大地と共に生きる為に

 ウルリーケは城に戻り、通いで村に訪れる事になった。

 やってくる技師の居住用に提供できるのが、ウルリーケが滞在していた空き家しかないというのもあった。

 しかし、それ以上にスヴェンが渋い顔をしたのだ。

 自分が馬で送ってやるから戻って来い、そうしないなら自分も村に留まってやる。

 不貞腐れた子供のような顔でそのような事を言われたらウルリーケも従わないわけにはいかないし、周りもそうしてくれと冷や汗を流していた。

 城の庭園の世話もあるし、フィンストーゼの状態も気がかりだった。

 召使たちの中でも庭園を世話してくれる人間が現れたとはいえ、自分で手がけた以上は放り出したくない。


 フィンストーゼが無事株分けされ、次なる花期へと向けて眠りについた頃。

 遥かな道のりを経てやって来た技師は、亡き父と親交のあった男性だった。

 ウルリーケとひとしきり父を懐かしみ、言葉を交わした後、彼は早速村の土壌や水辺との位置関係などを調べ始めた。

 そして、これはやりがいがありそうだと不敵な笑みを浮かべた。何でも、障害があるほうが燃える性質という事である。



 水に関する問題は技師におまかせして、ウルリーケは土壌の問題に取り組み始めた。

 村の周辺の土地は、水はけが悪い事に加え、通気性もあまり良くない粘土質の土だった。

 しかし、それは裏返せば保水力と保肥力が高いという事でもある。短所を長所に変える事さえできれば、安定した収穫が見込めるようになる可能性はある。

 それには、土壌を改善する為に色々なものが必要となっていく。

 帝都の市場から肥料を購入してくるのは容易いが、当然無料では無いうえに、場合によっては足元を見られる可能性がある。

 村人の話によると、一度そのような相談を帝都の商人に持ちかけたところやはりそのような目にあったという。

 そうなれば、自力で作るしかないという話になるが……。


 そこでウルリーケが目をつけたのが、村の近くに広がる林である。

 本来、寒冷な土地にある樹でないので気になってはいたのだ。

 樹々はまるでかつてあった何かの名残のように、小規模とはいえ身を寄せ合って林を為していた。

 ただ、人が立ち入った形跡らしきものはない。

 何でも、あの木は不吉な木だからと人々が近寄りたがらないのだという話である。

 この木は赤い美しい実をつけるのだが、その実を食べた子供が中毒を起こして亡くなった事から村人たちは林を忌避していた。

 ああ、とウルリーケは頭を押さえる。赤い実は少量であればまだいいのだが、多量に食したり、食べたのが子供であったりすると害となってしまう筈だ。腐敗を防ぐ作用があるので、時として保存の為の薬品に使われるという話も父の冊子に記されていた。腹をすかせた子供たちには、恐らくつやつやと輝く赤い実は美味しそうに見えてしまったのだろう。

 ウルリーケは、そのことに加えて樹々は生木の状態では役に立たないが乾燥させれば燃料にいいのだと言う事を知っていた。

 しかし、ここで重要なのは木が落した葉である。

 落ち葉からは良い肥料が作れるのだ。

 城の大量の落ち葉は天然の肥料を為し、廃庭園の土へと栄養を与え続けていた。だからこそ庭園の土は比較的状態を守り続けていた。

 林に誰も入らなかった事が幸いした。落ちて積り続けた葉が図らずも肥料を産み続けていたのだ。それを聞いて驚いた村人達だったが、すぐさま荷車などを持ってきては林の土を運び出し始める。


 同時に、ウルリーケは商人たちに手に入るのなら貝殻を手に入れて欲しいと頼んだ。

 スヴェンは飾り物でも作るのかと不思議そうな様子だったが、ウルリーケはそこから土の栄養を調整するもの作れるのだと答える。


 村には少なくなってしまったが、まだ家畜が居る事にもウルリーケは目をつけた。

 家畜の糞もまた優れた肥料であるが、ウルリーケがそれを提示し実行しようとすると全力で村人たちに止められた。

 自分達がやります、教えてくださればやります! と必死な村人たち。フィーネは顔色を変えて、ご領主さまの奥方だという事を思い出してくださいと頼み込んでくる。

 あまり気取っていたくないが、気にしなさすぎるのも問題なのか、と思わず内心唸ってしまったウルリーケだった。


 ウルリーケは村の周辺の荒れ野に、もう一つ光明となり得るものを見出した。

 沼地に薬草を見出した時にもしやと思っていたが詳しく調べてみたら、一帯には泥炭が形成されていた。

 生息していた水苔が炭になりかけた最初の段階と言えるものだが、これを土に梳き込むと実に土を柔らかく膨らませてくれる。

 しかし、そこである騒動が起きてしまう。

 沼地の泥炭を採取するのに自ら出ていったウルリーケが、何と足を滑らせて沼に落ちてしまったのである。

 すぐさま助け出されたものの、当然ながらウルリーケはすっかり水草まみれの濡れ鼠。

 蒼褪めたフィーネは慌ててウルリーケを物凄い勢いで風呂に入れるし、事態を聞いて飛んできたスヴェンにとても怒られた。

 次に同じような事が起きたら、暫く村におりるのは禁止すると目が笑っていない笑顔で言われてしまい、ウルリーケはひきつりながら頷くしかなかった。


 ウルリーケは、村人たちと協力してある物で、今の環境で、収量を増やす為に出来得る限りの事をしていった。

 手に入ったものによって土を改善する以外にも高畝を作り根が育ちやすくするなどの工夫をして苗を植えていき、丈夫かつ安定して育ってくれるように願う。

 何故に貴族の姫君がここまで土地を改良する術に詳しいのかと、村長が感心したように呟いた事がある。

 ウルリーケとしてはその言葉は亡き父に向けたいと思う。

 何故なら、ウルリーケの知識は全て父から教わった事だったから。そして、亡き父の遺した冊子に記されていた事を実行しただけだったから。

 皇宮の庭の責任者であった父の知識は庭園の管理に留まっていなかった気がする。

 秘された庭にも、観賞用とは言えない花や植物があった故であろうか。

 それが何故であったのかは、今ではもう知る術がないのだけれど……。


 村の農作地に少しずつ緑が戻っていくにつれて、村の活気も、人々の笑顔も増えていく。

 今年の冬は越せないだろうと皆絶望したのだと、村長は語った。

 村は変わりつつあるのだと、気難しいはずの壮年の男は目を細めて柔らかい声音で呟いた。その変化を嬉しく思うウルリーケではあったが、胸の内から気がかりが消えたわけではなかった。

 これから冬までの間に収穫できるだろう作物で、厳しい枯れ谷の冬に備えるには心もとない。

 スヴェンが資金を投じてくれたから、改善案には着手できるようになった。

 その資金を回せば冬越えは可能だろうが、状況の改善に回せる資金は当然ながら減る。

 この大地に適した麦の種を作り出すには、まずその親となる様々な苗を集めなければならない。しかし、集めたとしてもすぐに新しい種が作れるわけではないなら、それまでの間は麦の入手方法を考えなければならない。

 つまり、スヴェンによらぬ資金を作り出す必要がある。麦と代える値のある何かを生産する事が求められる。

 一つは化粧品用の薬草の流通の確保。これはスヴェンの口添えがあり、ほぼ定まりかけ居る。だが、もう一つ二つは備えが欲しい。

 何かないかとウルリーケは目の前に広げた幾つかの草を見つめる。

 徹底的に周辺を調べた結果、新たに見つかったものを机の上に並べていたのである。

 その中に、ある花があった。

 乾いた土でも頑丈に根を張り育つこの花は、棘が多くて扱いに難儀する。さして目を引く程美しいわけでもいい香りがするわけでもない。それこそ、放っておいてもこの土地では勝手に増える、荒れ地の村人にとっては珍しくもなんともない雑草である。

 だが、この花からは鮮烈な赤い色が取れるのだ。紅に黄色の雫を一滴二滴たらしたような微妙な、それでいて不思議で華やかな色合いではある。

 ご婦人に好まれそうな色ではあるが、それだけでは今一つ需要が見込めない。

 何とか需要を作り出す術はないかと思案し続けるウルリーケ。

 美しい色なのだ。多分社交の場においても映えるだろう。派手だと顔を顰める人もいるだろうが、このような華やかな色を好む女性は多いと思う。

 それこそ、ウルリーケの母もそうで……。

 そこでウルリーケはふと動きを止めた。

 そして、そうだ、と目を瞬いた。この方法ならば或いは……。

 正直に言うと、気が進まないというのはある。だが、背に腹は代えらえないし、試せる手は試したい。

 ウルリーケは大きく溜息をつくと立ち上がり、次なる行動に移った。


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