枯れ谷の人々

 その日朝食を終えて早々、ウルリーケは双子と二人の護衛を連れて村へと降りることとなった。

 スヴェンは何か言いたげだったが、結局は許してくれた。

 ただけして無理はしないように、少しでも何か危ないと感じたらすぐ帰るようにと繰り返していた。

 城と村はそれほど離れていない。実際、城に仕える人間の多くは村の人間である。

 しかし、それにも関わらず村と城との精神的な距離とも言えるものは大きく隔たっているように思える。

 基本的にスヴェンは領地に関してはほぼ干渉する事なく、村はほぼ自治領と言える状態だった。

 領地に住まう権利と引き換えの最低限の税は徴収し、有事の対応は行う。しかしそれ以上は求めず、また与える事はない。

 領主として何か命じる事はほぼ無い代わりに、領主からの庇護もほぼ無い。

 税収と呼べるほどの税収はなく、国も枯れ谷からの税収についてはほぼ諦めており口出ししてこないという。


 なお、ギーツェン城を支えているのはスヴェンの母ヴィルヘルミーネの実家の当主から受け継いだ遺産と、大公の称号と共に与えられている年金であるらしい。

 これで野心の一かけらでも垣間見せれば皇帝にとってはそれなりの脅威となったとは思われる。

 しかし、スヴェンはギーツェンに引き篭もったきり一度として帝都に赴いた事はなく、皇族として公の場に出ることもなかった。

 完全に世捨て人に近い状態の甥を、皇帝は税収の見込めぬ領地ごと放置する事にしたらしい。


「ウルリーケ様、仰る通りに簡易かまどと鍋も用意しましたが……。これは……」


 フィーネの戸惑いを含んだ問いかけが聞こえる。

 ウルリーケはフィーネに村にいくにあたって、まず簡易かまどと鍋と簡単な調理器具を用意して欲しいと頼んだ。

 それに、着替えとある程度の保存食料も。

 ウルリーケは村にて何をするつもりなのか、と付き従う者達は首を傾げる。

 炊き出しでもするのだろうか。それでは道具も食材も少なすぎる。

 複数の疑問の眼差しを受けて、ウルリーケは視線を広がる荒れ野の方へ向けながら呟いた。


「村に入る前に、確かめたい事があります」




 ウルリーケ達が『ある目的』を果たして村に到着したのは、昼を幾分過ぎた頃だった。

 領主の妻が来訪したということで、村の長である壮年の男が出迎える。


「これはこれは、領主様のお妃様。村に何かご用事でも?」


 形だけは礼をとっているものの、慇懃無礼とはまさにこういう事をいうのだな、と思ってしまった。言葉は拒絶していない。しかし、その纏う空気がウルリーケ達の訪れを完全に拒もうとしている。

 それは、彼の後ろにいる村の人間達とて同じ事だ。

 何をしにきたのか。いつもは省みる事などないのに。そんな心の声が聞こえてくるような気がする。


「見ての通り、碌なおもてなしの出来る状態ではございません。自分達の食べる分を確保するだけで手一杯な状態ですので」


 村の長は村の中を、そして遠く離れた場所に広がっている畑を大仰に示して見せる。

 今の季節であれば少しばかりでも緑が拡がっているはずの場所は、乾いた土色に染まっていた。

 春先にあった大嵐のせいで、種苗の大部分が流されてしまったという。残ったものもそのまま根腐れを起こしてしまい、無事なのはごく僅か。

 それを汲んでスヴェンからは今期の税の徴収を免除するという触れがあったが、それだけだと村の長は言った。

 収穫の恩恵には預かれない。今年食べる分を工面出来たとしても、来年の為の種がない。

 彼らには種を他から工面するだけの金はない。植える土が何とか改善したとしても、そこに蒔くものがないのだ。

 ひしひしと突き刺さる悪意を感じる。

 今まで自分達の苦境を見ぬ振りをしていた城主の妻が、何をしにきたのかと彼らの視線は訴えている。

 向けられる隠される事のない悪意に、ウルリーケは思わず立ちすくみそうになる。

 多分、帝都に居た頃のウルリーケだったら……あの閉じた『世界』のままのウルリーケだったなら、耐えきれずに逃げ出していただろう。

 けれど今は、自分には守りたいと願うものと、叶えたい願いがある。


「その、食料の事でお話にきました」

「お城の食糧庫でも解放して下さると? この人数に?」


 明確な嘲笑と共に言った村の長に対して、フィーネ達が気色ばんだのが分かる。

 そんな事が出来る筈がないだろう、と挑発しているように見える。いや、実際されているのだろう。

 ウルリーケは二人を制して、手にしていた袋からあるものを取り出した。


「それは、そこらに生えている雑草じゃないですか……」


 困惑の響きが長の言葉に滲む。

 確かに、ウルリーケが取り出したのは村を取り巻く荒れ野に自生する植物の一つであった。ただし、地上にある茎の部分だけではなく、何故か根まで掘りだした状態の。

 ウルリーケは、草の根元で大きく塊をなした根を示して告げた。


「この根茎は、食べられます」

「え……?」


 ウルリーケの言葉に、初めて村長の顔に戸惑いと驚きが生じる。

 それを見つめながら、ウルリーケは更に言葉を続ける。


「煮込み料理などにして熱を加えると甘くて美味しいのです。それに、見た目は武骨ですが栄養に優れているのです」

「こ、こんな荒れ野に勝手に生えている草の根っこが……?」

「村の外にいくらでも生えている草じゃないか……」


 実際にフィーネが茹でたものを村の長達に差し出すと、恐る恐る彼らはそれに手にとり口に運ぶ。

 そして驚愕に目を見張る。中にはうまい、と思わず呟く者もいた。

 どよめきが広がっている。それはそうだろう、ただの雑草と思われていたものが食べられる上に味が悪くないと知ったのだから。


「乾燥させてから挽いて粉にすればパンも焼けます。腹持ちもいいし日持ちがするので糧食として取り入れている国もあるそうです」


 皇宮の秘された庭では観賞用として育てられていたが、元々は荒れた土地に群生する悪天候や栄養不足に強い種なのだ。

 父は、これは本来救荒植物として扱われて居た筈だと言っていた。

 あの日、馬に揺られて城へ赴く途中にこの草の存在に気づいた。

 見かけた特徴のある花に「あれはもしや」と抱いた疑惑を、村に訪れる前に周辺を探索する事によって確信に変えたのだ。

 実際に食べられる事を示す為に、その場で茹でてウルリーケも食している。

 ウルリーケは、今度は葉を示しながら更に続ける。


「なお、葉は怪我の炎症止めにも効果があります」


 村の長は絶句してしまっていた。

 多分、気まぐれの情けを施しにでもきたのだ。所詮一時の慰め、貴族様の道楽の一つだ。

 どうせ情け深い自分に酔いしれたいだけ、そんなもの追い返してしまえと思っていたのだろう。

 その意思は、隠す事のない拒絶の意思に表れていた。

 しかし、その予想を覆して、ウルリーケは村の周辺に自生するものから、彼らの状況を改善し得るものを見出し提案してきた。

 何かが違う、そんな戸惑いが村長や村人たちに広がっていく。

 そんな彼らを見つめながら、ウルリーケはまた違う何かを袋から取り出して彼らに示す。


「それと、この草ですが……」

「それは……沼の岸辺に生えている雑草では……」


 村の近くにはけして大規模ではないものの沼地がある。そこに自生していた植物である。

 高い背丈と不思議な形の花が特徴の草は、彼らにとっては見慣れた、特筆する事もないものなのだろう。

 しかし。


「これは、帝都では手に入りづらいと高値がついている薬草です」


 ウルリーケの言葉に、一際大きなどよめきがその場の人々から上がる。

 俄かには信じがたい事実である。だって、それは彼らにとっては珍しくも何ともないものだから。

疑うように皆はウルリーケを見るけれど、彼女の表情には一切の嘘や誤魔化しは存在しない。


「あの、勝手に生えている草が……?」

「美肌効果がある薬草なのです。主に貴族のご婦人達が競って手に入れようとする美容液に欠かせないものなのです」


 美肌効果と聞いて女性達が色めきだったのは気のせいではない。

 ウルリーケもこの草がやはりそうだと確信した時には驚いた。

 需要が非常に高いこの薬草は生育条件があまり明らかになっていないため、自然に生えているのを見つけてはそれを使っている状態だった。

 今まで、何故か人の手で栽培する事ができなかった。だからその美容液は数が少なく、しかしその効果のほどは確かな為に上流の貴婦人たちが高い値を付けてでも求めていた。

 デリアもその一人だった。ウルリーケには「分不相応だから」と一度も使わせてくれた事はないが。

 それが、村の沼地近辺には群生していた。聞いたところによれば放っておいても毎年必ず生えてくるらしい。

 人の手がかかる事が逆に悪条件となっていたのか、はたまたこの荒れ野が生育に適した何かがあるのか。


「この薬草に関しては一定量を確保できたら、それに応じた麦の種と保存食を交換できるように交渉しました」


 出入りの商人の一人は薬用品の流通に明るい人間だった。

 この薬草の存在を知らせたところ大変に驚いており、もし量が確保できるのであれば是非取引したいと言っていた。

 美容液を生産している業者に渡りをつける手段もあるという。ギーツェン大公の名前があれば不当な値を付けられる事もあるまい。


「薬草の確保と、根茎の確保。それに恐らくこの近辺にはまだ手つかずの有用な植物があると思います。ですから……」


 驚く人々が完全に言葉を失ってしまっているのを見ながら、ウルリーケはひとつ息を吐き、そして決意をこめて口を開いた。


「暫く私はこちらの村にお世話になります! 外れの空き家をお借りします!」

「ウルリーケ様!?」


 悲鳴のような叫びがフィーネからあがる。フェリクスも同じ様に叫びこそしないものの蒼褪めてしまっている。

 少しばかり申し訳ないとは思うものの、ウルリーケは畳みかけるように続けた。

 ただの気まぐれや、一時の腰掛のつもりで取り組みたくないのだ。せめて少しでも状況が改善する事を願うのであれば、腰を据えてあたらなければならない。


「食料については自分の分は用意しました。皆さんの取り分を減らしたくありません」


 居並ぶ人々は、完全に呆気に取られてしまっていた。

 まあ、それなら……と狼狽えつつも村長が許可を出した事で、ウルリーケの表情は明るくなる。

 彼らの顔には動揺の色が濃い。ウルリーケの勢いに圧された感じはあるが、許可は許可である。

 ただ、自分の後ろで着替えや食料はこのためのものだったのか、とフィーネとフェリクスが愕然としているのを感じる。


「……スヴェン様に何て言うんだ、これ……」

「……荒れるわね、多分……」

「……ちゃんと、お手紙を書きます……」


 ウルリーケの意向を認めた手紙を持って、フェリクスが一度報告に戻る事となった。

 戦々恐々としていた二人の予想とは裏腹に、スヴェンからはフィーネが拍子抜けするほど呆気なく許可が降りた。

 まあ、若干空気は冷えたとはフェリクスが呟いていたが……。

 フェリクスによると、スヴェンは何やら忙しくどこかとやり取りを始めた様子だったという。

 くれぐれも身体にだけは気を付けるようにと少し過保護なまでにあれこれと心配する手紙がウルリーケへと届けられた。


 貴族の姫君で大公の妃であるお人が粗末な村の小屋で耐えられるわけがないと囁く者もいたようだ。

 けれども、ウルリーケはけして弱音は愚痴を零す事はなかった。

 村人と共に周辺を周り、食用や薬用になる植物集め、見出していった。

 最初の日は疑いの眼差しで様子を見ていた人々も、一日ごとに自分も……と加わるようになった。


 ウルリーケはまた、村人の相談にも根気よく答え続けた。

 村を悩ます風土病にはどの植物が薬となるのか。

 乳を飲む事が出来ない赤子にどうすれば良いか、声をあげて遊ぶ事もできない子供たちに少しでも甘いものを取らせてやるにはどうしたらいいか。

手に入る範囲で出来る限り栄養ある食事を皆が取れる方法を模索し、病を予防する術を探し、備えをするにはどうすれば良いか。

同時に、生き残った数少ない麦を少しでも丈夫に育つようにと、今の段階でも出来る簡単な処置を施した。

 何もないと思われていた荒れ野に自生する植物から、ウルリーケは問われた答えとなるものを探し出していく。

 村人はその知恵や技に驚愕し、徐々にウルリーケに対する態度を和らげていった。

 皆が皆、ここは何もない最果ての荒れ野と思っていた。

 帝都などに居場所を失くした人々が辿り着く流刑地にも等しい場所で、自分達はここで朽ちていくだけだと。

 けれど、やってきた領主の花嫁はまるで魔法でも使ったかのように、生きていく術に通じるものを見出していく。惜しみなく、荒れ野から幸を探し出す術を与えてくれる。

 冷たく閉じていた城と村を隔てる壁が、少しずつ彼女の登場で開いていくのを感じる。

 一人、また一人とそう語るものが増えていくのをフィーネとフェリクスは耳にしては口元に笑みを浮かべて視線を交わす。

 ただ、彼らが村長の様子を伺いながら、身を潜めるようにしているのだけは続いていた。



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