抗いと戦い

 夜闇が空を覆う刻限になって。

 あの後、使者達は笑顔のフェリクスとフィーネに、丁重にかつ慇懃無礼に半ば追い立てられるようにして城を後にした。

 恐らくは村で補給なりして、皇宮に引き返す羽目になっただろう。

 フィーネは中央棟のホールに足を踏み入れる。

 夕食の後主人たちがそれぞれの部屋で寛げるように整えた、後は残務をこなそうと歩みを進めていた。

 そろそろ二人でお休みになってもいいのではと思いもするけれど、こればかりは当人たちの問題である。

 あまり下世話なお節介もしたくないが、もどかしい思いがあるのもまた事実。

 まあ、兎に角まずは目の前の問題を片づけて、今後の対応に当たるであろう二人を支えなければ。

 そんな事を考えながら歩いていたフィーネに、少し慌てた男性の声が聞こえた。


「フィーネさん!」


 それは城に仕える下男の一人だった。

 用事があって村に向かわせていたのだが、今しがた戻ってきたらしい。

 遅くまでご苦労様と労う言葉をかけても、男の様子はどこかおかしいままだ。


「あの、今日訪れた帝都からの使者たちですが……」

「ああ。多分村には滞在できないで、補給だけで戻っていったのでしょう?」


 ウルリーケが見つけて大切に増やしている最中の幻の花を持ち去ろうとした不届き者について、フィーネは下男に村への伝言を託していた。

 詳細は伏せるが、スヴェンとウルリーケに不当な要求を突きつけた者達だと知らせたのである。

 恐らく、今は領主夫妻を心から受け入れ信頼と尊敬を寄せる村人たちは、村への滞在を拒むだろう。

 補給はせめてもの情けとさせてもらえるだろうが、慮外者にはいい薬だとフィーネは思っていた。


「それが、どうにも……村に立ち寄った様子もないようです」

「なら、どこに……?」


 使者達は荒野を長旅するには不向きな支度だった。多分、使者として丁重に歓待してもらえるものと踏んでいたのだろう。

 それが予想外に追い出され取って返す羽目になった。

 ギーツェン城から帝都への距離を考えれば、事前に余程の準備をしていたならともかく、補給と休息なしには難しい筈だ。

 険しい表情で思案するフィーネに、下男は更に不安げに呟く。


「それどころか……誰も使者が帰る姿を見ていないと……」


 城に至るには村を経由しなければ辿り着けない。

 外を通る道はあるにはあるがかなり険しい道となる。そちらを好んで進む理由はあるだろうか。

 村の人間に目撃されないように城から帰るのはかなり難しい。

 何故にその難しい方法を選ぶのか、そう思っていたフィーネが何かに気づいたように愕然とした。


 ――使者は、まだ『帰っていない』のではないか……と。


 皇帝の使者として公の存在である事を気取っていたが。

 あれは後ろ暗い手段にも慣れた人間だと、フィーネとフェリクスは気付いていた。

 『同類』の臭いを感じ取っていながら、とフィーネは迂闊さに思わず唇を噛みしめる。

 狼狽えて自分を見る下男に、険しい声音で叫ぶとフィーネは駆けだした。


「貴方は城の男手を集めてから東翼に来て頂戴! 私はスヴェン様にお知らせするから!」


 懸念が現実のものとならねばいいと思いながら、フィーネは東翼へと向かった。




 ウルリーケは、東翼に与えられた自室にて何度目かわからない溜息をついていた。


 どこから情報が伝わってしまったのか、それはもう既に問うても詮のない事ではある。

 もしかしたら自分も迂闊であったのかもしれないと、悔やんでももう仕方ない。

 事実は皇帝たちに伝わってしまった。もう白を切る事も隠す事も出来ないのだ。

 けれども、あの人たちにフィンストーゼを渡したくはない。

 仮に、父のように花を愛するが故に求め、相応の知識を以て大切に扱ってくれるならばまだいい。

 しかし、あの人たちはただ希少価値が高い珍しい花だから自分のものにしておきたいだけだ。賭けても良い。

 他の人間が羨むようなものだから傍においておきたいだけ。

 まともに扱ってくれるかどうかも怪しい。ただでさえ扱いの難しい状態であるというのに。たとえ枯れてしまったとしても、残念だと呟いて次の興味を引くものへと向かうだけ。

 けれども、命令に背く事が難しいのも事実なのだ。

 皇帝としての命である以上、それに背けばスヴェンもウルリーケも、ひいては枯れ谷の住人達まで謀反人扱いされかねない。

 どうすれば、どうすれば……。


 問いだけが空回り、内を複雑に絡みあった様々な想いが綯交ぜとなり支配する。

 ウルリーケは、思索に耽り過ぎていて。集中しすぎていて、気付けなかった。


 ――音を殺すように静かに部屋の扉が開かれたことに。


 気付いた時には、足音を消して駆け込んできた何者かがウルリーケの自由を奪い、口元を押さえていた。

 一瞬何が起きたのかわからなかったが、自分が何者かに囚われているのだと気付くともがき始める。


「お静かになさいませ。……怪我をしたくないのであれば」


 耳元で低い男の声が聞こえた。

 ウルリーケはその声に聞き覚えがあった。……昼間に、応接間にて聞いた声だ。

 使者として正面から訪れた男達が、今自分の部屋に侵入してきたのだと気付いて愕然とする。男達は追い返された筈だ、何故ここに居るのかという疑問がウルリーケの裡を巡る。

 帰ったと見せかけ城の死角に潜んでいたと言う事には、気付く事ができなかったが……。

 菫の瞳に驚愕と恐怖を宿して動きを止めたウルリーケを見て、使者であった男達は笑っている。


「皇帝陛下から『大公が頷かないようであれば妻を盾にしてでも言う事を聞かせろ』……と」


 捕らえられたウルリーケの正面に立った男が、顔を歪めて告げた。

 恐らくこの男が首領格なのだろう。せめてもの抵抗として男を睨みつける。

 皇帝がそのような愚かな命令を下したという事に言葉を失う。


 男によれば、皇帝は最近機嫌があまりよろしく無かったという。

 理由は、最近何かとギーツェンと枯れ谷の事が帝都でも話題になっているからだという。

 ギーツェン城が美しく蘇った事、そして枯れ谷の荒れ野が賑わいつつある様は人々の口にスヴェンの名と共に上っている。

 荒れ野を蘇らせるなど、まるでライナルト帝のような見事な手腕であると讃える者達までいるらしい。

 皇帝は、それが面白くなかった。

 だからこそ、少し『立場』を分からせてやらねばなるまいと思っていた。

 そこに、スヴェンのもとに幻の花が見いだされたという知らせを聞いて、皇帝は使者と選んだ者達に密かに乱暴な命令を下した。


 男は、更に悪意のある笑みを浮かべながら続ける。


「皇后陛下からは、言う事を聞かないようなら手荒な真似をしても構わないと許可を頂いております」


 ウルリーケは、更に凍り付く。

 皇帝がその命令を下した事を、母は知っているのだという。

 その上で、ウルリーケの扱いについて命じたのだ。言う事に背くなら、娘がどのような目にあっても構わないと。


 ああ、とウルリーケは裡にて小さく呻いた。

 それが、母の意思であり、選択なのだ。

 何よりも自分の意思のままに全てがある事が大切な、あの人の意思……。


 呆然とした様子で動きをとめたウルリーケに気を緩めた男だったが、次の瞬間に悲鳴をあげた。

 何故なら、ウルリーケが男の手に思い切り噛みついてやったからだ。

 痛みに悲痛な呻き声をあげながら緩んだのを察して手を振り払い、身をよじって逃れた。

 スヴェン様の足手まといになんか、なりたくない……!

 ウルリーケはその一念で、戒めから逃れると棚にあった花瓶を男めがけて投げつけた。

 花瓶は男達の一人にあたり、鈍い音がしたかと思えば、次の瞬間には落ちて甲高い音を立てて砕け散った。

 手当たり次第、投げつけられるものを投げつけながら、ウルリーケは男達から逃れようとする。

よけきれずに顔面などで受け止めてしまい苦痛に呻く男達を背に、ウルリーケは入口へと駆けだした。


 いや、駆けだそうとした。


 そちらへと足を踏み出した瞬間、強い衝撃がウルリーケの身体を襲う。

 そして、気が付いた時には部屋の壁から崩れ落ちるようにして、その場に倒れ込んでいた。

 男達の一人に殴り飛ばされ自分は壁に打ち付けられたのだと気付いたのは、痛みに身動きを取れぬまま崩れ落ちた後だった。

 騒ぎの振動で転げ落ちたのか、人形が破片を零しながら床に転がっているのが見えた。

 強かに身体を打ち付けたウルリーケは息を求めるようにして呻きながら、それでも男達を睨みつけている。


「聞いていたより、随分とじゃじゃ馬な姫君だ」


 有名な『寝取られ姫』。母親に夫となる筈だった相手を奪われても何も言えず逆らえない。

 実に大人しいという話であったのにと嘲笑う男たちを、ウルリーケは睨みつけ続けた。

 痛みに悲鳴をあげる身体が思うように動かせない。いいように笑われるしかできない、抵抗する事も出来ない状況が悔しい。

 屈してなるものかと思うけれど、一矢報いてやる事すら出来ない……!

 尚も諦める様子を見せないウルリーケを見下ろしていた男は、呆れたように息を吐くと背後へと命じる。


「面倒だ……縛ってしまえ」


 簡素な命令に、応えはない。

 二人が動き始める様子も、答えを返す事もない。

 不審に思った首領格の男が振り返り叱責しようとした。


 ――しかし、振り返った先にあったのは鋼の切っ先だった。


「……俺の妻に、何をしていた……?」


 聞いた者の魂を凍えさせるような、恐れを呼び覚ますような凍てつく声音だった。

 男が震えと驚愕を以て見つめる先。

 そこには、銀色の髪と瞳のギーツェン大公が居た。

 端整な面に滾る激情を露わにしながら抜き放った剣をつきつけ、殺意を叩きつけるように向けながら。

 触れれば切れるのではないかと思う程に鋭く険しい眼差しのスヴェンは侵入者に問う。

 その意思一つで、突きつけられた剣は男の首を跳ね飛ばすだろう、と思う。

 これほど激したスヴェンを見た事がない、とぼんやりとした感覚のままウルリーケは思った。


「一言でも発してごらんなさい?」

「お前らが声を出すより先に、喉首掻っ切るからな」


 フィーネとフェリクスもまた、それぞれに不思議な武器を構えて、他の二人の侵入者の動きを封じている。

 恐らくこの男達はウルリーケの抵抗に気を取られすぎていたのだ。

 その間に、スヴェン達がここへ来てくれた。

 諦めたくないと力の限り足掻いた事が無駄ではなかったと知り、思わず安堵の息を吐く。

 息をすると同時に痛みも改めて感じたけれど、もうどうでも良かった。

 スヴェンが来てくれた。それだけが、今のウルリーケにある全てだった。

 スヴェンの気迫に飲まれた首領格の男は言い訳を口にする事もできぬまま、彫像のように固まってしまっている。

 一言でも迂闊な言葉を発すれば間違いなく己の命はないと本能的に悟っているようだ。

 そこへ、城の男手たちが血相を変えて集まって来た。

 何が起きたのかと驚愕しながら集まって来た男達は、スヴェンに命じられるままに侵入者を拘束する。

 不当な侵入者たちは、主の妻に怪我を負わせた事に対して殺気立っている男達に引きずられるようにして部屋から連れ出されていく。


 スヴェンに抱き起こされ、ウルリーケは漸く息を大きく吐き出した。

 詰まるようだった胸に空気が満ちていく。少し落ち着いた気がした瞬間、身体が軋むように痛みを訴える。

 思わず呻いてしまったウルリーケをスヴェンは慌てて抱え上げフィーネとフェリクスも慌てて手当の用意をと慌ただしく駆けだしていく。

 ややあって、手当出来る傷の手当は終わり、ウルリーケは寝台へと横たえられていた。

 明日の朝いちばんで医者を手配することになったらしい。大丈夫だとは思うと言ってみたものの、真剣な面持ちの三人に却下された。

 傍には心配そうな面持ちのスヴェンが座っている。

 ウルリーケの手を握りながら様子を伺うようにずっと見つめている。些か面映ゆくなってくるほどにまっすぐに。

 室内ではウルリーケが投げつけて壊してしまったものを、フィーネ達が手早く片付けている。面倒をかけてしまったと思いつつも、ウルリーケには気がかりな事が一つあった。


「……あの男達のこと……大丈夫でしょうか……」


 捕らえられた侵入者たちの事である。

 あれは、仮にも皇帝からの使者である。

 皇帝の命を受けてきた人間に縄を打って捕らえたとあっては、皇帝に対する叛意を取られるのではないか。

 ウルリーケが口にした心配を、スヴェンは一つ息を吐いて首を振る。


「不法侵入の挙句に大公の妃に狼藉を働いた。その場で首を落されなかっただけマシな行いだ。それに……」


 実際に皇帝が妻を盾にしろと命じたとしても、それが公になった場合顰蹙を買うのは避けられない。

 如何に皇帝の権限が強く専横が許されているとはいえ、仮にも大公の位にある相手の妻、しかも戦う力を持たぬ婦人に危害を加えるのを良しとしたとあれば眉を寄せる者も多い。

 それは皇帝に対しての逆風ともなるし、咎めるどころか我が子への加害を容認した皇后への非難にも繋がる。

 恐らく使者が勝手に命令を曲解して暴走したとでもするだろう。

 スヴェンは呆れた様子で溜息を交えつつ、そう語った。

 それなら良いのですが……と力なく呟くウルリーケの見つめる先で、フィーネが床に落ちた人形を拾い上げていた。


「ヴィルヘルミーネ様の人形が、壊れてしまいました……」

「仕方あるまい。……お前が無事だったなら、それでいい」


 陶磁器の人形は衝撃にて皹入り、破片を散らばせていた。

 スヴェンは慰めるように言ってくれたけれど、ウルリーケの心の暗雲は晴れない。

 修復する事は叶うのだろうかと顔を曇らせながら見つめていると、フィーネが驚きの声をあげる。


「スヴェン様……! ウルリーケ様……! 人形の中に、何かが……!」


 驚愕の表情でフィーネは二人のもとへと壊れた人形を差し出した。

 確かに空洞であった筈の陶器の肌の中には、何かが潜んでいた。

 スヴェンが受け取り、慎重に中から何かを取り出す。


 ――それは一通の手紙に包まれた、天鵞絨の小箱だった。


 怪訝そうな表情でその手紙を見ていたスヴェンは、封筒に記された名前を見て目を見開く。

 そして、呻くように呟いた。


「……ヴィルヘルミーネ皇后……母上の、手紙だ……!」

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