応天門の変

親王みこ惟喬これたか)様、」

春宮はるのみや(皇太子)を、紀氏が呪詛じゅそしたと、言われかねない」

 言いむかう(反論する)紀有朋きのありともを、惟喬これたかは、さえぎる。


「私たちの他に、誰もいないではないですか」

 有朋は、なおも言い迎う。


「他でもない春宮が、『紀氏に歌を詠みかけられた』と、何心なにごころなしに(無邪気に)、藤原氏の誰かに言ったら、どうなる」

 惟喬はうれう眼差しで、有朋を見つめる。

呪詛じゅその歌を詠んだと、言われかねない」


 惟喬は紀貫之きのつらゆきへと眼差しを向けた。

「貫之は、紀豊城きのとよきたちのことは、聞いているか」

「いとこぎみから聞きました」

 貫之は答える。

友則とものりから聞いたか…」

 紀豊城きのとよきの名を聞いただけで、すぐに答えた貫之に、惟喬は笑む。



 紀豊城きのとよきは、鬼と成った伴善男とものよしお応天門おうてんもんに火を放つのを、静めようとしていたのに、捕えられて、安房国あわのくに(今の千葉県)に流された(流刑るけいにされた)。――その場にいなかった肥後国ひごのくに(今の熊本県)の国司くにのつかさ(県知事)をしていた兄の紀夏井きのなついさえ、とがめられて、土佐国とさのくに(今の高知県)に流された(流刑にされた)。

――とがを定めた(罪を決めた)のは、藤原良房ふじわらよしふさ



「鬼と成った伴善男とものよしおが、何故なにゆえ、応天門に火を放ったか、分かるか」

 を打ちながら、紀友則きのとものり紀貫之きのつらゆきに問う。


「目につく正面おもてにあるからでしょうか」

「応天門は、元の名は大伴おおとも門。大伴おおともが護る門だったのだ」

 貫之が少し考えて言った答えを、すぐさま友則はいなぶ。


陽明門ようめいもんは、山門やまもん

 待賢門たいけいもんは、建部門たけるべもん

 郁芳門いくほうもんは、的門いくはもん

 美福門びふくもんは、壬生門みぶもん

 皇嘉門こうかもんは、若犬養門わかいぬかいもん

 談天門だんてんもんは、玉手門たまてもん

 藻壁門そうへきもんは、佐伯門さえきもん

 殷富門いんぷもんは、伊福部門いふくべもん

 安嘉門あんかもんは、海犬養門あまいぬかいもん

 偉鑒門いかいもんは、猪使門いかいもん

 達知門たっちもんは、丹治比門たぢひもん。」


 次々と友則は、門とうじの名を並べていく。


うえのために、宮中うちの門をそれぞれのうじが護っていたのだ。しかし、藤原氏が、他の氏を遠ざけ、門の名も変えた」

 言いながら友則は、貫之が白石を置くと、すぐさま黒石を置く。


「応天門が再建された時に、誰が言い出したのか、門の名を変えることが話し合われた」


 友則は、すさまじき顔様かおざま(つまらない表情)で、ざまに言う(悪口を言う)。


「門がうじの名だったことをまことに知らなかったのか、藤原氏にはばかったのか(忖度そんたくしたのか)、文章博士もんじょうはかせ(史書や漢詩文の教授)の巨勢文雄こせのふみおは、『とう(中国)の門が、火災の後に名を変えたか、どうか』を論じたのだ」




 惟喬これたか紀有朋きのありともへと眼差しを戻した。

二度ふたたび、あのようなことになって欲しくない。都に行って、私がうえに許しを得る。帝の御前おんまえで、春宮を静めよ」

 笑み笑みと(にやにやして)続けた。

一夜ひとよ、歌をうめいているがよい(歌をひねり出すために、うなっているがよい)」


 もう有朋は言い迎えられず(言い返せず)、口縁くちびるの脇に皺寄しわよせて、黙り込んだ。


まことに、春宮が鬼なのか」

 言い出したのは、遍昭へんじょうだ。

「まるで何も変わらないじゃないか。あの子は、あの子のままだ」


 遍昭は、藤原高子ふじわらのたかいこ建立こんりゅうした寺の別当べっとう住職じゅうしょく)を務めている。――建立したと言っても、名ばかりで、兄・藤原基経ふじわらのもとつねが造らせた寺だが。

 俺は、寺に行啓ぎょうけいした(行った)ことも、遍昭に会ったこともある。


 鶯歌おうかと、寺の中で隠れ遊びをしていた俺を、「鬼」だと言われても、信じられないのだ。



 在原業平ありわらのなりひらは――何も言わない。



「鬼の姿に変成へんじょうしない鬼もいます」

 紀有朋は遍昭に向かって言って、前を向いた。


全子またいこ

 紀有朋きのありともから名を呼ばれて、紀全子きのまたいこは、御簾みすの向こうから見つめる。


「今のうえ立太子りったいし(皇太子になった)の祝いの話は知っているか」

「ええ。養父ちちから聞いております」



 養父・紀全吉きのまたよし

 鬼を静めるざえはあっても、歌を詠む才がなく、旧歌ふるうたで静めていた。

 紀全子きのまたいこの里下がり(実家に戻る)に付いて行って、会ったことはある。鶯歌や俺が生まれる時に、鳴弦めいげんをした(弓のつるを鳴らして、はらえをした)ことは聞いているが、鬼を静めたことは聞いたことがない。

――鳴弦めいげん上手じょうずだが、射礼じゃらい(弓を射る儀式)では、いつも的を外していたことも知らなかった。

 紀全子きのまたいこが、鬼を見分けられることも、紀全吉きのまたよしに助けられた養女むすめであることも知らなかった。



春宮はるのみやに話したことはあるか」

「いいえ…」

 有朋に問われて、答える全子はあやしむ。――今、紀有朋が昔語りをしている意味が分からないのだ。



我ら紀氏に藤原氏が負けたことを、他の者が話すとも思われない。けれど、春宮は、真雅しんがのことを知っていた」

 言う紀有朋の口縁くちびるにあるのは、笑みだ。

 この男は、鬼と対することがたのしくてしようがないのだ。


「おそらく『知る』ことが、鬼のざえ。」


 紀有朋が、西の対(西館)の方を――俺を見やる。

「今も、ここで話していることを



うえに知れたら、春宮とうぐうはいされる(皇太子から下ろされる)のではないか」

 ずっと黙っていた在原業平ありわらのなりひらが言った。


 皆が、在原業平の方を見た。


「紀氏が春宮はるのみや様を寿ことほぐ歌をたてまつりたいと、申し上げておりますとか、何とか言う…」

 惟喬は言籠ことこむ(口ごもる)。


「『寿ことほぐ』と申し上げても、藤原氏に知られれば、紀氏が呪詛じゅそしたと、とがめられるのではないですか。紀氏が歌をたてまつることを許したうえまでも。」

 業平が言うと、貫之の他は、皆、あぢきない顔様かおざま(暗い表情)になる。


 初冠ういこうぶりした(大人になった)ばかりの紀貫之は知らない。


 帝さえも、藤原氏をおそれなければならないのだ。

 惟喬これたかは、父であるさきうえ文徳天皇もんとくてんのう)に、帝となることを望まれていたのに、藤原氏の姫の子である産まれたばかりの弟が立太子りったいしした(皇太子になった)。


 逆様さかしまに言えば(逆に言えば)、藤原氏の姫の子であれば、帝となれるのだ。いちみや(第一子)でなくても、幼くても。

 惟喬の弟――俺の父や、俺のように。


 在原業平ありわらのなりひらの父は、帝の一の宮であっても、春宮とうぐう(皇太子)に選ばれることはなく、帝の争い(皇位継承争い)に、二度も巻き込まれた。

 遍昭へんじょうの父も、帝の子であっても、母が女嬬にょうじゅ(下級女官)できさきにもなれず、親王宣下しんのうせんげすら受けられなかった(親王として認めらなかった)。同じ母から生まれた藤原氏の子・藤原冬嗣ふじわらのふゆつぐは、正二位しょうにい・左大臣(今の総理大臣)にまでなっているのに、自身みずからは、正三位しょうさんみ大納言だいなごん(今の国務大臣)にとどまった。



「ここで静めて、春宮様に、全てお忘れいただくように申し上げましょう」

 紀有朋が言う。


「春宮に『知る』ざえがあるならば、どうすればいいのか、聞いてみようか」

 惟喬は、俺がいる西のたい(西館)の方を見やり、長息ながいきした(ため息をついた)。



















































































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る