嵐の到来

 庭園は三つの区画にて成り立つなかなかの規模のものだった。

 そして、ウルリーケの前には商人たちが度々持参してくれた花苗や若木がある。

 なんでも『偶々』持参していたという事だが……。

 闇雲にもらった苗を植えていけばいいというわけにはいかないし、苗にもそれぞれの特性がある。開花するだろう時期を考え、植える場所を考えてやらなくては。

 小道の煉瓦も出来れば見目を整えたい気もするし、壁や生垣、錆びついたアーチの手入れだって。

 そこまで考えて、流石に分を弁えなさすぎかと心配になる。

 スヴェンは確かに好きにしろとは言ってくれたが、ここまで徹底的にやっていいという意味ではなかったかもしれない。

 ある時、ウルリーケはやはり庭園に繋がるホールから歩いてきたスヴェンに思い切って聞いてみた。

 そして返ってきた答えは。


『好きにしていいといった。……それに、やるというなら半端に手を入れるのではなく、ある程度腰を据えてやれ』


 そう言って素っ気なく立ち去ってしまったが。何はともあれ、承諾は得られた。

 後日フィーネが城に仕える下男たちを連れてきてくれた。

 やはり力仕事をするのに男手があると有難いもので、彼らが大物の修復作業をしてくれている間、ウルリーケは土作りを試みる。

 そして思わず、不思議だ、と心に呟いてしまった。

 庭園の土が枯れ谷の名に反して枯れていない、とでも言うのだろうか。

 長らくの放置による栄養不足は感じられるものの、非常に花や植物の栽培に適した程よく塊を為した土であり、固すぎる事もなく柔らかすぎる事もない。

 帝都から土だけ運ばせたのか、それとも腕の良い庭師が根気よく荒れ野の土に手を加えたのか。


 いや、そもそもだ。

 枯れ谷は、その名の通り枯れ果てた風景の続く、乾いた固い土の荒野の果てにある渓谷だった。

 今も農作物の生育には厳しく、この地は殆ど税収らしき税収があげられていない、というのは出発前に聞いた話である。

 けれども、道すがら目にした辛うじて生き延びている植物の幾つかは荒れた土地に自生するものではなかったのだ。

 豊かな土壌にしか存在しない植物を見かけて、それでウルリーケは道中首を傾げていた。

 あれらは、管理されてない姿を考えれば、誰かが移植したとは考えにくい。

 まるで、かつてはそういったものが自然とあった土地だったのだ、という仮説が浮かんでしまう。

 脳裏に過るのは、枯れてしまった幻の花。

 おとぎ話を信じる子供のようだと恥ずかしい気がするけれど、ついついここがあの『花の谷』であったとしたら、と思ってしまう。

 その可能性を誰かに話そうとは思わない。けれど『もしも』を夢想するぐらいは許して欲しい。


 フィーネの呼び声が聞こえて、ウルリーケは思考を中断する。

 呼ばれて足を向けた先には、生き延びていた植物たちを避難させた場所がある。

 比較的土の状態と日当たりの良い場所に植え直され栄養を与えられた花々は、今では蕾をつけるに至っていた。

 それを目にして、ウルリーケは思わず笑みを浮かべる。

 思いを向ければ、何がしかの反応をくれる。それが厳しいものでも望んだものでなかったとしても、想いに応えてくれる。一方的なものではないことが、ウルリーケにはとても嬉しい。

 ふと、令嬢らしくも、大公の妃らしくもない、土に汚れたワンピースが目に入る。

 見っともないと大仰な溜息と共に呟く母の姿が蘇る。

 自分はいけない事をしているのだという責めの気持ちが生じかけたのを振り払うように頭を左右に振る。

 あのひとは、ここには居ないのだと自分に言い聞かせる。

 この城では、ウルリーケがこのような恰好をしていても誰も何も言わない。庭に居ても何も言われないし、恥じるように人目を忍ばなくてもいい。

 どこか頼りないような不思議な不安と共に、それと同じぐらい心が拡がっていく感覚を覚える。

 広い広い場所で、彼の人の言葉で皹入った亀裂ごしに見つめる先には籠に閉じ込められた昔の自分。

 そこに居た時には分からなかった事が、今では少しずつ。

 そして、もう一つ気づき始めている事がある……自分に応えてくれている、もう一つの存在に。

 ただそれは、今はまだ心の中に『もしかして』と浮かべるだけに留めている。一つ一つの事実がそれを示しているけれど、確かめる勇気がウルリーケにはまだ持てないのだ。

 ぽつり、と頬に水滴がひとつ落ちたかと思えば、それは次第に数を増やし、やがては地を濡らす雨となる。

 一時的なものだろうかと様子を見たものの、本格的に降り出してきてしまった為、フィーネに促されウルリーケは庭園を後にする。

 


 降り出した雨は徐々にその勢いを強めていき、次第に荒れ狂う風を伴うようになっていった。硝子窓を叩きつけるような横殴りの雨にウルリーケの表情は徐々に曇っていく。

 庭園の花々は大丈夫だろうか。支えはしてあるが、これだけ雨足も風も強くては……と思わず唇を噛みしめながら俯いてしまう。せめて、もう少し雨風を凌げるようにしてから引き上げてくれば良かったと後悔しても今更である。

 弱くなってくれるよう願う心を笑うように、雨は既に嵐の領域にある。

 空を覆い尽くす黒雲は心に何ともいえない不安を呼び覚ます。

 せっかく生き延びて、蘇った花々は、今はまだ万全の状態とは言い切れない。強い風になぎ倒されてしまうかもしれない。風に飛ばされてきた石に潰されてしまうかもしれない。

 ウルリーケの心の不安は、嵐が勢いを増すのに比例して強まっていく。

 握りしめた手に力が籠った、その刹那。ウルリーケの視界を、鋭い閃光が掠めた。

 それが雷であると悟った瞬間、にウルリーケは弾かれたように振りむいて。

 フィーネを呼ぶべきかどうかも迷う暇とてなく、ショールを被るようにして部屋外へと駆けだして行った。


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