(四)
新緑が美しく空に映える頃、ひとりの男性が、穂藍たちの住む神社にやってきた。その手には、古びた扇子が握られている。
男性は初めに参拝すると、それから社務所を訪ねてきた。
「すみません」
社務所の戸を開け、男性は中に声をかける。
「はい」
事務仕事をしていた晃䋝が返事をする。隣で仕事を教わっていた穂藍も、顔を上げた。
「御用の向きを、おうかがいします」
男性を見た晃䋝が、その肩に目をやる。
「おや、付喪神様がいらっしゃいますね」
存在に気付いてもらえた事が嬉しいのか、男性の肩に乗っていた付喪神の顔がぱっと明るくなる。
「はいです。付喪神なのです」
「ご挨拶申し上げます、付喪神様」
晃䋝が頭を下げたので、穂藍もそれに倣った。
「こちらの付喪神様と、少々お話してもよろしいですか?」
晃䋝が男性に訊く。
「あ、はい。どうぞ」
「ありがとうございます」
付喪神と目の高さを合わせ、晃䋝は話しかける。
「本日は、どのような御用でしょう?」
「御用です、そろそろ私、天に戻りたいのです」
「天、でございますか」
「はいです」
晃䋝は、男性の持っている扇子に目を落とす。
「失礼ですが、それを見せていただいても?」
「ああ、はい」
男性に渡された扇子を開くと、竹製の柄の部分が、大きくささくれていた。
「これ、祖父からもらった古いのなんですけどね」
男性が話し始める。
「壊れてるのは知ってたんですが、季節じゃないんでほっといたんです」
「ふむ」
「ただ昨日、夢を見まして。小さい子どもが現れて、扇子を持って神社に行けと言うんです。それで、来てみました」
「なるほど」
晃䋝が得心したようにうなずく。
「付喪神様は、天に戻りたいとおっしゃっています」
「え」
男性は目を丸くする。
「付喪神様は、一度現れたらずっと居るもんかと……」
「いえ。天に戻りたくなられる事も、あるようです」
「そうですか」
男性は不安げな顔になる。
「あの、付喪神様は怒ってますかね……?」
男性が心配そうに訊く。
「せっかく祖父から受け継がれたのに、壊してしまいましたし……」
「怒ってないです」
本神が肩の上から答える。
「今は壊れてますけど、これまでずっと、大事に使ってくれました。嬉しかったです」
「左様でございますか」
晃䋝が、付喪神の言葉を男性に伝える。
「そいつぁ良かった。安心しました」
男性は胸を撫で下ろした。
「そうしたら、この扇子はこちらに預ける形で良いので?」
「はい。お持ちいただき、ありがとうございました」
こうして神社に扇子を託し、男性は帰っていった。
「よろしくお願いしますです」
付喪神がぺこりと頭を下げる。
「はい。お任せください」
晃䋝は微笑んだ。
「穂藍様、お手伝いいただけますか?」
「もちろんです」
穂藍と晃䋝は、社務所の戸に不在の紙を出して拝殿へ向かう。
「これから、御焚上を行います」
道すがら、晃䋝が説明する。
「付喪神様の場合は、御本体を燃やし、天にお戻りいただく形です」
「そうなんですね」
「はいです。遠慮なく、ぼーっと燃やしてくださいです」
「ええ。心得ております」
拝殿に着いた。
「守護神様」
晃䋝が、本殿の方に声をかける。
「御焚上を行います。どうぞいらしてください」
返事は無かったが、拝殿の中の事は本殿にきちんと伝わっている。穂藍もそれは分かっていた。
三人は、拝殿を出て境内の奥へ歩いていく。
砂利を踏みつつ進んでいくと、四本の竹と注連縄で囲まれた小さな祭壇があった。
「ここで、御焚上をします」
晃䋝が、扇子をそっと祭壇に置く。
扇子の付喪神は、晃䋝の肩にぽんと乗った。
「待たせた」
「お待たせしたっす」
都の守護神と、童子姿の信がやって来る。
「そなたが、御焚上を希望した付喪神か?」
「はいです」
守護神が声をかけると、付喪神は元気に返事をする。
「この扇子の付喪神なのです。天に戻るです」
「うむ。これまでの在位、ご苦労であった」
「もったいないお言葉、ありがとうございますです」
付喪神がぺこりと頭を下げると、守護神はうなずいた。
「では、これより御焚上を行う」
「よろしくお願いしますです」
まずは全員が手水を行い、身を清める。その後、儀礼に則って、祝詞奏上や玉串礼拝を行い、祭壇に浄火をつける。
「これで、天に戻れるです」
扇子が燃えていくにつれ、付喪神の姿が淡くなる。
「ありがとうございましたです」
神社の人と神が見守る中、そう言って付喪神の姿は消えていった。
しばらくその火を見つめた後、守護神は一つ伸びをした。
「さて、本殿に戻るぞ、信」
「はいっす」
「穂藍、晃䋝、この後は?」
「そろそろ、禰宜たちが茅を運び終えたかと。茅の輪づくりに、とりかかります」
「そうか。もうそんな季節になったか」
「早いもんっすね」
晃䋝の返事にそう言って、守護神と信は本殿に戻っていった。
「穂藍様」
晃䋝は穂藍に向き直る。
「これから、茅の輪づくりの作業に入ります。一緒に来てくだされ」
「茅の輪?」
「はい。夏の御渡の準備でございます」
「夏の御渡?」
疑問符を浮かべる穂藍に、宮司は丁寧に説明する。
夏の御渡は、この国に夏を呼ぶ儀式だ。夏の神が季節を連れてくる日に合わせ、祭事を行う。
その一環として、茅という植物で作った大きな輪の中を通る風習がある。厄を払って身を清め、無病息災を祈る行事である。
「それに使う茅の輪を、これからつくり始めます。完成までに、半月程はかかるかと」
「そうなんですね」
社務所の裏に行くと、禰宜や巫女たちが集まって、木材と茅を運び、積み上げていた。
穂藍と晃䋝が顔を出すと、みな軽く頭を下げる。
「作業は順調ですか?」
「はい」
晃䋝が訊くと、そばにいた巫女が答える。
「今日の夕方には、全ての材料を運び終える予定です」
「なるほど」
晃䋝の見込みより、作業は少し遅れているようだ。
「この後も、怪我の無いように頼みます」
「かしこまりました」
茅の輪づくりを始めるのは、明日からという事になった。
夕方、仕事を終えた穂藍が家に戻ると、都の守護神はもう帰っていた。
「おかえり、穂藍」
「ただいま帰りました」
夕飯の時も、守護神は傍に来て、穂藍が食べるのを見ている。
「守護神様は、何を食べて生きているのですか?」
「食べるかどうかはともかく、俺たち神は、人の信仰心によって生きている」
人の姿で頬杖をつきながら、守護神は答えた。
「いや、生きているというより、存在している、だな」
「ふぅん」
世話役の礼誠が作るご飯は、村で出されていたものより種類が多く、とても美味しい。
穂藍は、これを一緒に食べられないのは、少し残念だなぁと思っていた。
自室で寝間着に着替え、布団を敷いていると、守護神が穂藍を訪ねてきた。
「入るぞ」
「はい」
穂藍の部屋に入った守護神は、なぜか緊張している様子だ。
「どうかなさいましたか?」
穂藍が訊くと、守護神は神妙な顔で穂藍の前に座った。
「穂藍、ちょっと良いか?」
「はい」
咳払いを一つして、守護神は口を開いた。
「そろそろ、寝間を同じ部屋にしたいのだが」
「同じ部屋、ですか」
穂藍は首を傾げる。
「でも、守護神様には守護神様のお部屋があります。わざわざ同じ部屋にしなくても、良いのでは?」
守護神は目を見開いた。
「……それは、どういう意味だ……?」
「どういう……?」
意味も何も、穂藍にとってはそのままの意味だった。
自分が村にいた頃住んでいた苫屋とは違い、ここにはたくさん部屋がある。わざわざ同じところを寝室にする必要もあるまいと思った。
「あ、いや、俺が悪かった」
少しの沈黙の後、守護神は首を振る。
「時期尚早であったな。すまない」
謝られた意味も、穂藍には分からない。
守護神は、硬い表情のまま立ち上がる。
「もう遅い。そろそろ寝る時間だ」
「はい。おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ」
襖を閉める守護神の背中は、心なしかしぼんでいた。
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