少女は更なる世界へと

 ウルリーケがスヴェンと過ごす事が増えるにつれて、庭園だけではなくギーツェン城そのものにも変化が生じてきた。

 控えめな主張ではあったが、ウルリーケはギーツェンの門からのアプローチが寂しい事に触れ、出来ればそれも手を入れたいと願い出たのだ。

 城が内に抱くようにして在る庭園だけではなく、人を出迎える表の庭とも言える場所も出蘇らせる事が出来たら、と。

 確かにスヴェンは、荒れ野そのままの姿で朽ち木や枯草を放置していた。

 それはとりもなおさず、人の訪れを拒むスヴェンの心の内を現わしたような光景だった。

 だが、スヴェンはウルリーケの言葉を受け入れ、城の表面、そして城全体の手入れをウルリーケに許可した。ウルリーケは驚いたものの、すぐに喜びを露わにして礼を言って図面を引いて計画を始めた。

 スヴェンやフィーネ達は驚きながらも称賛し、そしてすぐにその通りに実行できるように人を手配してくれた。

 城の下男たちだけでは足りないからと、当座の金を求める村の人間達を人手として雇い入れ、表庭の改修は進められていく。

 内の庭園から花が零れ出て城全体を満たしていくように、城の風景は変っていく。

 荒れ果てた灰色の光景から緑と彩の溢れる光景へ。人の立ち入りを拒むような凍てついた空気から、開かれた明るい空気へ。


 ギーツェン城はゆるやかに姿を変えつつあった。

 現実の寂しい辺境の城から、蘇ったおとぎ話の城へと。


 魔法にでもかけられたかのように、あまりに美しく劇的な変化だった。

 何を馬鹿な、と笑う村の人間もあったらしい。

 しかし、城の手伝いに雇われた人間の幾人もがそれを口々に語るのを聞いて興味を抱いた者達が見て驚き、それを帰って伝えて。

 何時しか村の人間だけではなく、出入りの商人たちの口にもギーツェン城の変化は話題として上がるようになっていく。

 商人たちの間では、ギーツェン大公が今は美術品ではなく園芸に関わる品を求めていると専らの評判となっていた。

 疑いを持っていた者達も、今のギーツェン城を見れば成程と納得するのである。

 その変化が先頃迎えたという妃の為だと聞いて、商人たちも村人たちも妃はどのようなお人であるのかと囁きあう。

 哀しい事にも辺境にまで『寝取られ姫』の逸話は伝わってきている。

 何かと評判の悪い『寝取られ姫』は随分と人を誑かすのがお得意なようだ。さすがあの皇后の娘だけはある。

 食べられもしない花に金をかけさせるなど、さすがお貴族様の道楽だ。

 そう噂しあう者達も居ると聞いた時、スヴェンは激怒して思わず立ち上がったが、当のウルリーケが止めた。

 それよりも、と真っ直ぐにスヴェンを見つめたウルリーケはある願いを口にしたのだった……。



 後日、執務室にて。


「随分悩まれていますね、殿下」


 思案顔のスヴェンに、不意に声がかかる。

 見れば書類のようなものを手にしたフェリクスが、苦笑いを浮かべて姿を現わしていた。

 ノックをしたのですが応えがなかったのでと言うフェリクスに、スヴェンは自分が随分と考え事に熱中していた事に気付く。スヴェンの表情に何かに対する懸念を感じたのだろう。フェリクスの表情は気づかわしげだ。


「ウルリーケが、村へ行きたいと言っている」


 フェリクスの眼差しを感じながら、スヴェンは深い溜息交じりに呟いた。

 それは、と従者が返す言葉に迷っているのを視界にとらえながら、スヴェンは続ける。


「……村の周辺の植物で、気になるものがあったらしい。予想通りだったら、村の食糧事情の改善になるかもしれないと」


 ウルリーケがヘルムフリートに連れられて荒れ野を来る最中、彼女は村の近辺に生える名もなき植物に目を留めていた。

 通り過ぎるだけだったので確信は持てないが、自分の予想通りであればあれは不作を補う救世主となり得るとウルリーケは一生懸命に訴えていた。

 それだけではない。ウルリーケが目をとめたのはその植物だけではなかったようだ。


「それに、ある草が村の資金源になるかもしれない……と言っていた」


 彼女はもう一つ、荒れ野に群生するある植物にも目を留めていたのだ。

 それが流通させる事により、村の財源となり得る可能性についてもウルリーケは触れた。

 だから、それらを確かめる為にも村に下りて事実を確かめてきたいと。


「ウルリーケにかかれば『枯れ谷』も荒れ野も、宝の園なのかもしれないな」


 スヴェンの元にやってきた花嫁の植物に関する知識は、恐らく皇宮や帝都の著名な博士らにも劣らぬものだろう。

 それは彼女の父の薫陶の賜物であるのだろうし、彼女自身のある意味貪欲な知識欲の賜物でもあると思う。

 何もない寂しき場所を、彼女は明るきものへと変え、新しき可能性を見出しつつあるのだ。


「ウルリーケ様は、もしかしたらこの枯れ谷すら蘇らせるかもしれませんね」

「ああ」


 フェリクスが感心したように言うと、スヴェンは微かに口元に笑みを浮かべながら頷く。

 少女は封じられ忘れられていた庭を蘇らせた。そしてそこから恵みが拡がりゆくように城そのものを蘇らせようとしている。

 自らの世界を失った少女は、この土地で新しい世界を得て、そしてその世界は拡がり行く。

 今や、彼女の目は、この城だけではなく所領の村にも向けられるようになっていた。

 荒れ地に住まう村人たちの生活が楽では無い事を手伝いに雇った者達から聞いているらしい。故に、自分が抱いた可能性が確かであれば、彼らを救えるのではないかと思ったのだろう。


 ただ、気がかりな事はある。


「だが……。村の人間は、恐らく……」


 その言葉を聞いて、村人との窓口的な役割を果たしているフェリクスの表情にも翳りが生じる。

 村人は、恐らく城を……領主であるスヴェンと、その妻であるウルリーケを良くは思っていない。

 直接接する事のあるフェリクスとフィーネはそれを知っている。交流を拒絶される事はないが、好意的でもないとのことだ。

 過剰に税を徴収しない代わりに、関わりを最低限に留めてきた自らの行動の代償と思えばスヴェンの胸の裡には苦いものが満ちる。

 自分の過去の行いがウルリーケの足枷となってしまう事が、今のスヴェンにとっては辛い事だった。


 それに、気がかりといえばもう一つ……。

 もう一つの気がかりは、蘇りつつある幻の花についてだ。

 今は株分けをして、数が増えるのを待つ段階にある。

 だが、もしもフィンストーゼの存在が帝都に伝わってしまったなら。

 あの皇帝とあの皇后が『幻の花』と呼ばれる程の花が蘇ったとして何も言って来ないはずがない。

 花を慈しむ故ではない。幻とうたわれるほどの存在は我が物としておきたいという虚栄心の塊、率直に言ってしまえばかなりの俗物だからだ。

 フィンストーゼは皇宮の庭にあるべきと主張して、今ある株を全部持ち去らないとも限らない。

 情報を今は伏せているが、本格的な栽培が始まったら……フィンストーゼの存在に触れる人間が増えれば、それだけ外に情報が伝わる可能性が増える。

 その時、スヴェンが取るべき行動は。

 彼女を守る為に、するべき事は……。


 黙り込んでしまったスヴェンを見つめつつ、フェリクスは言う。


「村に行くときは、俺と姉貴がご一緒させて頂きます。スヴェン様の御許可が頂けるなら、護衛にもう一人か二人を」

「構わない、連れていけ。……それに……」


 応えたスヴェンは続きを口にしようとして、それを飲み込むように一度口を閉ざす。

 そして、一つ息を吐くともう一度口を開いた。


「いや、何でもない。任せる」


 スヴェンが何を口にしようとしたのか、フェリクスは察しているようだった。

 時を止めた少年の姿をしたと男は気付いていた、スヴェンが何を願っているのかを。

 変り行くウルリーケを見守る事が、スヴェンに対しても明るい方向への変化をもたらしていた。

 ウルリーケの世界が開かれると共に、彼女の存在によってスヴェンの閉じていた世界も開かれた。

ただ、世界が広がるという事は良い事だけではない。良きものも悪きものも等しく起こり得る。

だからこそ、スヴェンは今願っている。自分が拡がり行く彼女の世界を守る存在であれたなら、と。共にあり、それを支える者でありたいのだと……。


 ――広がる『枯れ谷』の空に、雲一つなく高く澄み渡っていた。




 彩りに満ち満ちた花園にて、ウルリーケは空を仰いだ。

 抜けるような青空に、思わず目を細める。

 あの荒れ果てた面影は既になく、人々が驚き足を止めて見惚れる程に庭園は様変わりしていた。

 あの日、不安だけを胸に抱いて訪れた城。そして向けられた拒絶。

 見出した庭は、変り行くものを厭う彼の心であり『世界』を失い辿り着いた自分の姿でもあった。

 けれど、閉ざされていた庭は蘇った。

 勇気を出して外へと踏み出したウルリーケの手によって。そして歩み寄ってくれたスヴェンの意思によって。


 失われたと思っても、見失ったと思っても。

 手を伸ばしたそこに、それでも世界はあるのだと。きっと『それ』はもう一度探し出し、触れる事が出来るのだと。


 花開く数多の彩の中、ウルリーケはそう思っていた。

 修復された温室では、越冬が難しい可能性のある花々の育種を試みている。

同時に、寒さや干ばつに強い作物についての研究にも、ウルリーケは父に教わった事を元に取り掛かっていた。今はまだ準備段階に過ぎないけれど……。

 最近、村から農作業の合間を縫って村の人間が手伝いに来てくれる事がある。

 ウルリーケは作業を手伝ってくれた村の人間に、報酬の他に庭園で収穫した作物や薬草を持たせていた。

 殊に小さい子供のいる女達は感謝して受け取って帰っていく。

 本当であれば今は農作業が忙しい時期、人手は彼女らのほうが欲しい頃である筈だ。

 しかし、こうして作業を手伝いに来られる程に手を入れなければいけない農地は少なく、手伝いで日銭を稼ぐ必要がある程暮らし向きは楽ではない。

 一度だけ立ち寄った村で見た人々は、皆一様に俯き、暗い表情で訪れる人間を拒んでいた。

 『枯れ谷』に住まうのは、この城の人々だけではない。

 村の人間もまた、等しくこの土地に生きる存在であるならば。

 彼らが住まう大地を、もし蘇らせる事が出来たなら。

 この大地に住まう人々が笑顔で暮らせる日を現実のものとする事が出来たら……。

 もしかしたら、とても大それた高望みな事なのかもしれない。

 それでも、とウルリーケは思う。


 いつか、この谷が花と緑に満たされ蘇った時。

 その一面の花の中で、スヴェンと笑い合えたなら――。


 まだ戸惑い、悩む事があるけれど。不安を覚える事があるけれど。

 いつか、そんな時がきたら。

 私はあの人と共に、本当に『それ』を確かめ、知る事が出来るのかもしれない。

 この『枯れ谷』にて出会い、そして今紡ぐ想いが、そうなのかと……。


 ――少女が見上げる空は、彼女の世界のように果てなく広がり行くものだった。

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