

 穂藍は何とか返事をする。恥ずかしさで顔が火照っていた。

「奥さん、すまぬが宮司と守護神殿を、呼んできてはくれんかの? わしは中に入らん方が、ええじゃろうから」

「承知いたしました」

 なぜ、神なのに神社に入らないのだろう。穂藍は不思議に思いながら、指示に従った。

「晃䋝さん、鳥居の外に、神様がお見えなのですが」

「鳥居の外に?」

 晃䋝も穂藍同様、いぶかしがる。

「あと、守護神様も呼んでほしいそうです」

「守護神様も?」

 宮司にも、状況が呑み込めていないようだった。

「とりあえず、まずは私がお相手しましょう」

 穂藍は、晃䋝を連れて鳥居へ戻る。

「おお、これはこれは」

 鳥居の外で待つ神の姿を見て、晃䋝は何か納得がいったようだった。

「お待たせして申し訳ありません、貧乏神様」

「おお、宮司か」

「はい。晃䋝と申します」

 晃䋝は頭を下げる。

(貧乏神様!)

 穂藍は驚いて、礼をするのを忘れた。

(実在したのね……)

 名前は聞いた事があったものの、本神を見るのは初めてだった。

「今、守護神様を呼んでまいります」

「ああ、頼んだぞ」

「はい。一旦、失礼させていただきますね」

 そう言って、晃䋝は穂藍を連れ鳥居を離れる。

「あの、中にご案内しなくて良いのですか?」

 穂藍が尋ねると、晃䋝はうなずいた。

「貧乏神様は、その名の通り、人を貧乏にする神様です。いくら神社でも、敷地内に入ればその神力は発揮されてしまいます」

 だから、鳥居より中には入れられないと言う。

「鳥居の外で待っていてくださったのは、神様のお心遣いでしょう」

「そうなんですね」

 二人は本殿に声をかけ、都の守護神と信を連れて鳥居に戻る。

「待たせてすまない、貧乏神殿」

「おお、都の守護神殿」

 神様同士が話し始める。

「貴殿がここに来るとは珍しい。何かあったのですか」

「実はの、先日まで憑りついていた家での仕事が、終わったんじゃよ」

「お役目、ご苦労様です」

「うむ。それでな、新しい憑りつき先を教えろと、上に頼んだのじゃが、断られてしまってのぅ」

「おや、それはまた……」

「うむ……」

 神様二人は、何とも言えない顔をする。

「忙しいから現場に任せる、と、そんな回答じゃった」

「うーむ、現場は忙しくないとでも、思っているのか?」

 どうやら神様にも、複雑な事情があるらしい。

 人間二人と見習いの信は、黙って成り行きを見守っている。

「それで、都の事は都の守護神殿に訊いてみようと、そんな訳じゃ」

「なるほど」

 要は、貧乏神が新しく憑りつく先を、見つける必要があるという事だ。

「信」

「はいっす」

「貧乏神殿の新しい仕事先を、一緒に探してくれ。街を歩いていれば、見つかるだろう」

「了解っす」

 街を歩くと聞いた穂藍は、遠慮がちに手を挙げる。

「あの、私もご一緒して良いでしょうか」

「穂藍も行きたいのか?」

 都の守護神の表情が変わる。

「はい。守護神様の治めるこの都の事を、ちゃんと知っておきたいのです。だめでしょうか……?」

「いや、止めるつもりは無いが……」

 守護神は何やら考え込む。

「俺も一緒に行く事にする」

「えぇ、でも、守護神様は仕事が……」

 言いかけた信の口を塞ぎ、守護神は穂藍の方に向き直る。

「一緒に参ろう。俺が街を案内する」

「はい。よろしくお願いします」

 穂藍が頭を下げる。

 その後ろで、晃䋝と貧乏神は微笑んでいた。


 晃䋝と信を神社に残し、穂藍、守護神、貧乏神の三人は出発する。

 まず通ったのは、神社の前の参道だ。土産物や縁起物を売る店、食堂、甘味処など、様々な店が並んでいる。

「貧乏神殿、申し訳ないがこの付近は……」

「分かっておる。いくらわしでも、この辺りには居付けんわい」

 二神の話を聞きながら、穂藍はきょろきょろしてしまう。多くの人も、店頭に並ぶ品々も、目新しいものばかりだった。

「何か気になるものでもあるか?」

 守護神が穂藍に訊く。

「見た事ないものばかりです。縁起物も、土産物も、村にはありませんでした」

「そうか。時間はある。ゆっくり散策しよう」

「はい」

 守護神の言葉に甘え、穂藍はある店の前で立ち止まる。

「黒い狼の置物が多いです。守護神様のお姿だからですか?」

「ああ、そうだ」

 都の守護神の神社前だけあって、守護神にまつわる品を置いている店が多かった。

「蛙の根付もありますね」

「ここには長旅を経て参拝に来る者も多い。無事帰れるように、という願をかけた御守のようなものだ」

「そうなんですね……。この木刀は、護身用ですか?」

「ああ、それは、俺にも分からん。何なのだろうな」

 立ち止まって言葉を交わしている夫婦の後ろで、貧乏神が口をとがらせる。

「お二方、すまぬが仕事を思い出してはくれんかの?」

 その言葉に守護神ははっとする。

「失礼した。先へ進もう」

「は、はい」

 穂藍も、頬を赤らめて店から離れた。

「よろしく頼むわい」

 段々と店や宿屋が少なくなり、やがて住宅街にはいる。

「参考までにお聞きしたいが、貧乏神殿はどのような家に憑りつきたいのだろう」

「そうじゃのう……」

 貧乏神は白い髭を撫でる。

「栄えているところの方が、遠慮なく力を振るえるわいの」

「なるほど。そうしたら、ここよりはもっと北の方が良いだろう」

 一行が歩いていくと、とある商店街に出た。観光客と言うよりは、地元の生活を支える店が立ち並んでいる。

「この店はどうだろうか。金ならたくさんある」

 守護神が立ち止まったのは、高利貸し店の前だ。

 確かにここなら、現金は置いてありそうだが、貧乏神は首を振った。

「この類は、わしも昔憑りついたんじゃがの。こういう店が没落すると、困る人間もかなりおるんじゃよ」

「なるほど。その家だけが困るならまだしも、影響は大きいという事か」

「左様。ちぃとばかし、わしの美意識に反するの」

「承知した」

 次に守護神は、王都城に向かって歩いていく。

「没落しても周囲に影響が出にくいのは、やはり貴族だろうな」

「きぞく?」

 穂藍には縁のない単語だ。

「ああ。この都の民は、大きくは貴族と平民に分かれる。政治や国の運営に関わる官吏は、大体が貴族だ」

「ふぅん……」

 政治や国と言われても、穂藍にはいまいちピンとこない。自分とは遠い世界の話のような気がした。

「ふむ。貴族なら財産もあるじゃろうし、仕事のしがいがあるのぅ」

「決まりだな」

 しばらく歩くと、どこを見ても塀ばかりのような地域に到着した。

「この辺りが、貴族の家の多い所だ。いろんな家があるから、ゆっくり選んでくだされ」

「恩に着るわい」

 貧乏神は、傍にあった一軒の家に目を留める。

「ここは、香家の屋敷のようじゃの。どれ、覗いてみるか」

 そう言ってかっと目を見開く。

「ふぅむ……」

 視線を動かし、家の中を見透かしている様子だ。

「おお、勉学に励んでおる。神棚も綺麗じゃし、誠実な家じゃの」

 一度目を閉じ、貧乏神は夫婦に向き直った。

「この家は善い。没落させるのはもったいないの」

「うむ」

 守護神は相槌を打つ。

「やはり貧乏神殿に憑りついていただくのは、それなりに理由のある家でないとな」

「理由、ですか?」

 穂藍は首を傾げた。どんな人でも、貧乏になって良い理由など、無い気がした。

「貧乏神殿の仕事は、言わば見せしめだ。堕落した生活をしていたり、いただけない商売をしていたり、信仰心に薄かったり、だな。そう言った事をしていると、本当に家が傾いていく。人間には、そう思ってもらわねば困るのだ」

「そうなんですね……」

 どうやら神様にもいろいろあるらしい。

 でも、貧乏神が適当に家を選んでいる訳ではないという事は、ちゃんと分かった。

「あそこの家はどうだろう。良家の屋敷だ」

「誠家の分家の一つか。どれどれ……」

 貧乏神はまた目を見開いて。屋敷の中を覗く。

「おお、期待に違わぬ家じゃ」

「立派なんですか?」

 穂藍の質問に、貧乏神はにやっと笑った。

「見事に堕落しておる。権力にふんぞり返って、何もせぬ。武芸や勉学に精を出す事も無く、威張っておるわい」

 都の守護神は苦笑した。

「苦労せず権力のある座に就き、長い事居座っていると、そうなりがちだな」

「え……」

 今さっき、貴族は国を動かしていると聞いたところだ。そんな重要な人間こそ、勤勉で、人格者であるべきではないのか。穂藍は、この国の事が分からないと思った。

「この家に憑く事にするわい」

 貧乏神が言う。

「都の守護神殿、細君殿、世話になったの」

「役に立てたなら幸いだ。お役目、よろしく頼む」

「うむ」

 守護神の言葉に、貧乏神はうなずく。

「任せてくだされ。この家も、二年後には没落じゃわい」

 そう言ってほっほっほと笑い、貧乏神は良家の門をくぐって姿を消した。

「さて、俺たちも帰るか」

「はい」

 ふたりは家である神社の方に歩を進める。

(そう言えば)

 穂藍は守護神を見上げる。

(ふたりっきりで街を歩くのは、初めてだわ)

 だから何と言う事も無いのだが、穂藍は何となく嬉しかった。

 そんな妻の様子を察してか、都の守護神が一つ提案をする。

「少し、寄道をして帰ろうか」

「はい」

 南の方へ歩いていくと、街一番の繁華街に出た。

「ひ、ひとがいっぱいです」

 穂藍は怖気づく。珀富と呼ばれるその繁華街は、人で溢れていた。

「はぐれるなよ」

 守護神にぐいと引き寄せられ、穂藍の頬が火照る。

「歩くぞ」

「は、はい」

 目的の店があるようで、守護神は穂藍を連れて人ごみをぬっていく。

「こっちだ」

 守護神の歩みに任せていくと、一軒の櫛屋に到着した。

 店頭に並ぶ様々な櫛を見て、穂藍の目が輝く。村で育った穂藍は、こんなに凝った作りの櫛を見た事がなかった。

「すごい……」

 商品に見とれる穂藍を、守護神は奥の方へ案内する。

「用があるのは、こちらの方だ」

 連れていかれたのは、つげ櫛の並ぶ一角だ。

「この中から、好きなものを選ぶと良い」

「えっ」

「金は持ってきている。気にするな」

 気にするなと言われると、断るのも申し訳ないような気もする。魅力的な商品が並んでいたのもあって、穂藍は守護神の言葉に甘える事にした。

「これが良いです」

 しばらく迷って穂藍が選んだのは、たんぽぽの彫刻があしらわれた、素朴な柄の櫛だった。

「それで良いのか? もっと高い物でも良いのだぞ」

「いえ、これが良いです」

「そうか」

 守護神は、懐から小さな巾着を出して穂藍に渡す。

「そうしたら、代金を払ってきてほしい。俺の姿は、店主の目には映らぬだろうからな」

 巾着を手にした穂藍は戸惑う。何をどうすれば良いのか、分らなかった。

「どうした?」

 守護神に訊かれ、恥ずかしくなってうつむく。この歳になって、一度も買い物をした事が無いとは、言えなかった。

 自分はできない事ばかりだと思い知らされた気がして、穂藍は泣きたくなる。

「……ああ、すまない」

 様子を見ていた守護神が、事情を察して優しく言う。

「俺が隣で説明しよう。おいで」

 守護神に手を引かれ、穂藍は店主の方に歩いていく。

「いらっしゃいませ」

 老婦人が客を出迎える。

「これが欲しいと、櫛を差し出せ」

「こ、これをください」

 穂藍は、守護神に言われた通り、老婦人に櫛を手渡す。

「はい。かしこまりました」

 その後も守護神の指示に従って、何とか買い物を終える。

「ありがとうございました」

 店の老婦人の声を後ろに、ふたりは店を出た。

「疲れただろう。神社に戻ろうか」

「はい」

 人ごみを抜け、住宅街を通り、参道を歩いて神社に帰る。

「おかえりなさいっす」

 狸姿の信に出迎えられ、穂藍はほっとした。

「残りの仕事を片付けてくる。穂藍は、先に家へ戻ると良い」

「はい」

 櫛を手にして、穂藍は家の戸を開けた。

「ただいま帰りました」

 その声に、すぐ返事がある。

「おかえりなさいませ」

 礼誠だ。土間で夕飯の支度をしているらしい。

 穂藍がそこに顔を出すと、案の定礼誠は菜っ葉を切っていた。

「ただいま帰りました」

 穂藍は改めて言う。

「おかえりなさいませ」

 礼誠は包丁を止めて振り返り、穂藍の持っている櫛に気付く。

「あら、それは?」

「さっき、守護神様が買ってくださったんです」

 穂藍が言うと、礼誠は頬を緩めた。

「あらまあ、それはそれは。まあまあ」

 あまりにも笑顔だったので、穂藍は不思議に思って訊いてみる。

「あの、この櫛が何か……?」

 その反応に、礼誠はますます笑う。

「ふふふ。都では、男性が女性に結婚の申し込みをする際に、つげの櫛を渡す風習があるんですよ」

「えっ」

 そんな事とはつゆ知らず、穂藍は頬を赤らめた。

「守護神様も、粋な事をなさるもんだわ」

 礼誠はまな板に向き直る。

「結婚生活、苦しい事やつらい事もあるでしょうけど、死ぬまで一緒に生きていこうって、そういう意味ですよ」

 そう言われて、穂藍はさらに頬を赤らめたのだった。

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