わたしとあなたは共犯者
石衣くもん
拝啓
お久しぶりです。とある風の噂を聞いて、あなたに物申したいことがあり、筆を取らせてもらいました。電話も考えたのですが、あなたと電話するという行為はどうしても躊躇われ、メールでは長くなり過ぎると読み難いかと思い、こうしてお手紙を差し上げた次第です。
書き慣れていない所為で、お見苦しいところもあるかもしれませんが、どうか最後までお付き合いくださいませ。
あの頃のわたしは、仄暗い恋に溺れていました。恋といえば、薔薇色に輝く美しいものを思い浮かべる方が多いのでしょうが、わたしの恋はどこまでも暗く黒ずんでいるものでした。
こんな説明をせずとも、あなたはわかっていらっしゃるのでしょうが。あれ以来、わたしは恋をしていません。けして、怖くてできないというわけではないのです。ただ、どうしても、わたしはあなたと一緒でないと恋をできなかったのだと思います。
親愛なる、共犯者のあなたとしか。
あなたとの初めての出会いが、一体いつだったのか、確かではありません。あなたも、そうでしょう。
恐らく、通学で使っていた電車で見かけたのが初めての出会いなのだとは思いますが、高校へ向かう電車の中で、別の高校の制服を着ている人なんてごまんといます。もしかしたらわたしが思い描く出会いは、初めての出会いではないのかもしれません。
あなたの存在をはっきりと意識したのは、あなたの制服も夏服になったなあと気が付いた夏の日です。
「ね、紅葉。あそこの男の子、格好良くない?」
真悠子がそう言って、こっそり指差してきた先に立っていたのが、あなたと、君嶋くんでした。
真悠子は続けて、
「いつもこの電車に乗ってるのかな」
と、耳打ちしてきました。わたしは、囁くような真悠子の声にどぎまぎしながら、
「多分」
と答えました。真悠子は気がついていなかったようですが、わたしはあなたが、あなたと君嶋くんが夏服のカッターシャツになる前の、学ラン姿でこの電車に乗っているのを何度か見かけたことがありました。真悠子を見詰める視界の端に、あなたたちが見切れる姿を。
「えっ、そうなの。私、知らなかった」
驚く真悠子に、制服の校章から恐らく高校は私たちが降りる駅の一つ手前にある男子校の生徒だと思うと告げると、
「さすが紅葉、よく回りを見てるし、色んなことを知ってるのね」
と、少女特有のあどけない笑顔をわたしに向けるのです。
わたしは、真悠子のことが好きでした。初めは友愛だったものが、歪にねじ曲がって恋愛になってしまうくらいに、真悠子を好きでした。
だから、あなたが君嶋くんに対して、わたしと同じ気持ちを抱いているってすぐにわかったのです。
「紅葉、声をかけてみましょうよ」
真悠子がそう言った時に、わたしは押さえきれない嫉妬心を無理矢理圧し殺して、
「真悠子、女の子から声をかけるなんてはしたないわ」
なんて、曖昧に微笑んで、やんわり彼女とあなたたちとの交流を阻止しました。真悠子はぷうと頬を膨らませたけれど、
「はあい」
と、納得してくれたのでした。
しかし、わたしは知っていたのです、君嶋くんがわたしと真悠子の方をちらりと気にかけている素振りを見せていたことを。あなたも気が気でなかったでしょう。
そうして、とうとう君嶋くんが
「いつもこの電車だよね」
と話しかけて来た時に、わたしは絶望感にうちひしがれました。後ろについて来たあなたも、悲しげに目を伏せていましたね。
「ええ」
それがなにかと言わんばかりに、 冷たい声色になってしまったけれど、君嶋くんはめげずに話を続けてきました。
「ずっと君のこと、可愛いなってこいつと話してたんだ。な、透」
話を振られたあなたは、なげやりな感じで「ああ」と返答をし、わたしの方を射抜くような瞳で見詰めてきました。そこでわたしは安堵したのです。ああ、君嶋くんは真悠子でなく、わたしの方に気があるんだわ、真悠子を取られる心配はないんだとわかって。
しかし、わたしとあなたたちとのやり取りを聞いていた真悠子が小さな声で
「透くん」
と、呟いた声が耳に届いた時、今度は絶望的な気持ちになりました。真悠子の声の甘さから、真悠子はあなたのことを「格好いい男の子」と指差していたのだと。
わたしたちは四人で登下校することが増え、わたしとあなたは、真悠子と君嶋くんにわからないように不服げな視線を交わすようになりました。お互いに、せっかく電車では二人きりの時間を楽しんでいたというのに。
そんなある日でした。あなたが、君嶋くんと真悠子にわからないように、電話番号を書いたノートの切れ端を渡してきたのは。
わたしはそっと、ポケットの中に紙切れをしのばせ、電車から降り、真悠子と別れてすぐ、あなたに連絡をしました。
「もしもし、何か私に用だった?」
「単刀直入に言うよ。あなた、君嶋と付き合ってあげてよ。僕は真悠子さんとお付き合いするから」
電話から聞こえてくる台詞が信じられなくて、怒りで頭が真っ赤に塗り潰されていくようでした。震える声で、
「どういうつもり?」
と、聞いた時に返ってきたあなたの言葉で、わたしは今まで恐らくあなたとわたしは同じ気持ちだろうという仮定から、やっぱりそうだと確信したのでした。
「僕も君も、お互いに手に入らない恋しい人を、誰か知らない奴に取られるくらいなら、二人で取られないようにした方が良いと思わないか」
あなたとの取り引きからすぐ、わたしは君嶋くんにお付き合いを申し込まれ、それを受け取りました。そしてそれを確認してから、あなたは真悠子に告白し、真悠子はりんごのように頬っぺを赤くしながら、何度も頷いていました。
わたしはそんな真悠子の様子を、複雑な気持ちで見ていました。幸せそうな真悠子を見て嬉しいのと、わたしでは真悠子をこんな風に喜ばせることができないという悲しみと。
「良かったわね、真悠子」
「うん、ありがとう、紅葉」
わたしは笑んで彼女を祝福し、そのまま、あなたと視線を合わせました。いつもの不服げな視線ではなく、後ろめたさと罪悪感と、悦びが入り雑じった視線を。
これで、わたしとあなたは晴れて共犯者となったのです。
わたしたちの交際は、わたしとあなたの思惑通り四人で接することが多かったですね。そして、わたしはあなたのおかげで幸せそうな真悠子の姿を、あなたはわたしを見て嬉しそうな君嶋くんの姿を見ることができました。
そして時折、傷を舐め合うように視線を合わせ、そういう日はお互いに一人になってから、電話で心情を吐露しあったのです。二人を騙す罪悪感、そんなことをしてまで手離せない二人への想い。わたしたちはまさしく共犯者でした。
しかし、いつも四人で過ごすわけではありません。お互いにカップルだけでデートをすることだって勿論あります。
わたしもあなたも、同性愛者というわけではなく、わたしは真悠子を、あなたは君嶋くんを好きなだけだったので、わたしは男性と触れ合うことに恐怖するわけでもなく、あなたは女性とキスするのに抵抗があるわけではありません。
ただ、そういうことをすると、チリチリと胸の罪悪感を刺激されることに苛まれはしましたが。
そんな風にお付き合いを重ねていたら、避けて通れないのが体の関係です。君嶋くんは、まどろっこしくも何度かわたしに行為を求め、わたしは気づかないふりと曖昧な躱し方でなあなあにしていました。
けれど、何もないまま付き合い続けることは、思春期の君嶋くんにはとても辛いことだったでしょう。
その日は、少し蒸し暑い夏の日でした。付き合い始めて約一年経ち、二人きりの部屋の中で君嶋くんは、
「そろそろ、いいかな」
と、切羽詰まった顔で押し倒されたのです。わたしは抵抗しようと腕に力を込めようとした時、ふと、あなたの顔が頭に浮かびました。
今、わたしが抵抗して、君嶋くんとの関係が終わったら、わたしとあなたの共犯は終わってしまうのでは。
わたしはそれが、酷く恐ろしいことに思えたのです。そして、その恐ろしいことは、君嶋くんとの行為を天秤にかけた時、沈みこんでしまうほどに重大なことでした。わたしは込めようとした力を抜き、大人しく目を瞑って小さく頷きました。
途中、涙が止まらなくなったのは、自分でもよくわからなかったのですが、とりあえず緊張したということで誤魔化しておきました。
その日、家に帰ってから、わたしはあなたに電話をしました。すぐにあなたに話を聞いてほしいと思う反面、どんな風に伝えたら良いのかわからず、少し遅い時間になってしまいましたが、あなたは三コール目には出てくれましたね。
「こんな時間にごめんなさい」
「どうかした?」
「ごめんなさい」
せっかくあなたが電話に出てくれたのに、わたしは考えていた言葉の一つすら出てこず、ひたすらに謝ることしかできませんでした。
わたしは、真悠子と君嶋くんだけでなく、あなたも裏切ってしまったのだと、そう思うと涙が止まらなくなりました。
あなたは何となく、ことを察してなのか
「あなたの家の近くに、公園あるよね。出て来れる?」
と、優しい声色で言いました。わたしはこっそり家を抜け出し、公園のベンチで待っていると、自転車に乗ったあなたが間もなくしてやって来たのです。
わたしは拙い言葉であなたに説明して、あなたはそれを静かに聞いてくれていました。そして、わたしが話し終えると、少しだけ俯いて、
「あのさ」
と切り出しました。わたしは、あなたからの言葉を祈るような気持ちで待っていました。
あなたは、わたしに共犯の話を持ちかけた時のように、真剣で痛切な声で言いました。
「僕が真悠子さんとそういう行為をしたら、僕とも同じことして欲しいって言ったら、どうする?」
わたしは、その言葉に悲しくなり、あなたの気持ちを思うとさらに悲しくなりました。そっと、ベンチに置かれたあなたの手の上に、自分の手を重ねたら、あなたは苦しそうな声で
「ありがとう」
と、さらにわたしたちの罪を深めてゆくことを決めたのでした。
わたしは、平然とした顔で君嶋くんと交際を続ける中で、どんどんと何かをなくしているような感覚に襲われていました。
君嶋くんとキスをして、あなたに会って、真悠子とキスしたあなたとキスをする。わたしは、何を思って、この行為を繰り返しているのか時々わからなくなりました。
あなたと体を重ねるたびに、真悠子に触れたその手を愛おしく思おうとして、そんな自分の浅ましさに死にたくなるくらい苦しくなるのに、結局同じことを繰り返すのです。
あなたも同じで、君嶋くんが触れたわたしの体に触るだけで辛そうな顔をして、それでも止めようとはしませんでした。
わたしは、この頃、一体誰に恋をしていたのでしょうか。
真悠子? 君嶋くん? それとも、あなた?
あなたは、どうだったでしょうか。変わらず、君嶋くんに恋をしていましたか。
終わりは呆気なく、唐突でした。わたしは、真悠子に
「紅葉、透と浮気してるよね。私も君嶋くんももうわかってるよ」
と、言われたのです。わたしは、違うと言いかけた言葉をすんでのところで飲み込みました。一体、この状況の何が「違う」のか。わたしにはとても否定できる資格などなかったのです。
真悠子は怒っているというよりも、ショックを受けているようでした。わたしは、真悠子に
「本当にごめんなさい」
と謝って、二度とあなたに会わないこと、真悠子の前にも姿を現さないことを約束しました。真悠子は最後に
「君嶋くんとはどうするつもりなの」
と、問いかけてきました。わたしは、きちんと会って謝って、気が済むまで罵って、収まらないなら一発くらい殴ってもらっても構わないと思っていると答えました。
真悠子は寂しそうに笑って言ったのです。
「私はね、そんなふうに潔い紅葉が、本当に親友として大好きだったんだよ」
わたしは、真悠子に最後まで、想いを告げることはできませんでした。君嶋くんは、最後に会って話したいと連絡したわたしに、
「会うと君まで殴ってしまいそうだから止めておくよ、今までありがとう。さよなら」
と、メールの返信で終わってしまいました。
さて、こんな読み辛くて、あなたにとって忘れてしまいたいことをだらだらと書いた手紙をお送りしたのには理由があります。
風の噂、いえ、口止めをされていましたが、あなたをあの時、一発殴ってしまった罪滅ぼしだと言っていた君嶋くんから、あなたが結婚の話まで進んでいる女性がいるのに、それを蹴ろうとしていると聞いたからです。
しかもその理由が、あの共犯のことを悔いて、自分が幸せになってはいけないと思っているからだなんて。
わたしが言えた義理ではないですが、断言します。そんな贖罪に誰が得をするというのですか。君嶋くんが、真悠子が、それともわたしが喜ぶとでも思っているのですか。
君嶋くんと真悠子はお互いに似た境遇だったこともあったのか、結婚して幸せに暮らしています。あなたのことなんて、これっぽっちも気にしてなんていません。幸せな二人に、あなたが入る余地などないのです。
わたしは、確かに恋はできなくなってしまいましたが、それで構わないと思っています。あの時、あなたの共犯者になることを選んだのは、わたし自身です。あなたがわたしの人生を壊したなどと言って、自惚れないでください。
あなたは、わたしと違って、過去を清算できたから新しい恋ができて、その女性と付き合ったのでしょう。君嶋くんがそんなあなたの様子を心配して、わたしにもあなたが誤った選択をしないように何か言ってやってほしいと頼んできたのです。あなたが、あの後、何度も君嶋くんと真悠子に謝って、誠心誠意償って、二人が許してくれた証拠でしょう。
今度は、真悠子みたいに、その女性を悲しませることがないよう、その恋を大切にしてください。
それが、あなたの共犯者である、わたしの願いです。
敬具
わたしとあなたは共犯者 石衣くもん @sekikumon
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