第一章~辻畑④

 となれば犯人の動機は金でない可能性も出て来る。というのもこのまま美香の介護が続けば、日暮家は共倒れになると皆口を揃え心配していた。これは加藤夫妻や近所の人、彩の勤め先の店長や従業員、航の学校の担任や同級生達からの証言によるものだ。

 例えば彩は夕方五時半頃に家を出て、金山の店へ六時までに入り十二時半まで働き、地下鉄に乗り一時過ぎに帰宅し二時頃寝る。その後朝六時半時頃起き、近所のスーパーの鮮魚店で仕入れや下拵したごしらえ等のパート仕事をこなし、航が学校に出かける頃までに一旦帰宅。そこから姉の介護もしていた。航が三時前に帰宅すると入れ替わるようにスーパーへ出かけ、レジ打ちをした後、また家へ戻り姉に食事を摂らせてから夜の店へと出かける。その繰り返しの日々だったという。

 航は学校にいる以外は家での食事や家事、伯母の介護をし、その合間に勉強をするという生活を続けていた。特に大変なのが母親のいない夕方から夜遅くまでの時間だ。その間のトイレやお風呂への入浴等も彼の仕事だった。夜九時には寝てしまうと言ったが、途中目を覚まして彼を呼ぶこともあったらしい。これは彩が帰宅してからでさえあったようだ。

 体の関節が固くなり痛みを伴い、または飲み込む力が弱い為にむせて苦しくなるからだろう。その為体を擦ったり体勢を入れ替えたりし、どうにか落ち着かせる必要があった。もちろん定期的にかかりつけ医が訪問し、様子を見てくれたりはしていたが介護は別だ。公的な介護保険を使ってデイサービスを利用する場合もあったが、自己負担金が発生するのでそう頻繁には呼べなかったと聞いている。

 介護を含めた疲労が日に日に蓄積し、苦労している様子が目に見えて分かったそうで、事情を知る人達の間ではとても気の毒に思っていたらしい。特に今年は航が高校受験の年だったからか、まともに勉強などできないだろうと気にかけていた。

 といって加藤夫妻も含め手助けできる程余裕はなく、医師達も多忙で彼らにだけ目をかける訳にもいかない。区役所や介護職員だって同じだ。同じまたはもっと大変な事情を持つ家庭だってある。だから気の毒に思いながらも見守るしか手立てはなかった。

 よって義憤に駆られた人物が、被害者を殺して彼らを助けたとも考えられる。またはあの一千万円が犯人に対する謝礼として、彼女達や支援者により用意された金かもしれない。

 鑑識が署に持ち帰り連番などを調べた結果、一部は揃っていたものの、大半はばらばらだったという。つまり銀行から一度、または複数回に分けて用意したものではないらしい。それに比較的古いものが多く、少なくとも五年以上前のものばかりだったそうだ。

 日暮家の通帳等から履歴を確認したところ、過去に大金を降ろした形跡はなかった。ただスマホで使ったと思われるゲームの課金料は、彼らの経済状態からすれば多いと感じた。 

どうやら被害者は寝たきりの為、暇を持て余していたのかまだ動かせる手を使い、スマホを良くいじっていたという。ただそれ以外特筆する点は無かった。

 その結果から彩が言うように、被害者が倒れる前から準備していたタンス預金の可能性も拭えない。だが現金から被害者を含めた指紋が一切出なかった為、まず考え難かった。

 よって様々な疑念は消えない。その為辻畑は航に尋ねた。

「君もお金があることには、全く気づかなかったのかな」

 ビクッと体を震わせた彼は、黙って頷いた。

「そうか。美香さんに頼まれ、お金を引き出す手伝いもしていないんだね」

「お、お金を降ろしたことはあります。でも食費や壊れた電化製品の買い替えをするのに使う為だったので、了承を得てはいたけど美香伯母さんには渡さず、僕やお母さんが払ったりして使いました」

「じゃあ現金を渡したりはしなかったんだね」

「はい。寝込んでカードを預かってからは、伯母がお金を払うことがなかったから」

 オドオドと喋っていたものの、嘘をついているようには聞こえなかった。けれど何かを隠し怯えているようにも見える。だがそれは刑事という通常だとまず会わない、しかも四十五歳と三十八歳になるおじさん二人から詰め寄られ、怖がっているかにも思えた。

 その点が曖昧であり、また相手は未成年の被害者遺族だ。そう強く出る訳にもいかない。ましてやアリバイがある為、実行犯ではあり得なかった。

 けれども他に共犯者がいれば別だ。そこで辻畑はある可能性について言及した。

「あなた達の介護を受け始めてからの美香さんは、精神的にどうでしたか。落ち着いていましたか。それとも病を苦にして悩んだりはしていませんでしたか」

 彩がこれに答えた。

「身体的な問題もあったので暴れられませんし、大きな声を出して怒ったりもしませんでした。昔から責任感が強くテキパキしてせっかちな性格でしたけど、私達にはとても優しい人でしたから。ただその分、いつも申し訳ないと謝ってはいました」

「罪悪感を持っていたという意味ですか」

「多少あったと思います。でも私や航は姉が一生懸命働き稼いでくれたから、今まで生活してこられました。年が八つ離れているので、両親がいなくなり祖父母に育てられている間でも、姉は私の母親代わりでした。祖父母が事故で亡くなった後、姉のおかげで私は大学まで行かせて貰ったのです。でも姉の反対を押し切り、馬鹿な男と結婚して航を産みました。私の為に働いていたせいで自分は結婚できなかったのに。それでも離婚して困っている私を、姉は一緒に住もうと言ってくれたのです。航がまだ幼かったからとても助かりました。だから姉の面倒を看るのは当然で、これまでの恩返しだと思っていました」

「航君はどうだったのかな」

 彼は小さく頷いただけだった。

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