第6話 課長の秘密兵器
歴史を感じる小さなアパートの二階で、シバは手帳の切れ端を手に首を傾げていた。
「イズミ南区シュウロ四丁目二八五の五……。ここで合ってますよね?」
金属製の、というより金属そのものを立てかけたという感じのドアに、住んでいる人のネームプレートなどは見当たらない。
アパートの反対側から、パジーが飛んで戻ってきながら言った。
「やっぱお隣さんが四と六だから、合ってるはずだ」
シバがもう一度ノックしてみるも、やはり返事はない。
「留守ですかね。人の気配もないし」
「無駄足か。まぁ仕方ねぇ、もう十時近いし、待ってる時間はねぇ」
「どんな人だったんだろう……」
二人は階段を降り、寂れた街道に出る。
アンナのメモに従ってやってきた南区シュウロは、イズミ署がある中央区より見窄らしい街だった。
地面は舗装されていないため、どこに行っても埃っぽく、全体的に彩度が低い。
街中の建物は経年劣化で崩壊寸前のものも多く、午前の白く眩しい日差しの中では、さらにシミや汚れ、壁面の亀裂などの年輪が目立ってしまっていた。
とはいえ、地上にある時点で、中央の生活レベルもそれほど変わる訳ではない。
富の八割が空を飛んでいると言われる現代では、南区のような光景が地上のデフォルトだった。
「あ!あれ、見てください」
シバが街角の一角を指差した。
「何?」
パジーがシバの肩から、彼の示す先を見る。
平凡な家の屋根に、もう一つの平凡な家が逆さにくっついて建っていた。
「違法増築です」
「おぉ、天にそそり立ってやがる。どんなバランス感覚だ」
「本職行ってきます!」
シバが駆け出すのを、パジーが翼で目隠しして止めた。
「待て待て。増築なんぞ見慣れてんだろ」
「あれはやり過ぎです」
「んなもん、まともに検挙してたらキリないぞ。ただでさえ今は時間がないんだ」
「でも、放っておけば住民に危害が及ぶかもしれないです!」
「……お前、何年警察やってんだ」
ダズが静かに聞いた。
「今年で三年目です」
「ならいい加減覚えろ。この国は事件で溢れてんのに、警察の数は圧倒的に足りねぇんだ。政治家もお偉い公務員も地上のことなんざ歯牙にも掛けてねぇから、俺らには予算が降りねぇ。そんな中でまともに仕事するにゃ、それぞれの事件を天秤にかけて、取捨選択するしかねぇんだよ」
「……はい」
シバは口を尖らせながら頷いた。
「さっさと行くぞ。タクシー拾わねぇと」
渋々、違法増築の化け物を見過ごし、二人は大通りへ抜ける方向へと歩みを進めた。
そこまで行かないと、車が通っていないのだ。
すると、一度通り過ぎた曲がり道から、女性の焦ったような声が耳に届いた。
シバが少し後戻りして、街角を覗く。
そこは露店通りだった。
買い物でごった返す地域住民たちの間で、女性が狼狽えた様子で周囲の人々に尋ねている。
「どなたか知りませんか⁉このくらいの赤い服を着た子なんですけど。すいません、どなたか……!」
「あれ、どうしたんですかね」
シバが首を傾げて言う。
「子供を探してるっぽいな。もしかして人攫いか?」
「それは大変だ!助けに行きます!」
「おい、シバ。さっきの話聞いてたよな?俺は天秤にかけろって――」
「天秤が壊れました!」
言うが早いか、シバが女性の元へ向かって飛び出して行く。
「イノシシ正義マンがよ……」
パジーが肩で揺れながらぼやいている。
シバが人波に逆らって近づこうとしたとき、先に母親に話しかけている人が目に入り、足を止めた。
その人物は黒いフードを目深に被り、顔は見えなかった。
が、声からしてどうやら女性のようだ。
「その子、どんな声?」
彼女は母親に問いかけていた。
「え、こ……声?その、愛らしくて綺麗で天使のような……」
「高いか低いか。または、大人しめとか元気とか。大人の言うことはよく聞く?」
「あ、はい。言うことはよく聞く方です。大人しくって、ご近所さんからもいい子だって――」
「わかった」
彼女は簡潔に告げると、人混みをスルリと抜け出し、露店の間の狭い路地に入った。
かと思うと、建物の壁を三角跳びで蹴り上がり、あっという間に屋上まで登ってしまった。
「うわぁ!」
シバは目を輝かせた。
驚異的な身軽さだ。
「なんだあいつ。人間業じゃねぇぞ」
パジーが元々丸い目を更に丸くする。
「本職も上登ります!パジーは先に飛んでてください!」
シバは、彼女とは反対側の建物に向かうと、壁に設置されたパイプや窓枠などを伝ってリズムよく登っていく。
登り切った先にはパジーの呆れ顔が待っていた。
「お前も充分人じゃないな」
「さっきの人はまだいますか?」
パジーが翼で道向こうを指し示す。
そこには先ほどの女性が風に吹かれて立っていた。
彼女がおもむろにフードを外すと、赤茶色の髪が広がっていく。
「おぉ、上物じゃねぇか」
彼女の整った横顔を目にしたパジーが、器用に嘴笛を鳴らす。
彼女の頭の上には白いヘッドホンをつけられていた。
再生する機器も持たない地上の人々にとっては、無用の長物のはずである。
彼女は、フードに続いてそのヘッドホンも外すと、靡く髪を耳にかけた。
その瞬間、シバとパジーは虚を衝かれた。
――彼女が髪をかき分けた先にあったのは、人の耳ではなかったのだ。
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次話、正体がわかります。
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