灯り行く明り
それから暫くして。
枯れ谷の村へ、染料の取れる花を求めて商人や業者がひっきりなしに訪れるようになった。何でもその染料による紅色が帝都のご婦人方に大流行しており、めっきり品薄になってしまったのだという。それが、この村で手に入る事を噂で聞いてやってきたという話だった。
ウルリーケの命令とはいえ、彼らにとっては雑草でしかないものを「村で管理できるように囲い込みをしておくように」と言われ不思議に思っていた村人たちは、更に不思議そうな顔をする事になる。
商人たちは彼らが雑草と思う花に驚くほどの高値を提示してきた。
抜け目のないフィーネが補助につき商人たちとの交渉を行い、染料の元は無事に村の収入源となった。
商人たちとのやり取りを賑やかに行う者達を遠くから見つめていたスヴェンは、首を傾げてウルリーケに問いかける。
「皇宮に何かを送ったのは知っているが……。何をしたんだ?」
問われ、ウルリーケは一度目を伏せると盛大に溜息を吐く。結果が良いものとなったとはいえ、気の進まない手段であった事は確かだからだ。
もう一度溜息をついたのち、ウルリーケは答えを紡ぐ。
「……皇后陛下を餌にさせてもらいました」
「どういう事だ?」
更に怪訝そうな表情をしたスヴェンに、ウルリーケは静かに説明した。
ウルリーケは、花からとれた染料で染めた絹地を母に贈ったのだ。
『ギーツェンで見つかった、花からとれた希少な染料で染めました。美しい紅色ですので、華やかなお母様にこそお似合いだと思いまして……』と添えて。
何故なら、デリアがあの系統の鮮やかな色を好んでいたからだ。そこに『希少な』という言葉を添えたなら間違いなく食いつくと思った。伊達に十八年も一緒に居たわけではない。
聞いた話によると、デリアは得意満面で最近妙なる紅色のドレスを纏って宮廷や社交の場に現れるらしい。
あまりにも予想通りにいきすぎてウルリーケは若干苦笑する。
……恐らく私が頑張って育てた甲斐があって、嫁げたことに感謝した娘が贈ってくれたのです、と大分誇張した美談と共に語られているだろうとは思うが。
今や母は皇后という帝国第一の女性の地位にある。その女性が好んで身に着けるとなれば多くの貴族の女性達、それに続く階級の女性達もこぞって真似をしたがる。
それは単なる人真似では、と思えば些か馬鹿馬鹿しい気もするけれど、流行とは大概そうして作られるものである。
恐らく母の本心では自分一人だけの色にしたいと思っているだろうが、表向き慈悲深い貴婦人を装っている以上それはできまい。
流行の移り変わりの間隔と階級を越えての連鎖の速度を考えれば、今年の冬を越せるぐらいの蓄えを贖うに足りるだけのものとなるだろう。
場合によっては、麦や作物の収量が確保できるようになった後も、これはこれで産業となり得るかもしれない。
「母親を利用してやるとは、強くなったな」
苦笑交じりに言うスヴェンの表情は優しい。
ウルリーケが母という存在に怯え、その意のままに振舞う事しか知らなかった事を知っているからこそ、猶更そう思うのだろう。
ウルリーケは、己の内に問う。
強くなれただろうか。
そうだとしたら、それは優しく笑うこの人が居てくれるからだ。
けれど……。
もし母を目の前にしたら、今のように平静を保って話せるだろうか。
母に対して、毅然として在れるだろうか。
その答えを今は出す事が出来ない……。
思案するウルリーケを黙して見つめていたスヴェンは、明るい声音で再び口を開いた。
「お前にかかれば、この『枯れ谷』の荒れ野も宝の山だな」
「この土地が、不思議なのです。……本来であれば荒野は存在しないはずのものも、どこから流れてきたのか……」
それは謙遜ではなく、ウルリーケの心からの疑問だった。
そうあの林の樹々にしろ、見つかった様々な花や植物にしろ、荒れ地に自生するはずのないものだった。
染料になった花とて、他の大地では中々根付かない故に希少だったのだから。
何処からから流れてきたという感じではない。それならここに来るまでの道のりでそれらしい軌跡を見る事が出来たはずだ。
しかし不意に現れ、この荒れ野にだけ存在している。そんな印象を与える植生なのだ。
誰かがわざわざ持ち込んだのか。或いは、元々それらがあるような土地だったのか――。
「他の人間が見過ごしていた物が実は価値あるものだと見出したのは、間違いなくお前だ。それは誇っていいと思うぞ?」
思案に沈みかけたウルリーケを、スヴェンの言葉が呼び戻す。
我に返ったウルリーケは、今度はスヴェンへの疑問を抱きながら彼を見つめた。
美術品を売ってしまって本当に良かったのか、とウルリーケの表情は告げていた。
小ギャラリーの品以外にも、追加で幾つか城から美術品や宝飾品が消えたのをウルリーケは気付いている。
それを追加の資金としてくれた事も、勿論……。
察したらしいスヴェンは、優しい笑みを浮かべたまま告げた。
「変わらないものは、確かに美しい。移ろわないからこそ、それは永遠だ。……そう思っていた」
人も、人の心も移ろうもの。その勝手に翻弄され傷ついて、結果としてそれらを疎んじて遠ざけた。
変わらぬ輝きを留めるものだけに価値を見出して、周囲を変わらぬものだけで固めた。
それが自分を守る為に正しいと信じていた。そうして自分は生きていくのだと思っていた。
けれども、今は。
「人の心も、移ろうものだからこそ。それが自分に向けられる瞬間が、愛しいと思うのかもしれない」
変り行くものだからこそ。
今、そこにあることが。自分に向けられているという事実が、尊い。
閉じていた歪な世界が開かれた今はそう思う。スヴェンは穏やかな声音で語った。
「その刹那こそが心に焼き付いて離れる事のない、本当の永遠なのかもしれないと今なら思える……」
その刹那こそが、真実に永遠――。
呟いたスヴェンは、ウルリーケを抱き寄せた。
頬を赤く染めながらも、ウルリーケは抗う事無くスヴェンの腕の中に納まる。
見上げる眼差しの先、銀色の瞳に優しい光を宿してスヴェンはウルリーケを見つめ返している。
「だから笑ってくれ、ウルリーケ」
覗き込みながら紡がれた言葉に、ウルリーケは軽く目を見張って。
やがて、はにかみながらも心からの笑顔をスヴェンへと向けた。
少しばかり吹き行く風が冷たさを帯びてきた頃だった。
けれど、ウルリーケの心にはけして消える事のない温かな光が灯ったのだった。
その温もりを何と呼ぶのか。
その答えはもうウルリーケの中に、そしてスヴェンの中にあるのだと、少女は思うのだった……。
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