第一章~辻畑⑤

「お母さんと同じ気持ち、ということかな」

 もう一度頷いたところで彩が口を挟んだ。

「航も姉に育てて貰ったようなもので、もう一人の母親だと思っていたはずです。姉の世話で相当負担をかけていましたが、この子も私と同じ心情だったと思います。そうだよね」

 彼は黙って首を縦に振った。

「でも今年は高校受験の勉強も大変だったんじゃないかな」

 航に尋ねたが、これも彩が横から代わりに答えた。

「確かにそうですが、姉が寝た後でしっかり勉強はしていました。また寝たきりでも会話はできるので、時々教えて貰っていたので助かっていたはずです。そうだよね」

 やはり彼は頷いただけだった。本心のようにも思えたが、言葉を発しない為に掴み辛い。だが回答の無理強いを拒絶する空気を彩が発していたので、止む無く彼女に尋ねた。

「では病になり介護を受ける身を悲観して、死にたいなどと口にしたことはありませんか」

 すると驚きの余り目を見開いた彼女は、激しく反論した。

「どういう意味ですか。姉が自殺したとでも言うんですか。あり得ません。自分でお粥なんて用意できませんし、もしそうだとしても他に方法はあったはずです」

 確かに口へ何か詰め込めば窒息するのは明らかだ。つまりティッシュペーパーですら代用出来た。医師や検察官の見立てでもそうした結果が出ている。自殺を殺害されたように見せかければ得するような保険に加入していた形跡もない。あるとすれば犯罪被害者の遺族に支払われる給付金だが寝たきりで収入のない彼女の場合、それ程高い額は望めない。

 それでも無いよりましと考えた可能性はあるが、それ以前に問題があった。もし自殺とすれば、誰かがお粥を用意しなければならない。またどれだけ作ったかによるが、残りを捨て形跡を隠す必要もある。被害者の死亡状況から考えれば、逃亡した犯人が持ち去ったと考えるのが筋だろう。

 だがそこまでする動機はなんだと考えれば、やはり首を捻らざるを得ない。被害者が第三者に依頼し、成功報酬として一千万を後で支払う予定だったのだろうか。しかしそれなら他の方法で自殺し、一千万円を彩達に残す方がずっとマシだろう。

 やはり自殺の線は無理があった。彩達が第三者に殺害依頼したと考えても同様の壁にぶつかる。介護が大変だった状況は理解できるが、一千万円もあればヘルパーを頼んだり仕事を減らすなどしたり、もっと負担を軽くできたはずだ。

 そう思うと一千万円が被害者のものだったなら、何故彼女はその存在を彩達に知らせなかったのかが疑問となる。被害者が二十年以上働き稼いで貯めたお金は、既に実質彩達の管理下にあった。後に通帳の残高を確認した所、この五年間で徐々に減らした金額は、約五百万円から二百数十万程になっていたようだ。ゲーム代を除けば決して無駄遣いをしたとは思えない。

 彩が必死に働き稼いだ金と合わせ、なんとか生活している様子が窺えた。辻畑は他人事で無かった為、そんな境遇に余計強く共感できた。それは尾梶も同様のはずだ。恵まれた環境で育った、または身内に障害者や介護者のいない人達なら、表面上だけの理解で留まるだろう。しかし二人は違う。だからこそ大きな違和感を抱くのだ。

 目の前の二人があくまで知らないと言い張るなら、一千万円の出所に関しては別の捜査員に任せるしかない。怪しいとなれば、それを元に彼女達を追求することになる。だがそうでなければ一旦返却するしかないだろう。現時点ではあくまで二人は被害者遺族だ。殺人への関与について余程の証拠が出ない限り、必要以上の詮索は控えざるを得ない。

 また辻畑の個人的な見解としては、図らずも介護から解放された母子が被害者の遺産と思われる一千万円を元に、これからは少しでも穏やかな暮らしが出来ればと願っていた。

「それでは引き続き、美香さんを殺害した犯人を逮捕できるよう捜査致しますので、今後もご協力をお願いします」

 尾梶も辻畑と似た感情を抱いたのだろう。これ以上の質問は無意味だと判断し、そう告げてから目でこちらに確認をしてきた。辻畑が頷いた為二人で立ち上がると、彼女達は分かりやすく安堵の表情を浮かべていた。刑事の尋問から解放されたからだろう。

 彩だけが玄関先まで見送ってくれた。航はそそくさと奥の部屋に戻った。その様子を横目で見ながら、辻畑達は彼女に頭を下げて外に出たのである。

 近くに停めていた尾梶が運転する車の助手席に乗り込み、発進してから話しかけた。

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