小さやかな女房にょうぼう華奢きゃしゃな侍女)は、きらきらしくようじた(瑩貝ようがい(貝と金属の道具)でり、艶を出した絹の)白き表着うわぎ(一番上に重ねたきぬ)に、桜の三重襲みえがさね(白・淡赤・赤の三枚重ねたうちぎ)。背の半ばほどにかかる、伸び足らない黒髪。顔は伏せていて、見えない。


 女房は、紀貫之きのつらゆきの前に座ると、貫之と惟喬の(食べ物)の置かれた懸盤かけばん御膳おぜん)の間に、からの懸盤を置いた。


 女房の伏せた顔が鏡のように写りそうな、黒光りした漆塗うるしぬりの懸盤には、桜の薄様うすよう(桜色の薄紙)があった。



春霞はるがすみ

 たなびく山の桜木さくらぎ

 見れどもかぬ 花にもあるかな」


 仮名かなつづざま(かな文字の続け書き)はつたなく、それが、まだ髪も伸び足らず、裳着もぎ(成人式)をしたばかりかと思えるなまめかしい(若々しく瑞々みずみずしい)姿に、つきづきしく(ふさわしく)見えるらしい。



 春霞がたなびく山の桜の木の

 どれだけ見ても飽きることのない花でしょう



 紀貫之きのつらゆきは、ずっと持っていた桜の一枝を、懸盤に置き、歌を詠んだ。


たれしか求めて折りつる

 春霞 立ち隠すらむかくすらん

 山の桜を」



 誰が求めて折ったのでしょうか

 春霞が立ち隠している山の桜を



逸早いちはやみやびをするものだね」

「二人とも、その歌はっ」

筒井つついきみ血縁ゆかりの方ですか」

 惟喬これたか遍昭へんしょう紀望行きのもちゆきが。同じ時に言った。


 在原業平ありわらのなりひらが、みこだる(笑み崩れる)。

「同じ時に、みなが言っては、分からないではないか。――まず、親王みこ。」

 そう言って、親王――惟喬へと樺桜襲かばざくらがさね(表・蘇芳すおう、裏・赤)の袖を向ける。


逸早いちはやみやびをするものだね(早熟そうじゅくな雅をするものだね)」

 惟喬は笑みて、言う。貫之はいなぶ。

「私は、姫君の歌に返しただけです。みやびやかなのは、姫君です」

 貫之は、懸盤の上、桜の一枝と共にある薄様うすよう(桜色の薄紙)を取り上げ、顔を伏せたままの女にたずねる。

「歌をお詠みして、よろしいでしょうか」


 小さやかなかしらが、かすかにうなづいた。

 紀貫之は、薄様に書かれた女の歌を詠む。

春霞はるがすみ

 たなびく山の桜木さくらぎ

 見れどもかぬ 花にもあるかな」


 貫之は、桜の一枝に、桜の薄様を添える。

「小野宮様に差し上げるために、桜を手折たおっていらっしゃったのですね」

 小さやかなかしらが、かすかにうなづいた。


「次、遍昭様。」

 業平が、遍昭へと袖を向ける。

「こんな歌を詠んだということは、桜の下で逢った姫は、このむすめなのか」

 遍昭は貫之に問う。


「そんなに長言ながごと(長い言葉)を言っていたか」

 聞き返す業平に、遍昭は言いく(言い訳する)。

「そう言いたかったのだ」


 遍昭は、懸盤かけばん御膳ごぜん)の上の桜の一枝と、薄様うすよう(薄紙)に書かれた歌と、顔を伏せたままの女を眺めて、あわれがる(感動する)。

詞書ことばがき(歌に付ける状況説明)に書かなければ、いな、物語にして書きたいような巡り合わせではないか」


綺語きぎょ(飾り立てた言葉)は、罪、ることだよ、遍昭」

 惟喬は墨染めの衣で口覆いして、言う。

「次、望行。」

 業平は、望行へと袖を向ける。


 紀望行は言籠ことこむ(口ごもる)。

「私は、何かを言ったのではなく、兄君に、いささかに(ほんのちょっと)聞きたかったことがあっただけで…」


「他の声と、うちじりて(混ざり合って)、聞こえなかったぞ」

 兄・紀有朋に言われて、弟・紀望行は、ますます言籠ことこむ(口ごもる)。

「ここではなく、後で聞きます……」

「今、聞かないと、答えてやらないぞ~」

 目見まみ(目元)にも、口縁くちびるの端にも、皺を寄せて、笑み笑みと(にやにやと)、有朋が言う。


義姉君あねぎみ血縁ゆかりの姫君なのでしょうか」

「先ほどは、『義姉君』とは言ってなかったではないか」

 兄に聞き返されて、弟は顔を赤む。

「聞こえていたのではないですかっ」



 義姉あね――筒井つついきみ

 紀有朋の紀友則きのとものりの母。



「望行は、兄のの顔を知っているのか」

 遍昭が驚く。


 女は、几帳きちょう(布を垂らした木枠きわく)を立て、御簾みすを下ろして、特に男には決して顔をさらさない。


となる前、わらわ(子ども)だった頃ですよ」

 有朋が言う。

 さすがにが、はじなく男に顔を晒したとは思われたくはないらしい。


「親が田舎いなかわたらい(地方の役人を務める)の先で、田舎人いなかうどに娘が言い寄られることのないように、裳着もぎ(成人式)を遅らせていて、長くわらわでいたものですから」

「私も、まだわらわ(子ども)でしたので…」

 望行も言いく。



 望行が言い分く間に、女が顔を上げた。

 紀貫之が真直まなおに(真っすぐに)見た顔様かおざまは、烏羽玉うばたまの瞳、あしひきののような鼻、皆紅みなぐれない口縁くちびる桜襲さくらがさねの透ける白ききぬの細い肩を、敷栲しきたえの黒髪が、さらさらとこぼれる。


 女は振り返り、俺を見た。

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