第7話 犬の耳
犬のような、狼のような、上にツンと尖った立派な耳――
サイズこそ中型犬程度だが、本来人間についているはずのないものが、彼女の耳にはついていた。
二人が口を開けて視線を向けている中、彼女は静かに目を閉じた。
すると、シバは不思議な感覚に捉われた。
地上の喧騒は遠くなり、風は静まり、周囲の全てが彼女に集中していくかのよう。
まるで神聖な儀式に参加しているようで、身動きするのも躊躇われる。
緊張でシバが唾を飲み込むと、その瞬間に彼女が瞳を見張って対岸に立つシバとパジーを直視した。
まるで小動物が間近にいた敵に気付いたかのような、驚愕と警戒の混じった視線だ。
シバは直感し、驚嘆した。
彼女は聞きとったのだ、喉が鳴るほんの小さな音を……
同時にシバは、無用に驚かせてしまったような罪悪感に囚われたが、彼女は一瞥をくれただけで、興味を失ったかのように元のようにヘッドホンとフードを被り直した。
そして、屋上を蹴って、建物から建物へ飛び飛びに進むと、数百メートル先で地上へ消えていく。
「かっこいい……。ニンジャみたいだ……」
「俺らも降りるぞ」
パジーが彼女の消えた先を見つめながら言う。
「あ、はい」
パジーの真剣な目を不思議に思いつつ、シバは言われた通り屋上からパイプを伝って降りた。
◇
路地裏から母親のいる露店通りへ戻ると、道の反対側からは先ほどのフードの女性も母親へ向かって歩いてきていた。
その手は、泣きべそをかいた子供に繋がれていた。赤い服を着ている。
「ヤエちゃん!」
母親が叫ぶと、子供の顔がパッと明るくなる。
それだけで充分、探していた子がこの子である証明だ、とシバが思っていると、
「早く!その人から離れなさい!」
母親が金切り声で子供を呼んでいた。
子供が困惑した様子でフードの女性を見上げてから、パタパタと母の元へ駆け寄る。
母親は距離を保ったまま、女性に頭を下げた。
「ありがとうございました。助かりました」
が、言葉とは裏腹に、表情は固く、ぎこちない。
すぐに踵を返し、シバたちのいる方向へ早々に立ち去ろうとする。
彼女たちがシバたちの横を通り過ぎようとしたとき、シバは思わず口を出してしまった。
「……その言い方はないんじゃないですか?」
「はい?」
母親が唐突に話しかけられ、びっくりしたような顔をする。
「助けてくれた人に向かって、早く離れなさいなんて。この子は攫われてたのかもしれないのに」
「はぁ……」
母親のどこか暖簾に腕押しという様子が、シバには解せなかった。
なぜそんなに悪意のなさそうな表情ができるのか……
正義感が胸中で沸騰しそうだったところに、フードの女性が遠くから声をかけた。
「いいですから、別に。私は気にしてない」
「良くないですよ!こういう細かいことが、街の治安にも関わるんです!ねぇ、パジー?そう思いません?」
シバは、肩に乗るパジーにも話を振ったが、彼は一切喋らなかった。
まるでぬいぐるみのように押し黙っている。
「パジー?どうして黙ってるんですか?パジー?」
「このお兄ちゃん、鳥に話しかけてるよ?」
少女がシバを指差して言う。
「行くよ」
母親は、子供の手を引いて足早に去っていった。
その背中を不審げに見送っていると、後頭部を翼で勢いよく叩かれた。
「このポンコツタコ助。あれごときで騒いでる人間が喋る鳥なんか見たら、何言うかくらい分かるだろ」
「え、どういうことですか?」
「頭使え、頭を。仮にも刑事だろ」
「うーむむむ……」
「刑事……?」
女性の声がシバの耳に入った。
顔を上げると、フードの女性が近くにやって来ていた。
どこか不思議そうに、どこか恐れるように。
「ごめんなさい、驚かせちゃって。この人は鳥なんですけど、警官で――」
「別にそこは驚いてない」
「あ、そうなんですか?珍しいですね」
「同類なんだろ」
パジーの声色には感情が乗っていない。
シバは頭を使って考えた。
「……鳥類ってこと?」
「バカにつける薬はねぇな!」
騒ぐ二人を尻目に、彼女は呟くように言った。
「鳥の人より、私の耳を見て怖がらない人に驚いてる。見たよね、さっき。こっちの屋上から」
彼女がビルを指差す。先ほどまでシバたちが登っていたものだ。
「あ、はい。でも全然何とも思ってないですよ。変なのは見慣れてますから」
「……おい、今誰のこと言ったんだ?おい?」
パジーはシバの頭部を突っついた。
「あ、そうだ!あのアパート近いし、もしかしたら知ってるかも!」
シバは肩からの攻撃をものともせず、手帳の切れ端を出して女性に見せた。
「僕たち、この人を探してるんです。ナイラっていう人なんですけど」
「……誰?」
「あ、本職たちもそれを知らず……」
「いや、あなたたち、誰?」
「へ?」
「私なんだけど、これ。ナイラって」
三人は顔を見合わせた。
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次話、デリカシーが壊滅します。
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