ミルクキャンディ

西順

ミルクキャンディ

 こう言った情報はいつの間にやら漏れているもので、私も友人が友人から聞いた話を頼りに、その店にやってきた。


「ここか」


 と看板を見上げるも、読めない。何でもタイ語であるらしい。読めるのはその下に書かれた『Welcome』と『いらっしゃいませ』くらいなものだ。


 この店は何でも表向きはタイの食材を扱っている店との話だが、どうやら一部で禁制品扱っているとの噂を聞きつけ、私はこの店にやって来たのだ。


 そうは言っても、別に私はそのような禁制品を取り締まるGメンとか言う訳ではない。ただの一般人だ。会社員をしている。


 一般人が禁制品を売っている店にやって来た。と言う事は、そう言う事だ。私が欲しているのは麻薬━━ではなく、睡眠薬である。正確には良く眠れると言うミルクキャンディだ。


 何でもここで売っているミルクキャンディは、寝る前に舐めると朝までぐっすり眠る事が出来るとかで、一部の不眠症を抱える人たちの間で話題になっていたのだ。私も不眠症を抱える一人であり、同じく不眠症だった友人と、たまたま道で出会った時、目の下の隈がすっかりなくなっている事に気付き、理由を尋ねたら、この店を紹介された訳である。


「これか」


 ごちゃごちゃと商品が陳列された狭い店内を、友人にスマホへ送付して貰ったパッケージの写真を頼りに探す事三十分。ビビットな緑のパッケージに包まれた、それらしき商品を見つけ出した。その横に同じようなビビットなピンクのパッケージの商品も陳列されていたので、同系統だと思い、それも一緒にレジへ持っていくと、タイ人だと思われる店主に、


「これ、ふつうの、あめ」


 と説明を受けたが、私は笑顔でそれを躱し、ミルクキャンディを無事に手に入れて、ホクホクで家に帰ったのだ。


「ふむ」


 緑のパッケージの袋を開けてみれば、中身は日本同様に紙で包まれた普通のミルクキャンディのようで、十粒入っていた。しかし包みを解いて良く見れば、薄く緑色をしている。


 もしかしてピンクの方と味が違うのかな? とピンクの方も気になり、袋を開ければ、こちらのキャンディは薄くピンク色をしていた。


 食べ比べてみたいところだが、友人からは絶対に一日一粒までだと厳命されているので、仕方なく私はピンクの方は明日の楽しみとして、今夜は緑色のキャンディを舐めるに留めたのだ。味はほんのりミントのミルクキャンディだった。


 気付けば朝であった。キャンディを舐めている途中で寝落ちしてしまったらしく、私は床に転がっていて、起きれば身体がバキバキだった。それでも久々に熟睡出来た事は大きく、私の脳はとてもスッキリ晴れやかとなっていた。


 その日一日の仕事効率はとても高く、普段であれば不得意な同僚との何気ない会話も、円滑に話せていた。まさにミルクキャンディ様々だ。


 その日はやりきった満足感とともに軽い足取りで家に帰り、不眠症時代からの日課であるストレッチを終えると、今日は昨日と違って、ピンク色のキャンディを舐める事とした。


 しかし昨日の効果を考えると、今日もキャンディを舐めている途中で寝落ちしてしまう可能性がある。なので私はその日はベッドに潜ってからキャンディを舐める事にしたのだが、これが大正解で、朝までぐっすり眠る事に私は成功したのだ。ちなみにピンクのキャンディの味はイチゴだった。


「先輩、最近絶好調ですね」


 昼休みにコンビニ弁当を食べていると、会社の後輩が話し掛けてきた。


「あ、やっぱりそう見える?」


「はい。最近まで俯いている事が多かったですし、なんか目の隈も取れてきてますよね?」


「まあ、最近良く眠れているからね。それで体調万全って事だよ。やっぱり睡眠は大事だね」


 私は腕を組みながら、実感を込めて何度も頷く。人間、しっかり睡眠時間が取れるだけで、気分も前向きになるものだ。


「なんかコツでもあるんなら、教えてくださいよ」


 眠るコツってなんだよ? と心の中でツッコミを入れつつ、私は最近手に入れたあのミルクキャンディの事を後輩に話した。話してしまったのだ。


「死んだ?」


 翌日の事だ。会社の同僚から、その後輩が死んだとの話を耳にして、私の心臓も止まるのではないかと思う程の衝撃を受けた。人間って簡単に死ぬんだな。


「何で? 事故?」


 元気そうだったし、悩んでいるようには見えなかったので、自殺ではないと私は推察したのだが、同僚はそれに対して眉根下げて、どう話したものかとこちらを焦らす。


「事故って言うか、なんか飴を喉に詰まらせて窒息死したらしい」


 その発言に、一瞬私の心臓は止まり、再び動き出したところで、不眠症だった友人が、キャンディは一日一粒だと厳命していた理由を理解した。きっと後輩はあのキャンディを一気にいくつも舐めて寝落ちし、キャンディが喉に詰まって死んだのだろう。


「どうした? 顔が真っ青だぞ?」


「え? ああ、何と言うか、惜しい人物を亡くしたな」


 それで会話は止まり、私と同僚は仕事に戻ったのだった。


 後輩の葬儀がしめやかに行われている中、私の心は罪悪感で一杯となっていたが、しかし今更あのキャンディを捨てて、これまで同様の不眠症の生活に戻る事なんて考えられない。大丈夫だ。一日一粒に留めていれば、キャンディを喉に詰まらせて死ぬなんて事にはならないはずだ。この頃の私は暗い欲望に目が眩んでいた。


 世の中と言うのは、幸と不幸が代わる代わるにやって来るもので、後輩の死後も私はあの店でキャンディを補充して、快眠生活を送っていたのだが、ある日店を訪ねると、あのミルクキャンディが陳列されていなかった。あのキャンディは私以外にも需要があったはず。人気商品を売らなくなる理由って何だ? 私は店主にミルクキャンディが次にいつ入荷するのか尋ねたら、首を横に振られてしまった。


「え? どう言う事ですか?」


「あのあめ、なめて、しぬひとおおくなって、けいさつに、うるな、いわれた。ただの、あめなのに、ひどいはなしよ」


 何て事だ。それじゃあ、私の人生は暗黒時代に逆戻りだ。私はその日は何も買わずにトボトボと家に帰ってきたのだが、ミルクキャンディは三袋しか残っていない。その絶望感たるや、死を覚悟した程だ。いっそ本当にこのキャンディで死んでやろうかとヤケになりかけたが、店主の言葉を思い出して踏み留まった。


 店主の話だと、ただの飴って事だよな? それなら、普通にネットで売っているんじゃないか? とタイの通販サイトを漁れば、これがビンゴで、この飴が普通に売られていたし、外国にも発送していると言う。しかも緑とピンクだけでなく、他の色のパッケージのキャンディも売られていた。


 これは買うしかない! とポチった訳だが、届くまで一ヶ月掛かるそうだ。私は手持ちのキャンディの数を数えながら待ち続け、ようやく届いたその日に、新しいキャンディを舐めたのだが、それは本当に普通のキャンディで、どれを舐めても寝落ちするなんて事は起こらなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミルクキャンディ 西順 @nisijun624

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説