September paramita
私がここに来て何年が経つだろう。
毎年この季節になると、妻や娘達は私の好きだった花を持って来てくれる。
高さ20m程、幅15m程の巨大な扉が一つだけある、真っ白なだだっ広い講堂に、この世界の住人達が集まる。
そこで、以前働いていた会社の女性社員を見付けた。確か、彼女は私より一回りは若かったはずだ。そんな彼女が何故ここに?
懐かしい顔を見掛けた私は、彼女に話しかける。
「やぁ、久しぶりだね─── 。まさか君がここに居るなんて驚きましたよ。」
久しぶりに見た彼女の顔は、最後に見た時よりも少しだけ大人びて見えた。外見だけで言うと、今の私とそこまで年齢が離れて居るようには見えないだろう。
「あ、先輩。ご無沙汰しております。──お元気でしたか?」
知った顔を見付けたからか、
「はは。この状態で元気なのかは分からないけどね。」
「あの、私、今日初めてで──。ただ、待ってるだけで良いのですか?」
「そっか──。そう言えば、結婚したんでしたっけ?お相手は藤中君──でしたよね?」
私が去る間際に、私の部下である藤中君と彼女が婚約したことを聞いていた。
「はい。そうなんですけど──。彼は来てくれるか分かりません。」
「え?」
「彼、あの後すぐに他の女の人と一緒になったみたいで──。」
彼女は自身無さげに、表情を曇らせ顔を伏せていた。
「でも、きっと迎えに来てくれるでしょう?───ほら、もうすぐ扉が開きますよ。」
彼女の背に手を触れ、扉の方へとそっと押し出した。
「──やっぱり来ていません。」
彼女は扉の外を見渡す。
確かに藤中君の姿は見えない。
「まだ、分からないよ。ほら、私の方も妻や子供たちの姿が見えない。いつも庭で育てていたアメジストセージを持って来てくれるんですが──。そう言えば、君は何故ここに?」
まだ、彼女の年齢は40代そこそこだったと思うのだが──。
「──覚えて無いんです。」
彼女はそう言うと、その場に座り込んでしまった。
「先輩は──毎年お迎えが来ているのですか?」
「そうだね。もう12年目になるのかな──。最初からここに来る覚悟が出来ていたから、お迎えもスムーズだったね。」
「そう──ですか。」
ふと彼女の顔を見ると、目尻を紅く染め大きな瞳を潤ませていた。
「そうか──君はまだ信じて居ないんだね。よほど突然に──。」
「はい─。気がついたら、この世界に来てましたので───。ただ、最後の一瞬を朧気に覚えてるのが───倒れ込んだ私を見下ろす彼の姿───。」
まさか──彼女は藤中君に?
「仮に──藤中君が来なくても、ほら、お母さんとか他の家族が──。さぁ、早くしないと真西に太陽が隠れてしまうよ。」
彼女を置いては行けない。
私は彼女の肘に手を添え、扉までエスコートする。
改めて、扉の向こう側を眺めると、先にある小川の向こうにアメジストセージが咲いている。あれを摘みに行くと私は行ってしまう。
その前に彼女の花を一緒に見付け出さないと、彼女はここから動き出せそうにない。
「──君は、好きな花は無かったかい?それを大切な人にだけ伝えていた、とか。」
彼女は目を丸くし数回瞬きをすると、私の顔を見遣る。
「──花、ですか。」
ポツリと呟きと何かを思い出したかのように、息を吐くくらいの小さな声で言う。
「そう。花。私たちがあの川を渡るには花が必要らしいんです。普段はあの川は広く深い。とても歩いて渡れるものじゃありません。ただ──。」
「ただ──?」
「春と秋だけ、ほんの僅かな期間だけ渡れる時があるのです。その時に対岸の花を目印に川を渡る──。その道があちらへ帰る時の正解の道なんだそうです。」
私もこの世界に来たばかりの頃、先住人に教えてもらったこの世の摂理を彼女に教える。
彼女は何かを思い出したかのように呟いた。
「──カーネーション。」
「カーネーション?」
「はい。私には3歳の娘が居るんですが、娘が母の日に、幼稚園で作ってきた折り紙のカーネーションを私にくれて──。私の喜ぶ姿を見て、娘も笑顔で──。」
彼女の思い出しながら語る姿を見て、私も妻や娘を思い出していた。
「だったら大丈夫ですよ──。私にはアメジストセージが届いてます。君にもきっと、カーネーションが見えるはず。」
彼女は顔を上げ、対岸を見渡す。
すると、対岸には無数のカーネーションが咲き誇っていた。
「さぁ、渡りましょう。君のお迎えが来ている───。」
「はい。」
彼女は涙を浮かべ、川を渡る。
私も彼女を先導し、足元が悪い場所では手を差し伸べた。
対岸にはカーネーションとアメジストセージの花畑が私たちを囲んでいた。
私たちは微笑み合い、それぞれの向かう先へと一歩踏み出す。
「それじゃあ、一週間後に──。」
彼女の背に手を振る。
「先輩、帰ってきたらまた春まで──たくさんお話して下さいね。」
私に微笑みかけてくれる彼女の顔は、頼りなかった頃のそれとは違い、凛とした母親の顔であった。
当たりを白い光が囲む。
私たちは光に導かれ、迎えられるように歩き出して行った。
───
──
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